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時代はアートだべ。

今日はシドニーにあるMuseum of Contemporary Art
(シドニー現代美術館)に行ってきた。


シドニー現代美術館

このnoteを読んでくださった方はご存知かと思うが、
足と腰に爆弾を抱え、この1ヶ月まともに歩けなかったので久々のお出かけ。

ちなみに、足と腰の怪我にプラスして2日前に携帯が一切ネットに接続できないという不具合も起きた。
Appleストアで初期化してもらい何とか直ったが、店員さんも壊れた原因は分からなかった。


携帯が壊れる前夜、翌日誕生日を迎える男友達に
「お前にとっての誕生日は、俺にとっては平日。365分の1や!!」と博多華丸さんが叫んでいる動画を送りつけるというよく分からないイタズラをしたバチが当たったのか。

それとも、

同じく前夜、どの程度の変顔までならFace IDって反応するんだろという変な好奇心に駆られて、20分弱もの間、中途半端な変顔を見せ続けた事でiPhoneの堪忍袋の緒と一緒にネットも切れたのか。


真相はわからないが、そんな事はさておき
今日はアートについて。

個性的なアートが沢山でとても楽しかった。

紹介したいものは沢山あるが、
今回は、この美術館についてではなく、
僕がアートを観る時に大事にしてる事を紹介します。





最初に、

アートは、「植物」に例えられる。


作り手が興味・好奇心という「種」を植えて
自分の考えや問いという「探究の根」を伸ばし
作品という「表現の花」を咲かせるもの。






何言ってんの?

と思う人がほとんどだと思う。
そこで少しアートの歴史を振り返る。





アートは14世紀から19世紀までの500年間、
「いかにリアルに書くか」が共通のゴールだった。
だから、その時代の芸術家は写実的な絵を書くという事だけを目標に日々努力していた。


しかし、その時代に終わりがきた。
カメラの出現だ。
「カメラができた。今日を境に絵画は死んだ」
と言われるほど、芸術家にとっては大きな出来事だった。



そこでゴールを失った芸術家達は、
芸術とは何か。何のためにあるのか。
そして自分なりの芸術とは何か。
を考えるようになった。




今回は、その時代の芸術家の絵を用いて、
アートの「種」「根」「花」について説明する。


ピカソの「アヴィニョンの娘たち」という作品。

皆さん、この絵を見た時どう感じましたか?




作品、「花」の部分だけを見ると、

身体は変な色だし、身体の輪郭も直線で人間らしくない。
顔が横を向いているのに、目は正面を向いていたり、
鼻は横向きなのに、顔は正面を向いている。
そして、
後ろを向いて座っているのに
顔は正面を向いている奴さえいる。


なんだこれ。と。
全然リアルじゃない変な絵だと思ったはず。




しかし、ピカソは、
「リアル」とは何かを追求してこれを描いたのだ。



「リアル」とは何かという問いの「種」を植え、
「リアル」とは、写真のように必ずしも1つの視点からじゃなくてもいいのではないか。1つの視点からだと、描けない場所は必ずあるのに、それを「リアル」と呼んでいいのだろうか。本当の「リアル」とは、色んな角度から描いて全部見えるという事ではないのか。という探究の「根」を伸ばし、この作品という「花」を作り上げた


だから、鼻が横向いてたり、顔が正面だったり、色んな角度から見られていると分かる所がある。
ピカソは、その人の全てを詰め込み、たくさんの情報を多視覚的に描く事で「リアル」を作ろうとしたのだ。






少し説明が長くなったが、

これが
作り手が興味・好奇心という「種」を植えて
自分の考えや問いという「探究の根」を伸ばし
作品という「表現の花」を咲かせるもの。

という事なのだ。



どう?面白くない?





だから、アートを観る時、
「花」の部分を見て、綺麗だ美しいという感想だけで終わるのは、少し勿体無い気がする。

隠れている「根っこ」「種」の部分にこそ、
面白いものが埋まっている。



だからといって、
絵の横にある解説文をすぐに読むのも、NGだ。


それも勿体無い。



せっかくなら、
自分なりに考えてみた方が絶対に楽しい。





僕はアートを観ることは

自分なりのものの見方・考え・問い


を探す力をつける事に役立つと思う。



絵を見た時に
自分はどう感じたのか。
「楽しそう」「寂しそう」みたいな。

これだけだと、ただの感想になっちゃうので、
そこから少しだけ掘り下げる。


何故そう感じたのか、何を見てそう感じたのか。
を考える。


ここで大事なのが、
事実に対して、何故そうなのかを考えるのではなく
自分の主観に対して、何故そう感じたのかを考える。


この「自問自答」を繰り返す事で、
「ものの見方・考え・問い」に
「自分の色」が出てくるようになるんだと思う。


そしてこれは、
アート以外の日常生活でも使える考え方だと思う。



現実には正解が無いことが多い。


だからこそ、
「自分なりのものの見方」で何かを見つめ
「自分なりの答え」を見つけ
「新たな問い」を生み出す

事が必要となってくる。








おしまい。



「13歳からのアート思考」という本で、僕はアート思考について学びました。とても面白いので、もし興味があれば是非読んでみてください。

https://www.amazon.co.jp/「自分だけの答え」が見つかる-13歳からのアート思考-末永-幸歩-ebook/dp/B08491KV9Z

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