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震災復興と祈りの場


復興を綴り続けること。そう書いた。

2021年7月11日(日)
東日本大震災の発生から10年と4ヶ月。

何を書こう、と思いながら、今現在一番気になっていることを書くことにする。
それは「祈り」の形。鎮魂。

10年経って、復興祈念公園が多く整備された。
これらには、必ず祈りの場が設計されているのだが、そのコンセプトや設計意図などを調べはじめたところだ。まだ、ごく浅いもので、さらに、本来であればじっくりと時間をかけて慎重に扱わなければならないテーマであることは承知の上だが、自分用のメモとしても書き留めておきたい。


■高田松原津波復興祈念公園

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祈念公園内に、道の駅「高田松原」とメモリアル施設「東日本大震災津波伝承館」併設されている。
式典が行われる「追悼の広場」を持ちつつ、「海を望む場」にも献花台が設置されており、海に向かって祈りを捧げることができるようになっている。

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ホームページ等には、次のように書かれている。

・祈りの軸
津波の襲来した広田湾方向と津波が遡上した気仙川上流部分を結ぶ象徴的な軸線を示しています。
・海を望む場
祈りの軸上の第二線堤の上に、海への眺望や再生していく名勝高田松原、
および高田の市街地や郷土の山々等を広く望むことが出来ます。


■石巻南浜津波復興祈念公園

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集落の成り立ちの歴史や風土を示すかつての自然環境である「浜」と、震災前に蓄積された半世紀の想いや記憶を示す「街」、さらには東日本大震災による犠牲者を追悼し、被災の記憶を次世代へと伝承し、復興の意志を伝え続ける「祈念公園」、というコンセプトなのだという。

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祈りの場については、全方位に祈ることができるよう円形にした、とある。

The memorial square
多くの方々がつどい、震災により亡くなられた方々を追悼する場で、全方位に祈ることができるよう円形の広場となっています。


■気仙沼市復興祈念公園

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東日本大震災により犠牲となられた方を悼み、震災の記憶を後世に伝え、震災からの復興の様子を眼前に、未来の安寧を祈念する場所、とのこと。

上記の二つとは異なり、山の上に位置し、海と街の眺望がさらに明確になっている。
また、象徴的なモニュメント「祈りの帆-セイル-」が設置されている。

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■「祈り」を「整備」すること

私は、高田、気仙沼の公園にはそれぞれ訪れたことがあり、石巻南浜の公園は未踏だ。
祈りの場、とは何だろうか。という疑問に立ち返って見たい。

何に祈りを捧げるのだろうか。
❶海をはじめとする自然だろうか。
❷それとも鎮魂だろうか。
❸その両方なのだろうか。

現代において、あるいは、震災以降の事業においては、❷に焦点が集まっているのではと推測する。
海を含む自然への祈りは、それぞれその意味を持つ神社なりが、その役割を担っていることだろう。関連した祭りなどもそうだ。
現代のコミュニティにあっては薄れつつも、きっと、ある程度は。

それから、ある程度は科学的に解明・証明されてきていることもあり、「得体の知れないものに対して捧げる祈り」の温度感も過去のそれとは随分と違うものになったのだろう。


となると、やはり鎮魂の意味がこの10年の間に検討され、事業化され、実際に整備された。
10年後の供用開始は一つの目標だったのかもしれない。

ここで新たな疑問が湧く。
石巻では「全方位」的とした、鎮魂の向き。
陸前高田では、軸線を持ちつつ海を向く。
気仙沼では、象徴的なモニュメントが配されつつ、海や街への眺望が強調されている。
同じ災害であっても、鎮魂の祈りを捧げる形は三者三様だ。

鎮魂を祈るための場づくり。
それぞれの時間での鎮魂や供養。
共通する時間で、同じ場所で祈りを捧げる式典などの場。
普段とそうでない時間が交差する中で、個と共通体験の共有も時に交わる。

そんなインプットを「受け持つ」空間づくりの難しさも、そこはかとなく見えてくるようだ。

このテーマは、自分の中でも整理して、あらためて深めて行きたいと思っている。

(※本稿の石巻南浜と気仙沼の画像及び三つの公園の配置図はwebから拝借したもの。それ以外は現地で私が撮影したものです。)


▼これまでに書いてきた震災と復興に関する記事です。


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