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【ケインズ革命🔥】マクロ経済学 誕生の歴史✨:経済理論解説 2023/07/20


ここまでのあらすじ🔖

19世紀には労働者問題に対する対策は進んだものの、経済の不安定性の問題は残される状態でした
この時代において、J.M.ケインズの登場が歴史を変えたのです

第二次大戦後、西側各国は、福祉国家体制を構築しました
政府の政策課題が広がるとともに、経済学において、経済政策論も豊かに発展した時代であったのです

本投稿でお伝えしたいこと💚

本投稿では、ケインズの経済政策論がどのようなものか、また、福祉国家体制の下で
の経済政策論の展開がどのようなものかを理解することを真の目的とします

具体的なアプローチとして
3つの段階を踏みたいと思います

①J.M.ケインズの経済政策論について理解すること

②福祉国家体制がどのような経済体制なのかを理解すること

③福祉国家体制の下での経済政策論の展開について理解すること
この3つを意識していきたいと思います

①J.M.ケインズの経済政策論

John Maynard Keynes(1883-1946)

ケインズの経済政策論についてまずは理解を深めましょう
彼の経済学に対するスタンスは以下の通りです

市場の自動調節機能を信頼する従来の経済学の考え(ケインズは古典派と呼ぶ)を否定しています

そして、完全雇用を達成するための総需要管理政策(財政・金融政策)の必要性を提起したのです📝

時は、19世紀、当時の経済は
不安定性の問題に直面していました

その証拠として、周期的に発生する恐慌によって経済は大きく混乱を招いていたのです

そして、レッセフェールの終焉(1926年)を宣言したことから始まったのです

•「ときおり自由放任の基礎とされてきた形而上学的または一般的な諸原則を、われわれは一掃してしまおうではないか。

私的利害と社会的利害とがつねに一致するように、世界が天上から統治されているわけではない。この地上においても、実際に両利害が一致するような管理が行われていることもない。

干渉は一般に不要であり、一般に有害であるとする推論は排除せねばならない。おそらく今日における経済学者の主要課題は、政府のなすべきこととなすべからざることを新たに区別することであろう」

(ケインズ『自由放任の終焉』)より一部抜粋

『雇用、利子および貨幣の一般理論』

そこで、ケインズは古典派経済学に代わる新たな経済理論の構築したのです

それが『雇用、利子および貨幣の一般理論』であったのです

これこそ、マクロ経済学の誕生
すなわち「ケインズ革命」に他ならないのです

マクロ経済学の誕生という、このケインズの業績はケインズ革命と言われています

以下では、古典派とケインズの違いを通して、ケインズの経済政策論の特徴を見ることにしましょう💚

古典派経済学とケインズ経済学との違い

まずは、古典派とケインズの想定する前提条件の違いを整理しましょう

マクロ経済学では「どのように国民所得が決まるのか」についての議論が展開されています

この議論を大別すると、ケインズ経済学と新古典派経済学という2つの理論にわけられます📝

ケインズ経済学は、有効需要の原理を基盤にして、「需要側が国民所得を決定する」と考える理論です

これは、経済に十分な供給能力(生産能力、労働力)があるとして
(1)市場は超過供給(需要<供給)である
(2)失業が解消されない、という前提から生まれました

そのバックグラウンドとして
価格(賃金)は硬直的であり、需給調整は数量調整でなされるということを想定しています

つまり、短期的な経済は「長期的に実現しうる完全雇用水準での均衡」に対して不均衡(不安定)な状態にあるという考え方ですね✨

ケインズは、失業が発生する原因は
「需要不足により、過少雇用水準で経済が均衡しているため」だと分析しました

また、①  失業は、価格・賃金の調整に時間がかかること
②  価格・賃金の有効需要的変化を妨げる要因の存在(労働組合、最低賃金制等)があること、という要素に着目したのです

総じて、失業の原因は、有効需要の不足にあり、実態経済における需要が不足する限り
失業は無くならないと考察したのです

「有効需要が不十分であるという事実のみで、完全雇用の水準が実現する以前に雇用の増加を停止させることがありうるし
また事実停止させることになる」と
一般理論でも言及しているのです

この見解をベースに、失業対策が中心となった総需要管理政策
要するに「政府が積極的な経済政策(公共事業)を行って、需要不足を解消するべきだ」という理論が展開されています

代表的な施策として、世界大恐慌時代に実施された「ニューディール政策」が挙げられるのではないでしょうか?

ただし、経済政策には財源が必要であるため、国民の租税負担は大きくなります💦

ケインズの立場に立てば、財政政策などを積極的に行い市場に介入するが、その結果国民負担が大きくなってしまうという「大きな政府」を理想とすることになるのです

ケインズが需要サイドを重視する理論を展開していることから、ケインズ経済学のことをDemand side経済学、そして、ケインズモデルは、需要重視モデルと言えます

また、経済が「完全雇用水準での均衡」に対して不均衡な状態にある短期を想定していることから、ケインズモデルのことを短期均衡モデルと呼ぶ場合もあるので、覚えておいてくださいね📝

一方、(新)古典派経済学は、セーの法則を基盤にして、「供給側が国民所得を決定する」と考える理論となります

これは、(1)価格メカニズムにより市場は完全雇用水準で均衡(需要=供給)していること
(2)完全雇用が達成されていること、という前提から議論はスタートします

要するに、不況は一時的なもので、市場に任せておけば、価格メカニズムが働いて完全雇用状態が生まれ
経済は安定した均衡状態になるという考え方です政府が必要以上に経済に介入しない
つまり、国民負担の小さい政府が望ましいというスタンスですね

(新)古典学派が供給サイドを重視する理論を展開していることから、新古典派経済学のことをサプライサイド経済学(広義の意味で)

(新)古典派モデルは
供給重視モデルに該当しますね

また、経済が均衡状態にある長期を想定していることから、新古典派モデルのことを長期均衡モデルと呼ぶ場合もありますので、ケインズ経済学との違いをご理解くださいね🌟

有効需要刺激政策の提言

ケインズの立場に立てば、短期的な経済において不均衡が発生する1番の原因である失業に対して、有効需要刺激政策の提言することがキーポイントです📝

ここで、議論の単純化のために、有効需要は「消費+投資+政府支出」によって構成されるとしましょう

これをもとに、マクロ経済における総需要管理政策は以下のような施策が挙げられるのです

①所得税減税による消費刺激
②政府支出の拡大
③金利引き下げによる投資刺激

①~③のように、財政ならびに金融政策を通して、経済の総需要にアプローチすることの重要性をケインズは強く主張しているのです

②福祉国家体制時代の到来

第二次大戦中のイギリスで福祉国家の理念が誕生しました

ドイツのwarfare stateに対し、自由社会の目指す社会の枠組みとしてwelfare stateが掲げられたのです📝

そして、福祉国家の具体的形を示すものとして二つの重要な報告書が出版されたのです📚
① 『ベヴァリジ報告』(1942年)
② 『雇用政策』(1944年)

『ベヴァリジ報告』について

1941年に戦後の社会保険等のあり方を調査する委員会(「社会保険および関連サービスに関する関係各省委員会」、通称「ベヴァリジ委員会」)が設置されました

ベヴァリジの単独責任で
1942年報告書が完成されたと言われています
1942年12月1日出版

なんと、2時間で7万部、1年間で62万5千部が売れ、国民に熱狂的に受け入れられるような爆発的な支持を誇ったのです

William Henry Beveridge(1879-1963)

ベヴァリジ報告の内容について
簡単に整理しましょう

この報告書において、これまでのばらばらに
存在した諸社会保険を内に含み、体系的に
国民の生活保障を実現するための政策として
社会保障政策の必要性を提起しています

また、ベヴァリジ報告の社会保障の特徴は
以下の通りです

①全ての国民を対象としていること
②国家の役割は、最低限の生活水準、すなわちナショナルミニマムに限定されること

③最低生活水準の保障は国民の権利であること

④最低生活水準を超える保障は、各自の自己責任となること

⑤均一拠出・均一給付の原則にもとづく社会保険を中核とし、保険料を拠出できなかった人にのみ税を財源とする国民扶助(公的扶助)で
生活保障で対応すること

これらが代表的な特徴になるのです📝

ここで、基礎概念として
社会保障の理念を確認したいと思います😊

社会保障の基本的な理念とは、「国民の責任において、全ての国民にし最低限の生活を権利として保障する」ということになります

戦後のイギリスで実現されるとともに各国に受け入れられることになっていったのです

ちなみに、日本では、1961年国民皆保険・
皆年金の体制が整備されたそうですね📝

『雇用政策』の重要なポイント

雇用政策の内容として、完全雇用の実現を政策目標として受け入れるとともに、ケインズ政策を導入することを宣言されています👍

政府は戦後における高水準かつ安定的水準の雇用の維持を政府の主要な目標および主要な責任の一つとして受諾しました

その国は、その国の財貨とサービスに対する総需要が高水準に維持されているかぎり、大量失業に悩み苦しむことはない、という経済学的見解をベースに、雇用政策の有効性が期待されていたのです

そして、次第に完全雇用政策も各国で受け入られることになっていったのです👍

日本では1960年「国民所得倍増計画」以降、完全雇用目標が定着することになったのでした

③干渉主義から福祉国家体制の時代へ

まずは、福祉国家体制の定義についてしっかり確認します

福祉国家とは、市場経済を原則としながらも、完全雇用政策と社会保障政策を二つの柱とし、その国の政府がすべての国民に対し、安定した生活を保障する国家体制、であると言えます😊

そして、福祉国家体制の特徴は以下の通りです
①経済への国家の積極的介入
②国家の介入は、事前的で全般的なもの
③経済全般の調整は、市場と国家の混合で構成される

このような混合経済体制によって成り立っていることを確認しておきましょう🥰

多様な展開を遂げる経済政策論の歩み

戦後の経済成長に支えられた福祉国家の発展の歴史を振り返ることにします
まずは、福祉国家体制の変化についてです

第1の変化として、経済成長に伴う保障水準の引上げが実施されました

すなわち国民の最低限度の生活を保障する
ナショナル・ミニマムから豊かな生活保障へと転換していったのです

第2の変化として挙げられることは
国民の生活に何か問題が発生した際、すべて国家の責任になる、というスタンスへの転換です

すなわち、国家の果たすべき役割が拡大したと考察できます

このような変化を遂げて、国家は量的・質的に拡大(「大きな国家」へ)していくことになったことを整理していきましょう

国家の果たすべき役割と守るべき責任が増えたことで、国家の政策課題はそれに付随するように多種多様なものへとなっていきます

そして、これらの課題解決のために、多様な経済政策論の展開されていくことになるのでした

(1)社会保障論の展開
まずは、社会保証の諸研究が盛んになった戦後において、
社会政策論の重要性が高まってきたことを確認しましょう

(2)財政・金融政策論の展開
次に、ケインズ主義に基づく経済政策を中心としての研究が進みます

1960年代~1970年代におけるケインズ政策の有効性をめぐり、ケインジアンvs マネタリスト・合理的期待形成学派による大論争が実施されたのです

ざっくりと外観を整理すると
マネタリスト(代表的論者:M.フリードマン)の主張としては、 ケインズ政策は、短期的にしか有効でなく、長期的には無効と主張したのでした

そして、合理的期待形成学派(代表的論者:R.E.ルーカス)の主張としては以下の通りです

人々の合理的期待により、ケインズ政策は短期的にも無効であることを主張したのです
総じて、裁量的な財政・金融政策の無効性を主張したことが、ケインズ経済学派との対立という点ですね

なお、完全雇用を達成する手段は、財政・金融政策だけではないことも事実です
だからこそ、労働政策論の研究も盛んになっている時代でもありました

独占禁止政策論の登場

現在の市場経済には、強力な企業によって
独占化・寡占化の傾向にあります💦

完全競争市場という非現実的なマーケットコンディションは実現し得ないのです

戦前は、財閥の存在に見られるように容認されていたのですが、これが市場の失敗であることが顕在化してくるのです

時代が進むにつれて、独占のさまざまな
問題が認識されるようになるのです

よって、戦後、独占禁止政策(競争政策)の
必要性
が各国で受け入れられるようになるのでした

アメリカでは戦前から取り組みの代表的な法律として1890年シャーマン法が挙げられますね

他の国は、主に戦後から独占に対しての法整備が進みます
日本:1947年「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」
が整備されたことを抑えておきたいですね📚

少し補足になりますが1960年~1970年代に勃興した「ハーバード vs シカゴの論争」も取り上げます

ハーバード学派(代表的論者:J.S.ベイン)のスタンスとしては、独占や寡占の弊害を除去するために政府の介入が必要と主張したのです

また、対立するシカゴ学派(代表的論者:G.J.スティグラー)の見解は、以下の通りです

参入の自由が保障されれば、独占の弊害は一時的なものであり、長期的には除去される、ということを主張している学派になります

独占禁止政策(競争政策)は
産業政策論の重要な柱になりますので
ミクロ経済学:不完全市場競争の分野は
しっかり理解したいなと思いますね📝

公害・環境政策論の進展

高度経済成長の負の側面として、公害問題が
深刻化していたという歴史を私たちは忘れてはなりません

日本では四大公害(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ゼンソク)の発生は、皆さんの知識に刻まれているのではないでしょうか

1972年:ローマ・クラブ報告書『成長の限界』

そして、時代は流れ、公害問題から環境問題へと対象が広がってきます
そのため、なおさら公害・環境政策の重要性が増してくるのです👍

秩序政策論の展開🌟

1970年代以降、高度経済成長から低成長の時代に入るとともに、福祉国家体制の限界が露呈してきたのです💦
OECD諸国における1950年代および1960年代の社会プログラムの急速な成長は、高い経済成長率に寄与したとされています

したがって、OECD経済の運営の成功に、密接にかかわっていると認識されているのです

ところが、1970年代初頭からのOECD経済の成長パフォーマンスの低下は、プログラムの持続的拡張ならびに福祉の成長を崩壊を食い止めることができませんでした

この意味でそれは、福祉国家を危機から救うことをできませんでした💦

オイルショックなども経験したグローバル経済は低成長の時代を迎えます

社会保障などが拡充するなかで、財政赤字が慢性化し、財政破綻の危機すら顕在化してきたのです

このような社会情勢になり、福祉国家体制の見直しが求められたのです

このような中で、1989年:共産主義体制の崩壊を経験します

この東欧革命を受け、各国は新たな経済社会の枠組みを模索する時代へと突入することになるのです

これ以降の時代を、経済政策論の展開における「経済秩序実験の時代」と呼ぶことにしましょう
経済政策運営において、政府は何を引き受け、いかなる役割を果たすべきかを根本的に問い直す時代になるのです

だからこそ、私は、経済政策論の基礎を勉強することで、現在の経済政策運営に必要な考え方などを見出すことができるようになると思います
本日の解説は、いかがだったでしょうか?
マクロ経済学の誕生の歴史、そして一国経済に対する経済政策について、理解を深めることができたと思います


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