7歳にして文系に進むことが確定した日
私は幼少期、計算が非常に得意でした。
幼稚園の時点で、とりあえずその辺に転がっているような桁の数であれば、百万単位の数だろうが足し算や引き算は暗算で計算できました。
そろばんをやっていたわけではないので、高速のフラッシュ暗算のようなものは無理でしたが、常識的な範囲内の暗算力は群を抜いていたと思います。
なので、周りからは理系だという風に言われていました。自分ではその意味がよくわからないものの、
計算が得意→算数が得意→理系
みたいな単純な構図で、自分でも理系なのかなと、うっすら意識していました。意識させられていたというか。
ただ、指導者としての現在の私が幼少期の私を見ていたら、全くもって理系には見えません。この子はド文系じゃないかと。
興味の対象や思考回路を考えればすぐにわかることです。
文系と理系を分けるもの
私の考える文系と理系の定義はシンプルです。
人の行動や気持ちを介して生じる現象に興味が向く人は文系。そうでない人、つまり間接的には人に関係していても、第一義的に人に関係のないことに興味がある人は理系。
シンプルじゃなくなりましたね。笑
要は人に興味があるかないかです。
言い換えると、ヒトへの興味が強いか、モノへの興味が強いか。
もちろん各人の中に、文系理系の比率があります。
10:0や0:10ということはほとんど無く、7:3くらいで文系、3:7で理系みたいな人が多いことでしょう。
マッドサイエンティストレベルだと0:10ってことですかね。
本質的文系人にとっての理系的処理の壁
小学校入学後の私は、算数はそのまま出来が良かったのですが、中学受験時に国語の力が一気に開花して算数の能力を超えていきます。算数に関してはそれなりに得意科目と言えるレベルではありましたが、最難関中学レベルの問題には全く歯が立たなくなっていました。
それでも中学時代の数学は得意だったものの、高校に入って一気に数学に興味を無くします。後から考えてわかったのですが、高校数学を解いている時に、頭の中に「色」が全く入ってこないことが、私から数学を遠ざけたように思います。
算数の文章題なんかは頭の中の映像がカラーっぽいんですよね。ですから、算数とは関係ない普通のお話に数字が混ざってるくらいの感覚で文章題と向き合っていたのだと思います。
実はこれが文系人にとっての算数のコツだったりします。
算数が苦手で国語が得意な生徒に、「算数の文章題の文章を国語の文章だと思って読んでみたら?」と声をかけると、算数の成績が劇的に改善することは今までにもよくありました。
当たり前のことですが、どうしても算数の問題を解いている時には、完全に頭の思考回路が算数モードになってしまっているんですね。そういう子に対して、「国語モードを算数のテストでも使うといいよ」とアドバイスすると効果があるわけです。
国語が得意な子の持つ、「文章を明確に映像化する力」を使うことで、そこで起きている現象を動画的に捉えることができ、その様子を計算式に落とし込むという流れが可能になります。
ただ、残念ながら高校数学レベルになると、全くと言って良いほどこのテクニックは使えません。あくまでも中学受験算数限定のテクニックです。
現在の私は文系出身といえども、指導者として高校数学もセンター試験レベル、中堅私大レベルまでは指導することもあるのですが、理系の生徒を指導していて、高校時代の私との違いがよくわかりました。
瞬間的に公式に数を当てはめるスピードが段違いなのです。私の場合、公式に数を代入する際、考えながらやるような感じなのですが、理系で数学が得意な子は反射的に代入できている感があります。
当時の私が全く勉強していなかったということを差し引いても、処理のスピードに雲泥の差があります。理系の子は目が強いなというのが私の見解です。目で数学を解いてるなと。私をはじめ文系の子は公式を音で意識してしまっているところがあります。小学校の算数の代名詞である「九九」がその感覚を助長させてしまっていると思います。
暗算が大得意だった幼稚園時代、母親が九九を教え込もうとしてきましたが、当時の私はまだ音で数を捉える思考回路ではなかったので、何の呪文を唱えているのかと思っていたくらいで、全く覚えようとしませんでした。
「にさんがろく」と言われるよりは、「2が3つで6」とでも言われた方がすぐに理解できたことでしょう。ただ、そこで変に理解してしまったら、九九を音で覚えようとしなかったかもしれないので、九九が意味不明なままにしておいたのは逆に良かったかもしれません。
文系へのターニングポイント
そんなわけで、大学受験時にはバリバリの文系として仕上がってしまったのですが、そのターニングポイントがどこにあったかというと、高校数学などではありません。
7歳のある日がきっかけだと思います。それは忘れもしない小2の5月5日。こどもの日の出来事です。
ゴールデンウィーク最終日ということだからかはわかりませんが、その日は外出せずにテレビで野球を観ていました。
後楽園球場での伝統の巨人・阪神戦。試合は巨人劣勢で進み、2対3でリードを許したまま、最終回9回裏を迎えます。
阪神のピッチャーは前年26セーブを記録した当時の絶対的リリーフエースである山本和行投手。阪神の逃げ切りが予想されました。
巨人はランナーを1人出しているものの、すでに2アウトまで取られ、試合終了まであとアウト1つ。
バッターは入団3年目の4番バッター、原辰徳選手。言うまでもありませんが現巨人監督の原さんです。
まだそれほど野球に興味が無かった私でしたが、だいたいのルールは把握できてきた頃で、一緒に観ていた父親にこんなことを呟きました。
「これでホームラン打つと逆転サヨナラなんだよね?」
父は阪神ファンだったので、私からの問いかけに軽く頷きつつ、そうなることは願っていない様子でした。
そして……
原選手の打球はレフトスタンドに消えていきました。
逆転サヨナラホームラン。
それと同時に私の中に新たな感覚が芽生えたのです。
「筋書きのないドラマとはこのことか!」
「事実は小説より奇なり!」
などというワードが7歳の私に浮かぶはずもありませんでしたが、そう言っても差し支えないようなことが現実に起こったのを初めて目の当たりにして、かつてない興奮を覚えたのは確かです。
「現実に起こることってめちゃくちゃ面白いな。」そんな気持ちだったように思います。
何を叫んだかは覚えていませんが、大はしゃぎしたことは覚えています。つまらなそうな父をよそに。
当時の私は別に巨人ファンだったわけでもなく、原選手のファンだったわけでもありません。
しかしその日を境に、原選手のファンとなり、原選手のいるチームということで巨人が好きになります。その後野球に詳しくなるごとに贔屓のチームは変わっていきます。
ただ野球と本格的に出会った1983年に関しては、巨人ファンとして過ごし、シーズン後のファン感謝デーにも行った記憶があります。
ちなみにその年の巨人戦の年間平均視聴率は27.1%で、長い歴史の中での歴代1位です。社会全体の野球への興味が凄まじかったので、当時の小学生は「どこファン?」という唐突な言葉だけで野球の贔屓チームを聞けたものでした。今となっては隔世の感がありますね。
かくして野球というものに興味を持った私は、さすが小学生、すぐに行動を起こし始めます。
その次の日からではないかもしれませんが、とにかく新聞のスポーツ欄を貪るように見始めました。それが朝の日課になっていきます。
そして6月あたりからその後の私の学力を左右する「ある作業」をスタートさせます。この「ある作業」のおかげで私は学力的にとてつもないレベルアップを果たします。その話をするとまた長くなりますので、それはまた別の機会に。
あの日を境に、新聞、雑誌、選手名鑑、その他ありとあらゆる野球関連の本を読むようになり、様々なチームの栄枯盛衰、選手だけでなくコーチや監督も含めた、野球に関わる一人一人の人間の生き様を知ることとなりました。
そのようにして、一気に「歴史」への興味、「人」というものへの興味が湧き上がったわけです。
文系への道が完全に開かれた瞬間です。
もしあの日、原選手がホームランを打たなければ私は理系に……ということは無いでしょうが、間違いなく思考回路の変化の時期は後にずれ込んだことになるでしょう。
そして7歳のあの日をきっかけにスタートさせた「ある作業」が無くなっていたら……、私の学力は随分と下方修正されていたかもしれません。
人生の分岐点は一体いくつあるのか……。
そう思わずにはいられない、また決して忘れることのできない1日の話でした。
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