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『八咫烏様は願わない』 二話目

仲が良くなるために必要なこと? 答えは、単純接触回数。

アイドルがテレビやYouTubeへの露出頻度を上げるのも、家が近い子と仲良くなりやすいのも、すべてはこの単純接触回数。

仲を深めたい相手がいたら、まずは何度も会うこと。それが一番大事なこと。


「……で? なんですか、この格好は!」

「ズバリ! 仲を深めるなら単純接触回数を増やす。そして! 非日常を楽しむこと!」

「その結果がこれですか?! 頭沸いてるんですか!」

壱野はそういって声を張り上げるが、残念ながらネズミーランドのカチューシャの耳をつけているため全く怖くない。むしろ可愛い。九月二十四日の朝。つまり、男たちの襲撃を受けて壱野が暗殺者としての正体を現した日から七日目の日曜日だ。

「大体なんですかその恰好は!」

「だって、壱野を輝かせないといけないんだよ! 俺はあくまで黒子として影に忍んでいないと……!」

「だからといってなんですかそのオタクルック! はい、脱いで!」

「ああっ」

そう言って、俺はちょっとオタク風の格好からまともな格好になってしまった。

「そんなあ」

「黒鴉千悟様! あなたはこの国の民の願いを聞き届けるお役目を持つ重要人物。『忍びの者』とも言われる私なんかにうつつを抜かしてどうするんです!」

「そうは言ったって……」

 その黒鴉一族の跡取り息子に説教していることについては、壱野はどう考えているんだろうか。この間までは、絶対に黒鴉一族に服従だったわけだから、いまの壱野のほうが全然いいわけだけど。

「それに、この間、『神々との契約』をしてしまいましたから。これからは、沢山の人が千悟君……いえ、黒鴉様に願いを届けに来ます。その準備を考えれば遊ぶ暇なんてありませんよ」

「千悟、でいいよ」

「せんご……くん」

「呼び捨てで」

「せ、せん……。無理です! 私は黒鴉様に仕えるように育てられたんですよ!? 命を守るために暗殺者となり、夜伽をつとめ、黒鴉様一族をお守りするために尽力するのが私たち一族なんです。呼び捨てなんて……」

「あ、あれも乗ってみたいね。壱野、高いところ平気?」

「話聞いてますか?!」

 だってさあ、と俺は頭のうしろで手を組む。

「いきなりお前は『八咫烏』だから人の願いを聞き届けろとか、黒鴉一族の末裔だから仕えますとか言われてもさあ。現実味ないよ。……。まあ、好きだった女の子が隣を歩いてることのほうが貴重かもなんだけど」

「……はあ。まあ、とにかくですね。これからは慎重に行動してください。もう前までとは違うんですから」

「え、それって」

 そう言った瞬間、バサバサッと音が響く。

 背中に黒い羽根を生やした天狗の集団が、空から舞い降りてきていた。周囲の観客たちは、新しいアトラクションだと思って興奮している。

「……彼ら、『土蜘蛛』の一族がいる限り。『八咫烏』の黒鴉様の御命は常に狙われ続けるのですよ」


――其は古(いにしえ)の話。

兄磯部と弟磯部に、神武天皇への帰順を求めた八咫烏は、兄には弓矢で追い払われてしまう。

弟は、食べ物を持って献上し、八咫烏および神武天皇への忠誠を誓った。

やがて、兄磯部は滅亡し、わずかに残った生き残りが、『土蜘蛛』と名前を変えて北東の地に跋扈し、朝廷を苦しめることとなる。

そして弟磯部の末裔は、『一之足』や『弐之足』、と名乗って『八咫烏』である黒鴉一族への恭順を誓ったのだ……。


「おおー。さすがオール5の才媛。難しい言葉もスラスラと」

「その黒鴉一族の末裔が、あなたなのですから、もっと威厳を持って」

「でもごめん。俺、歴史からっきしだからまるで分からない」

「千悟君!?」

 そういって鬼のように怒る壱野の足元には、転がる天狗たち。次々に俺を襲ってきた天狗たちは、あっさりと壱野の手によって倒された。これくらいは日常茶飯事だというように、壱野も気にしていない。

 どこからか現れた男たちが(先ほどまではレジャーを楽しんでいた人々が)天狗たちを片付けていくから、きっとほかにも見張りは大量にいたのだろう。


「ごめんってば! そもそもさ、朝廷がいるのに、なんで『八咫烏』がいるの?」

「朝廷は、国民の安寧を捧げる存在です。時には武力闘争にも加わりましたが、現在に至っては、人々の平和を祈る存在。そして『八咫烏』は、その平和を実行する存在です」

「……つまり?」

「つまり、朝廷の遣いっぱしりが俺ってこと?」

「遣いっぱ……。まあ、そう言う解釈もありますが……。もっと言い方ってものが……」

 頭を抱える壱野のことを、俺は何度も激写しておく。もちろん今一眼レフを取り出すと怒られそうだから、目というカメラで。

「とりあえず、俺は誰かの願いを解決してあげればいいってことね」

「簡単に言いますが、大変なことですよ? 体力だって使いますし」

「体力?」

 そういって、俺は壱野の手を握る。明るい光が、繋がれた手のなかで光った。

「な! 千悟君! 人に見られたら!」

「さっきの天狗だってアトラクションってことで片付けるんでしょ。だったら、これだって大丈夫だって」

「まあ、そうですが……」

「この光があれば、人の願いが叶うんだよね」

「はい……」

「……壱野が俺のお嫁さんになりますように」

 俺は真剣に目を閉じて、そう祈る。

 だが、次に目を開けた時、目の前にあったのは、呆れたようなひどい顔をした壱野だった。ああ、ぞくぞくする。あの壱野が、俺を見下している! これ以上の幸福はあるだろうか!

「あ、やっぱり俺のお願いは、効かないのね」

「この間、『契約』の時に一生分のお願いを使っていらっしゃいますから。まあ、それもくだらないお願いすぎましたが」

「くだらないとはなんだよ! 『壱野が笑顔になれる世界』って何よりも大事だろ!?」

「でもそれで結局私笑いましたか? 笑ってませんよね! そういうことですよ! なんでも叶えられる神様でも、さすがに上司にストーカーされてる女の子が笑うようには仕向けられないんです!」

「むうう。倫理的には正しい神様だな」

「当たり前です。そんなのができるようになったら、世も末です」

ツンと顔を背ける壱野を見て、俺は嬉しくなってしまう。冷たい壱野も、可愛いなあ。何より、前よりもずっと表情が豊かだ。最高すぎる。

俺たちの背後では、倒れかけていた天狗がまだ抵抗していて、エージェントたちがとらえるのに苦労している。「おい! 騒ぐな!」「そっちを抑えろ!」「こいつ、いやに馬鹿力だな」なんて喋ってるのが聞こえてきていた。

それに構わずーーきっともう倒したし、エージェントがいるからという安心感でーー壱野は言葉を継ぐ。

「……なに笑ってるんですか」

「いや、……さっきから思ってたんだけど」

「はい?」

「やっぱり、ネズミ―ランドで耳つけたままだと、怒ってても威厳ないね」

「!!!」

壱野が顔を真っ赤にする。

「ほんとうに! あなたそういうところですよ!」

「ごめんごめん。怒らないでって」

「あれから一週間、私があなたの家に泊りこみだからって毎日のように写真を撮るは動画を撮るは眺め続けて拝むは、どれだけ居心地が悪かったか分かってますか!?」

「あー。弐佳さんも最後は呆れてたよね」

「私は、いうなれば『忍び』。影のものなんです。誰かに好かれたり、求婚されたりするようでは……」

その時、俺は気づくべきだったんだ。俺たちに向かって、天狗の一人が走ってきていることに。その天狗が、俺ではなく、壱野に向かっていることに。

「でも……。楽しかったですよ。こんな風に遊ぶなんて、人生で初めてですから」

そう言って、壱野が笑う。笑顔をみたのは、初めてだ。

『壱野が笑っていられる世のなかでありますように』。

あの願いは、叶ったのだ。

壱野の笑顔は、世界で一番かわいい。清涼感のある目元は、いつも以上にほそめられ、ふわふわした髪は風になびいている。唇はあかくて、白い歯がのぞいてぎゅっと抱きしめたくなるほどだ。

「ありがとう。千悟君」

そう言った壱野の首が、天狗によって一刀両断されるなんてーーつまり、俺の大好きな壱野が死ぬなんてーー俺は、思ってもいなかったのだから。

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