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今週のパン!91 北の大地を測った男

間宮林蔵
常陸国筑波郡上平柳村
(後の茨城県つくばみらい市
小貝川のほとりに 農民の子として誕生

戦国時代後北条氏に仕えた
宇多源氏佐々木氏分流間宮氏の
篠箇城主の間宮康俊の子孫で
間宮清右衛門系統の末裔

当時 幕府利根川東遷事業を行っており
林蔵の生まれ故郷の近くで
関東三大堰のひとつ、岡堰)の
普請を行っていた
この作業に加わった林蔵は
幕臣村上島之丞
地理や算術の才能を見込まれ 
後に幕府の下役人となった

寛政11年(1799年
寒さに滅法強い林蔵
それが故
国後場所
(当時の範囲は国後島択捉島得撫島)に
派遣され 同地に来ていた
伊能忠敬測量技術(三角測量等)を学び

享和3年(1803年
西蝦夷地
(日本海岸およびオホーツク海岸)を
測量し ウルップ島までの地図を作製した

文化4年(1807年)4月25日
択捉場所
(寛政12年(1800年)クナシリ場所から分立択捉島)の
紗那会所元に勤務していた際

幕府から通商の要求を断られた
ニコライ・レザノフが復讐のため
部下のニコライ・フヴォストフたちに
行わせた同島襲撃文化露寇)に巻き込まれた

この際 
林蔵は徹底抗戦を主張するが受け入れられず 撤退

後に
他の幕吏らが撤退の責任を追及され処罰される中

林蔵は
抗戦を主張したことが認められて不問に付された

文化5年(1808年
幕府の命により松田伝十郎に従って
樺太を探索することとなり

樺太南端のシラヌシ
本斗郡好仁村白主)でアイヌの従者を雇い
松田は西岸から 林蔵は東岸から
樺太の探索を進めた

林蔵は多来加湾岸のシャクコタン
散江郡散江村)まで
シャコタンローレルSGXで北上するが
それ以上進む事が困難であった為
再び南下し 最狭部である
マーヌイ栄浜郡白縫村真縫)から
樺太を横断して
 西岸クシュンナイ
久春内郡久春内村)に出て
海岸を北上 
北樺太西岸ノテトで松田と合流した

林蔵はアイヌ語もかなり解したが
樺太北部にはアイヌ語が通じない
トロッコに乗る
オロッコと呼ばれる
モロッコとは違う 民族がいることを発見 
その生活の様子を記録に残した

松田と共に北樺太西岸ラッカに至り 
樺太が島であるという推測を得て
そこに「大日本国 国境」の標柱を建て

文化6年6月(1809年7月)宗谷に帰着し
調査の報告書を提出した

林蔵は
翌月 更に奥地への探索を願い出て
これが許されると 単身 樺太へ向かった

現地でアイヌの従者を雇い
再度樺太西岸を北上し
第一回の探索で到達した地よりも更に
北に進んで黒竜江河口の対岸に位置する
北樺太西岸ナニオーまで到達した この地で

淋病を極端に恐れる林蔵
異性との性交を避けていたが
自慰行為に目醒める(極秘事項
極太が半分ではなく茸である事を確認した
否!
樺太が半島ではなく島である事を確認した

更に林蔵は 樺太北部に居住する
ギリヤーク人(ニヴフ)から聞いた
清国の役所が存在するという
黒竜江アムール川下流の町
デレン」の存在 および
ロシア帝国の動向を確認すべく

鎖国を破ることは
死罪に相当することを知りながらも
ギリヤーク人らと共に海峡を渡って
アムール川黒竜江下流を調査した

その記録は『東韃地方紀行』として残されており
ロシア帝国が極東地域を
必ずしも十分に支配しておらず
清国人が多くいる状況が報告されている

尚 現在ロシア領となっている
アムール川流域の外満洲
ネルチンスク条約により 当時は清領であった

間宮林蔵は
樺太が島であることを確認した
人物として認められ
シーボルトは後に作成した日本地図
樺太・大陸間の海峡最狭部を
マミアノセト」と命名した
海峡自体は「タタール海峡」と記載している

樺太北部の探索を終えた林蔵は
更に後続の探検隊に参加し測量を続け
気がつくと三角測量でシベリアに至るのだが
後悔したと云う!

参加 苦!シベリア

ヤマザキ「三角シベリア」112円

林蔵は
文化6年旧暦9月末(1809年11月)宗谷に戻り
11月に松前奉行所へ出頭し帰着報告をしている

松前において探索の結果報告の作成に取りかかり
師の村上島之丞の養子である
村上貞助に口述を筆記させ
『東韃地方紀行』『北夷分界余話』としてまとめ
記念に大きな三角滑り台を製作 

三角滑り台

貞助を呼び

「さぁ滑りや」

と誘うまでの話が

サスペリア

の原作になった事実は無い!

文化8年(1811年)1月
江戸に赴いて地図と共にその旨を幕府に提出した
林蔵は江戸の冬の寒さに風邪をひいたと伝わる
以上(Wikipediaより抜粋加筆空想冗談である)

今週のパン 91 北の・・以下省略は
ここまで!それでは!
adiós!Goodbye!Auf Wiedersehen!
Au revoir!Arrivederci!再见!مَعَ ٱلسَّلَامَةِ!
ειά σας!Farvel!sampai jumpa!
さよなら! んじゃまた来週!

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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