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自分の常識を疑うことが成長への第一歩

小、中、高と合わせて10年間野球をやっていたんですけど、高校野球が一番成長しなかったんです。

当時はなんで上手くならないんだろう...と思っていたんですが、野球部を引退して12年が経過した今、その理由が分かったような気がしたので、書いてみたいと思います。

僕は、ベンチに入るか入らないかの補欠争いをしているような選手でした。なので、甲子園に繋がるような公式戦には試合どころか、ベンチにすらほとんど入ったことがありません。

補欠選手は基本的にグラウンドが使用できないので、圧倒的に技術練習が少なかった、などの要因はあると思います。

しかし、それ以上に成長できなかったのは、自分の常識を変えることができなかったからではないかと思います。

自分の常識を変えることができないとは?

今でも覚えていることがあります。その日は、午後から大雨が降っていて外での練習ができない状態でした。雨の日は決まって、校内走といってちょっとあぶないのですが、放課後の校舎をランニングするというメニューがありました。

校内走をするときは先輩とグループを作って、競争するように走ります。その時は一つ上の僕と同じように補欠争いをしている先輩とグループを作ることになりました。

その先輩は僕と同じ内野手で、非常に面倒見の良い人でした。で、僕のプレイを見るたびに、「お前は運動神経はそんなに悪くないんだけど、なんか惜しい」と何度か言われたことがあります。

校内走の時も走りながら少し雑談をしていました。そこで先輩は、「お前はそもそも走り方がちょっとダサい。もっと跳ねるように走れ、足の着地をかかとからにするんじゃなくて、つま先で着地するようにしろ!」

とアドバイスをくれたんです。

僕は、「はい!分かりました!」と言って、その時の校内走は先輩に言われた通りの走り方で練習をしました。先輩からは「前よりも全然良くなったし、これで他のプレイにも良い影響が出ると思う。」と言ってくれました。

実際、走り方に関して、このような具体的なアドバイスをもらったことはなかったものの、別の先輩や同級生、コーチからも「お前の走り方はなんか重たい...」と指摘を受けたことがあり、確実に何か変化を加えた方がいいという状況は間違いありませんでした。

次の日、今までとは別の筋肉を使ってランニングをしていたため、足は筋肉痛で悲鳴を上げていました。

そこで僕は、「こんなに筋肉痛になるのはおかしい。先輩のアドバイスが間違っているんじゃないか?」と思ったのです。そして僕は、せっかく改善できた走り方を捨てて、今まで通りの走り方で練習を続けました。

それから極度の筋肉痛になることはなかったものの、野球がうまくなることもありませんでした。

これって結局は自分の常識を変えることができなかったんだと思うんです。今まで何十年も今の走り方でやってきて、特に不便はなかった。だから変える必要がない。って思ってしまったんです。

自分が正しいという考え方は危険

スポーツにしても勉強にしても、仕事にしても同じだと思いますが、成果が出ないときに自分が間違っていると思えない人は危険だと思います。

なぜなら成長の余白がないから。

自分を疑って疑って、いろいろ試してみてやっとしっくりくるやり方が見つかる。なんでもそうだと思います。

これから数十年生きる予定なのですが、自分が正しいんだと思わず、心の中で「本当にそうかな?」と問い続けて成長していきたいと思いました。

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