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ビジネスを爆発させるのは「アート」!?

アンドゲート田村です。
株式会社アンドゲートというPM Techカンパニーの代表をやっています。

この記事では「合理的な資本主義と自己表現のアートはどのような関係か」というお話を書きます。
タイトルは「芸術は爆発だ!」に掛けてみました。
本当は「アンドゲートの段取りメソッド」の記事を増やさなければならないのですが、気分により予定を変更してお送りしています。

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お金ってなんだっけ?

私は怠惰過ぎるが故に意識高い系ビジネスマンになってしまったのですが「仕事」もとい「金」に対してはある答えを持っています。

「金」それは「価値の量」です。

マズローの欲求5段階説」では下から順番に欲求があるとされています。

自己実現欲求「自分にしかできないことをやっている~」
 承認欲求「誰かに認められている~」
 社会的欲求「誰かと一緒にいる~」
安全欲求「安全に住める~」
生理的欲求「生きている~」

明日食べるご飯がない人に対して「君ぃ、自分らしく生きている?」と煽ったところで、答えは「んなことどうでも良いから、早く飯よこせ」となります。

欲求の段階によって求めているものがあり、下位の欲求を解消しないと上位の欲求には辿り着きません。
上位の欲求にいたとしても下位の欲求が崩れれば、その段階まで落ちるとも言えます。

この段階を語るにあたって「金」の概念は出てきません。
つまり「金」は手段であり、欲求そのものにはなりえないのです。
しかし「価値交換」の機能が万能過ぎる為、扱い方が難しい代物になっています。

「仕事」の考え方

欲求には直接出てこない「金」ですが「仕事」も同様に置き換えることができます。

自分がやりたい仕事
認められるための仕事
誰かとの仕事
安全に住むための仕事
生きるための仕事

ここで言いたいのは、人それぞれ「仕事」に向き合う姿勢が異なるということです。

周りに仕事の素晴らしさについて発破をかけていたこともありましたが、今では仕事の姿勢を他人に強要するのはおこがましいと考えるようになりました。
(今でも求めている人に対しては発破をかけています)

この姿勢の違いを見誤ると
「仕事は食うために仕方なくやっているんだ派」
VS
「仕事は楽しむためにやっているんだ派」
の宗教戦争が勃発し、互いにいがみ合い、組織運営どころではなくなります。

ただ、事実として前述の通り「金」は「価値の量」です。
消費者であれば、社会に対して月に数十万円が流通の限度ですが
価値提供者であれば、月に数百万円、場合によっては数千万円の流通を持つことができます。

「消費者」でいる自分よりも「価値提供者」でいる自分の方が、社会とより太く繋がっていられることになります。
この感覚が「社会的欲求」と「承認欲求」につながっていきます。

社会と繋がって何が嬉しいのか?
幸せな人は人や社会と「つながり」を持っていると学術的に証明されていますので、気になる方は「幸せの4因子」で検索してみてください。

デザインとアート

私は「デザイン」と「アート」を使い分けています。

「デザイン」は「課題」に対して客観的な視点から「解決策」を示すもので「課題解決」を目的としています。
製作者の意図や目的をそのまま伝える手段であり、解釈の余地がないものです。

ロゴであればブレのないブランドイメージ、工業製品であれば効率性と安全性、パッケージであれば見やすい表現となり、その裏には人の認知の仕組みや黄金比など普遍的な構造が活用されています。

対して「アート」は「課題」に対して主観的な視点から「解決策」及び「新たな課題」を示すもので「自己表現」を目的としています。
製作者の意図はありつつも、受け取る人や時によって解釈が分かれるものです。
この考え方を「アート思考」と呼んだりします。

昔は「ビジネスはデザインである」と考えていましたが、経営をするにつれて「デザインだけでは限界がある」と考えるようになりました。
では「アート」に振り切れば良いかというと、ビジネスは「課題解決」をしてナンボであり「自己表現」言い換えれば「自己満足」ではお金になりません。

ビジネスを組み立てるには「デザイン」と「アート」のちょうど中間を狙う必要があります。

2021年4月に葛藤した様子がFacebookにあります。
https://www.facebook.com/kensuke.tamura/posts/10214691487239969

中期経営計画を作っていると、3-5年後くらいまでは見える、というか、作ることができる。(それでも結構ギリ)
10年後の未来となると途端に難しくなって、そのうち「未来は予測するものじゃない、作るものだ。」とか言い始めて、いくつかの未来を作ってみたものの、どうもしっくり来ない。

(中略)

人類が100年前に作り出したものの中で、残っているものは少ない。
物やビジネスは当然消失している。しかし、アートは残っている。
人類のDNAに刻み込まれている欲求を表現したものがアートであれば、心を打たれるようなメッセージは歴史の中に潜んでいる。
未来を語るには過去を知る必要がある。

「自己表現」の力 = 「アートのDNA」を経営に活かさなければ、未来が描けない。そして、その未来は訪れない。
果たして「アートのDNA」を手に入れることはできるのか…!?

資本主義はアートを求めている

「自己満足」になりかねない「アート」ですが、何故ビジネスに組み込む必要があるのか?
それは「課題」自体を再定義する必要があるためです。

顕在化された「課題」(ニーズ)に対して「解決策」を提供することは難しくありません。
そのため競合他社が多数おり、差別化が難しくなります。
常に新しい「課題解決」を行うためには「課題」から見つけて、社会に対して提示する必要があります。

資本主義と言えば「カネカネ」言っている小太りなオッサン投資家たちが
二言目には「バリュエーションは?」「マーケットは?」「ビジネスモデルは?」と言ってくることを思い浮かべますが(私だけでしょうか?)
「PER」「PBR」といった小難しい言葉を学んでいくと、詰まることろ「魅力的なビジネスモデルか?」というところに辿り着きます。

「魅力的」とは、これまた時代によって変わるものですが
現在は「ストックビジネスであるか」「継続率が高いか・解約率が低いか」「人を増やさなくでもスケールできるか」といったポイントだと解釈しています。

投資家たちは「人がいなくても儲かる仕組みを作れ」と言っているように聞こえますし
実際「人がいなくても回る仕組みを作る」ことは健全なビジネス・健全な人間社会に通じると考えています。

そこで「アート」の力によって既存の観念を打ち砕くようなミッション・ビジョンを掲げてプロダクトを展開し
「デザイン」の力によって組織やシステム、そして収益を上げていく活動がビジネスを組み立てていくこととなります。

人材派遣や不動産など手堅く儲かるビジネスもありますが、2000年くらい前からあるビジネスモデルなので革新的ではなく投資家の目には魅力的には写りません。

スタートアップはカッコつけてキャッチコピーを掲げていますが、一歩外せばただの「自己満足」に終わります。
しかし、投資家はそういった未来を作るであろうビジネスモデルに投資を行い、新しい市場や社会を作り上げていくという役割があります。

一見、相反するように見える「資本主義」と「アート」は、実は密接に関係しているというお話しでした。
ちなみにこの記事も、ただ書きたいだけなので「アート」です。

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