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休日の自分、仕事の自分

こんばんは、ケニアpです。

ゴールデンウィーク、仕事のことを全く考えず、ただひたすら休みを満喫していました。時には友人と遊んだり、特に何も予定を立てず、思いつきで過ごして出かけたり、そんな1週間くらいの日々。脳裏には「仕事」という二文字はなく、しがらみから一時解放され、自由に過ごせる時間はたくさんあったのに、どこか充足感がないというか、何をしたいのか、思いつかない時もありました。

そんな時、ふと思いました。

「仕事がなければ、自分は何者なのか」


SNSを覗けば、以前から計画を立てた行楽地に赴いたり、友人同士の食事を楽しんでいたり、「休みをちゃんと満喫している」そんな風に見える人が多かったように思います。

きっとSNSに映った方々は、ちゃんとGW前から計画して、
連休はどう過ごそうか、どう過ごしたいのかを考えていたんだろうなと。

つまり、

常日頃から、「自分は何がしたい人か」という、自己理解がしっかりできている。

そんな風に、思えるわけです。

一方、僕は休みの日になると、何をしたいのか、わからなくなることが多々あります。
やりたいことはたくさんあるはずというか、頭の中では思いついていることがあるのに、いざ休みの日になると、何も行動に起こせない時があり、一日無駄にしてしまったなと、後悔してしまう。

逆に、仕事がある日は目の前の仕事があるし、仕事における自分の役割があるから、その使命を真っ当することに専念できるため、充実した日々を送ることができ、満足感がある。

それはきっと、
「仕事において、自分はこういう人だ」という、働くことへの自己理解ができているからである。

仕事において、自分はこういう仕事がしたいだとか、将来はこういうポジションで働きたいという、いわゆる「キャリアビジョン」というものは、しっかり確立できているから、自己理解はできている方だと自負していた。

でもそれは、本当の自己理解と言えるのか。

自分を自分らしく規定しているものは、実は”仕事”だったのかもしれない。
いっぺん真っ当に聞こえるが、逆に言えば、
「仕事に依存した」自分自身を確立している
ということになる。

仕事をしていない時、自分は社会の中でどういう存在なのか。

社会で生きる自分の中には、

・仕事をしている時の自分
・仕事をしていない時の自分

その両者がいることを、念頭に入れた上で、

自分は何者なのか、何がしたいのかを自覚する必要がある。

自己理解がまだまだ足りないなと、改めて思った、
ゴールデンウィークの最終日でした。

自己理解ができている人って、意外と少ないんじゃないのかな。


ケニアp


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