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執着しなければ良いものは作れない

アンドゲート田村です。
株式会社アンドゲートというPM Techカンパニーの代表をやっています。

この記事では「世の中は"執着しない"風潮だけど必要な執着もある」というお話を書きます。
過去の記事「ビジネスを爆発させるのは「アート」!?」のアンサーポエム(中間発表)です。

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美大に入学していた

積極的にnoteを書いていた時期から8ヶ月経っており、記事にしていませんでしたが…
私は4月から美大に入学し、仕事の合間を縫って絵を描く生活をしています。

絵が上手になりたいわけではなく「ビジネスモデルはアートになるのか」の研究をしたくて入学したのですが、まずは守破離でデッサンから始まり水彩画や美術館巡りをしています。
でも上手に描けると、カッコイイですよね。

通信教育課程なので、基本的には作品を描いては郵送で送りますが、稀に登校が必要なスクーリングがあります。
この土日も「造形基礎II」の授業として2日間「丸太を描く」という課題をやってきました。

2日間で1枚をデッサンする課題ですが、2日合わせると12時間くらいの時間があります。
ビジネス社会に飼い慣らされている私としては、時間配分を決めて間に合うように描き進めます。
しかし、デッサンの大枠は2-3時間あれば描き終わってしまいます。
(この記事のヘッダー画像は5時間時点の絵)

終わりのない創作活動

さて、あと9時間、時間にして3倍の時間があるが、どうしたものか。
そう思っていると、もう一人の自分が語りかけてきました。

「この完成度で満足なのか?」
…いいや、まだ20点だ。

大枠ができたとは言え、細かい部分の描き込みはできていないし、影の描写も十分ではない。
「描き込み量が上手さではない」という意見もありますが、そんな大それたことを言えるご身分ではありません。
9Bの鉛筆で画面を引っ掻いては、練り消しゴムで薄くして、画面を紙で擦ってぼかしては、ぼかしすぎたところを鉛筆でまたエッジを効かせる。

描き込み量が増えるに連れて、完成度は高まります。
そして、もう一人の自分がまた語りかけます。

「この完成度で満足なのか?」
…いいや、まだ40点だ。

描いたところが気に入らなくなって、大きく消しては、また描き込む。
そんなことを繰り返していると、長い時間に感じた12時間では足りない、と言うよりも、永遠に100点がやって来ない感覚に襲われました。

「執着」が良いものを作る

作った壺を「これは私の作品ではない!」\パリーン!/と叩き割る陶芸家のイメージがありますが、芸術家は自分が満足する作品・満足する作品を作る自分に「執着」しています。
「全然売れるのに」や「使えるんだから割らなくても」と思いますが、芸術家からすると、自分が満足する作品以外に価値はありません。
それほどに「執着」しなければ、本当に良いものはできません。
(絵であれば途中で修正できますが、陶器は焼いたら修正できないので、難しそう…。)

ビジネス社会はある意味「及第点をいち早く獲得するゲーム」だと思っています。
なんなら、及第点を獲得していなくても、スピードだけでなんとかなったりします。
それは「相手」がいるからであり、「相手」がいるということは「答え」があるからです。
「答え」がわからなければ、「答え」を持っている人に聞けば良いのです。

しかし、アートには「相手」がいなければ「答え」もありません。
自分自身に問いかけ続け、自分の満足するものを作る。
もし、自分自身に負けて妥協したとすると、成長はそこで止まります。

この感覚は「答え」のあるビジネス社会でも通じると考えています。
仕事人として「こいつはデキる」と思う人は、なんらかのこだわりや美学を持っています。
そうした「執着」があるからこそ、独自のキャラクターが作られ、唯一無二の存在になることができます。

その「執着」が持つ力について知ってか知らずか、社内に向けて下記通達をした記録がありました。
「顧客の期待値に関心を持つ・満足度に執着する」
「営業は数字に執着を」
執着する力は圧倒的な営業力に通ずる」

この時「執着」を使って説明していますが、アートと紐づくとは思いませんでした。

「0→1」がアート思考ではなかったのか

アート思考と言えば「0→1」を司る思考法ですが、私が感じた「執着」して完成度を高める感覚は

及第点を完成にする「70→100」
最後まで完成を追い続ける「99→100」
完成したものでも更に追求する「100→101」

「0→1」とは対極の「100」にいかに近づくかの感覚です。

そう考えると「0→1」の「1」は相当高い完成度が求められます。
無から有を生み出せばデジタルで言えば「1」になりますが、それでは「1」としてカウントしない説が浮かび上がりました。

「"0→1"が得意です」「"0→1"以外は苦手で」と言う人によく会います。
事業計画書を見せてもらうと「え、これは1じゃなくて0.15くらいだけど…」といった経験があります。
大学生でも思いつきそうなコンセプトで、ビジネスモデルも普通、市場分析が甘く、収支計画の根拠もない。
恐らく、私が起業したときに作った事業計画書もひどいものだったと思います…。
「1」の基準がその人の価値観であり、その人の美学です。

新規事業において、私の「0→1」の基準は「年商1億円」です。
1億円は1人のマンパワーでギリギリ回せないので、組織化が必要な規模です。
ビジネスとしては組織を構築して再現性を持たせた状態でやっと「1」です。
この「1」が「年商1000万円」の人もいれば、大企業であれば「年商10億円」の場合もあります。

つまり、私が感じた「n→100」の感覚は「0.n→1」であり、「1」に対して執着して追い続けることが「アートのDNA」であるとの結論に至りました。

諦め癖がついていた

私は仕事に関しては一般の人よりもストイックな方だと思いますが、そのストイックさを他人に強要しないよう心がけています。
強要すると「これくらい誰でもできるだろ」「20代の頃にこれくらいできたけどな」と言いまくるパワハラ上司が完成します。

マネジメントとは上限を突破することではなく、下限を底上げすることだ。
そう思いこんでいた私は、いつしか目の前で起こる現象を「しょうがない」と諦めて、できる範囲内で物事を組み立てる癖ができあがりました。
恐らく、役員以外に強烈なメッセージを主張したことはないと思います。
(淡々と詰めることはあったとしても)

「諦観」と言えば聞こえは良いものの、正確には「妥協」であり、その影響で仕事の品質に影響を及ぼしていることも見て見ぬふりをしていた気がします。

及第点をクリアし続けていても、品質の上限は上がりません。
つまり、低下していく一方であり、いずれ破滅を迎えます。
世間は「執着しない」風潮ですが、鵜呑みにすると会社や社会が弱体化していく気さえします。

社長はこだわりが強くて、何言ってるかわからないくらいが、会社や事業にとっては健全だということに気が付き反省しました。

個人に置き換えても同じです。
大抵のことはそつなくこなすけど、パッとしない人はいませんか?
及第点を取って満足している人はいませんか?
常に上限突破を目指さないと退化し淘汰されます。

その上限突破に必要な力が「執着」だと気が付きました。

「執着」できるのは人だけ

過去の記事「PM Techカンパニーって何なのダ?」に「不幸の最小化」は機械が、「幸福の最大化」は人がやるべきだ、と書いています。

私は「成功に再現性はないが失敗に再現性はある」という考えがあり
不幸の最小化」と「幸福の最大化」は別のアプローチで攻めたほうが良いとの持論があります。

アンドゲートでは人の仕事を「ソリューション」、機械の仕事を「プロダクト」としてサービス化し、その両輪で価値提供をしていくプラットフォームを構築しています。

私自身、他社のSaaSプロダクトを利用していますが、40点くらいまでは簡単に実現してくれて、とても便利です。
しかし、40点から及第点の70点や、満足する100点にする為には、まだ人の力が必要です。

会計ソフトにしても、自動仕訳は便利ですが、決算までできるか?と言えばそうではありません。
経理担当・財務担当・税理士や会計士が税金(節税)のことや決算書の見栄えを考え、調整して、やっと決算処理ができます。

機械に決算を任せた場合、節税できるところを節税しなかったり、反対に節税MAXで決算書が汚れて信用を失う、もしくは脱税になるといった事が起こりえます。

やはり「意思決定」は人の仕事だな、と思うとともに
人はより良い仕事にするために「執着」して120点の仕事を目指す。
仕事に向き合う姿勢としての「執着」は必要なものだと考えました。

では「はい!執着してください!」と言えばできるかと言うと、できません。
マネジメントとしては、モチベーション理論を駆使したり、小さな成功体験を作っていくこと、何より自らが「執着」して上限を突破していくことが必要です。

「執着」しない・必要がない仕事は機械に任せたほうが人類の為になります。

仕事の完成度と個人の幸福度は別のお話

仕事に関しては「執着」した方が良いと書きましたが、それと個人の幸福度ではまた話しが変わります。
執着心の強い人は、往々にして幸福度が低く、戦わなくて良い何かと戦っているので余裕がありません。

幸せの4因子「成長」「つながり」「楽観」「自分らしさ」から考えると
「成長」以外の因子は「執着」すると達成できないように思います。
器用な人は、自分自身に向けた「成長」に関することは「執着」して、人や物には「執着しない」ということができれば良いのですが、なかなか難しそうです。

「執着してるなー」と思ったら、執着すべき対象なのかを考え
「執着してないなー」と思ったら、執着しなくて良い対象なのかを考えて
自らの価値観や人生観、美学をアップデートし続けるしかなさそうです。

「執着する対象」について、何か気がついたらまた記事にします。

世の中は「執着しない」風潮ですが、より良い仕事や成長をするためには「執着」が必要、というお話しでした。

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