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ビスコの少年 円城塔『オブ・ザ・ベースボール』

物事には理由があるというのはぼくの上司の口癖で、事あるごとにほら見たことかという調子でペン回ししながらしたり顔になるわけだけど(したり顔というのはほんとうに、したり、という音がする)、理由というか、物理的な説明に支えられた必然性なんてないんじゃないか、と未だにオフィス机の引き出しに潜んだビスコの少年の顔を思い出しながら考えている。

ユニフォームを着てバットを持っているから白球を打つ必然性は、物理的には説明できず、それはどこともしれない宇宙から落ちてくる人間を打ち返すことだって構わないじゃないか。そうであるからそうなんです、としか言えない自己循環論法。それで人間は人間らしくやっと振る舞える。

円城塔『オブ・ザ・ベースボール』は、意味がないのに、いや、意味がないからいっしょうけんめいに生きるひとが描かれている作品で、彼が物理的な素養を駆使すれば駆使するほど、その差異ははっきりしてくる。

読みながら、彼は、言葉に操られた経験を持っていて、それを自覚している作家なのかなと思った。それはきっと『文字渦』にもつながっているみたい。まだ読んでないけれど。

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