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“私が信頼しているもう一人の私”と会話する私

あそこ行ってみたい!
あれが欲しい!
雑誌で見たお料理食べたい!
これやってみたい!

欲求が湧いたとき

時間がない。
お金がない。
体に悪い。
危ない。

何かと理由をつけてブレーキをかけていた

それは自分を守る為でもある反面
新しい経験をする機会を逃すことにもなる

数年前フリーターをしていた時に
ほんとにお金がなくて(お金の使い方が下手くそで)

行きたいところがあるけど電車賃が勿体無い
友達と遊びたいけどお金が無くなるのが怖い
好きな服屋さんに行っても、どうせ買えないから行かない
などなど

いつも頭の中が「お金がない不安」でいっぱいだった

ある日、当時まだ結婚する前の現旦那さんに
「お金がない不安」を話して泣きべそをかいた

そんなん言われても〜って感じやけど
優しく話を聞いてくれるもんやから

泣いたらスッキリして
そんな理由で泣いてることがバカバカしくなった

その後この日の出来事は「葛西事件」と名付けられ(当時、江戸川区の葛西に住んでいたってだけの理由)
度々笑い話のネタとして登場する

きっと後世語り継がれるだろう

そんな私が「お金ないない」の時に気づいたこと

色んな欲求を無視し続けていると
全てのことに興味がなくなる。ということ

今思うと、悟りの境地だったのか?笑

その状況を受け入れていれば
ブッダへの道が開けたかもしれないけど

到底受け入れられなかったし
全てに興味がなくなった私の心は貧しかった

「どうせできない」「どうせやらない」と自分への期待と信頼がなくなり

気持ちも内へ内へ入っていった

それでも、
その生活を選んでいるのは自分自身だから。と、
言い聞かせては納得するフリをして

周りの人に不機嫌をぶつけていた
(ヒドイねぇ。ごめんなさいねぇ。完全に副腎疲労でした。)

それから数年経ち、
今の私の収入は当時と比べてあまり変わらない

他の仕事も経験して、増えた時期もあったが
今また少なくなった

しかし働き方は大きく変わった

フリーター時代は
週5日、飲食店で朝から終電まで働き(間にアイドルタイムがあるので、拘束時間に対して給料が少ない)

週1回、派遣のバイトに行き
残り1日の休みも大したことはしていなかった

興味があって始めた飲食店でのバイトが
いつからか”働かされている”という意識に変わり
不規則な生活も相まってストレスが溜まる一方だった

お給料に関しては、私の労働の対価であるから
それくらいの働きしかしていなかった自分に責任があると思う
それを自覚するほど、やっつけで働いていた

今は二足のワラジ生活で
週に3日ほどの仕事と
フリーランスの仕事で生計を立てている

とはいえ、毎月少しずつ貯金を削っていて
今のところ赤字生活

この生活に切り替える時も「お金が無くなる不安」は
かなり大きかったが

どれだけ時間を費やして、ストレスを感じながら働いてもお金がなくて苦しかった時よりも

一時的に収入が少なくなることは承知の上で、今の生活を「自分で選択した」という事実は、自分の人生を生きてる実感と自信を感じさせてくれている

まぁダメなら仕事を週5に増やせばいいし
最悪死なへんか。と、最初は思い込むようにした

今も不安は0ではないが、
お金がない不安より、自分に合わない生き方を続けていく方が不安だった

もっと自分らしく伸び伸びと丸裸で生きたい
もう、嫌なことを我慢するパワーを使い果たしてしまったのだ

何より今は”働かされている”という意識はなく
自分で選んだ生活を楽しんでいる

そして最近の私は、しっかり欲を感じて行動している

美味しそうな野菜があれば買うし

素敵なカフェがあれば行く
そこでは好きなものを注文する

身の回りのものは”好き”で囲みたいから
値段ではなく気持ちで
お店や商品を選んだりするようになった

「お金がない」を理由に諦めることを辞めた

もちろん現実的に生活を苦しめるほどの出費はしないけど
湧き出た小さい欲求を都度満たすように心がけ始めた

野菜なんか高くても何千円もしないし
一回コーヒーや砂糖を摂取したからって病気にならない

むしろ、その程度の支出で欲求が満たされるし
経験とか幸福という名の資産が増えていると思う

昔の私はイライラした日に
缶ビールとパーティーサイズのポテチで自分を満たして有機栽培の野菜は高くて買えないと嘆いていた

同じお金、同じ体力でも
使い方次第で幸せ度は何倍も変わるのだと実感する

念のために言っておくと
お酒もポテチは今も好きです
欲しくなる量も回数も減ったけど


ずーっと他人軸で生きてきた私には
そもそも自分の欲求に罪悪感を感じていた

こんな私が、、、私なんか、、、と

自分の選択は正しいのか、周りの人の顔色を窺ってばかりだった

そんな私が自分の欲求にOKを出すのは
なかなか至難の業

最初は旦那さんの反応、親の反応が
気になって怖かった

意見されること=否定されている
と、心のシャッターを下ろすこともあった

私が1番覚えている勇気を出した大きなOKは
コストコで1000円の冷凍マンゴーの大袋を買ったこと(小さい!!笑)

今までなら、買ってみたい!と同時に、
どうせ食べへんか、、、で相殺して終了

でも、よく考えたら1000円て!ランチ1回分!!

私の中で ランチ1回 vs マンゴーの戦いが始まった。

一度売り場を離れる。
他の商品を見ながら、あれやこれや言う。
でも頭の中ではマンゴーがチラついている。

デットヒートの末
ついに、買ってみたい!の気持ちが勝った。

私は旦那さんに
「やっぱり私、マンゴー買いたい!」と言って
冷凍コーナーに急いで戻った(嘘のような本当の話)

旦那さんは

ほんまに欲しけりゃ買えばいいんやで?
それで幸せになるなら安いもんやで?と
当たり前のように言ってくれたけど

私は、つい先程まで自分の中で繰り広げられていた
戦いの軍配がマンゴーに上がったことに少し興奮していた

新しい選択をして調子に乗った私は、その日、ノリにノッて
トマトソースのでっかい瓶が3本もセットになった
“普段なら絶対買わない物”も購入して大満足で帰宅した

そんな小さいことがスタートだった

でもそんな小さいことが私には大きな一歩で
記憶に残る成功体験になった

そこから少しずつ毎日湧いてくる小さい欲求を
無視しないようにした

買うか買わないか、の結果が大事なのではなくて

自分と相談する前に「どうせ買えない」とか「どうせ使わない」と決めつけて
欲しいと思う欲求を無視する、その時感じた感情を無かったことする、というのをやめる練習を続けた

そこから、本当はどうしたい?と
自分に問いかけるようにした

もし、親や信頼する人に相談したい時に
「あんたはどうせ○○だからやめときなさい」と
頭ごなしに言われ続けたらどんな気持ちになるだろう?

「どうせ使わない」「お金の無駄」
「どうせ続かない」「時間の無駄」

そんな事ばっかり言う人とは付き合わない!と思えるほど
自分の足でしっかり立てていれば良いが

私なら、そんなこと言われ続けたら、
自分はそういう人間だと思い込んでしまう

逆に、どんな人なら安心して相談できるだろう?

共感して寄り添ってくれる人
理解しようと耳を傾けてくれる人
私を好きで居てくれる人
愛を持って接してくれる人
嘘をつかない人

善悪で判断せずに私個人と話をしてくれる人

だから私は、私に対して
そういう存在でいる事を心がけている

迷った時、落ち込んだ時、嬉しい時、楽しい時も
励ましたり、寄り添ったり、一緒に喜んだり、褒めたり

感情的になったときこそ
自分の感情に飲み込まれすぎないように一歩引いて、
でも、寄り添えるように

大事な友達のように
可愛い子供のように

心の中で対話する

“自分が信頼しているもう一人の私”と会話する

湧き出た欲求を無視せず
やりたい理由と諦める理由が同じくらい出てきても

本当はどうしたい?と聞いてみる

興味が出たことは行動してみて

しっくりきても、こなくても
お金と時間は減っても
経験という財産が得られるから

無くなることにだけ焦点を当てて
恐怖に囚われる必要はない

そんなことを続けた結果おかげさまで今、現状の収入は多くなくとも楽しく暮らせているし

自分が楽しいこと、人の役に立つことを続けていれば収入はついてくると思えるようになった(たまには不安になるけど、人間だもの)

幸せな瞬間・幸せな日が、1週間・1年間・10年間積み重なると結果的に幸せな人生になる

最高に楽しい幸せな人生だった!と清々しい気持ちで人生の幕を下ろすためには、清水の舞台から飛び降りるようなドラマチックな出来事や、でっかい花火を打ち上げることよりも

今心に浮かんだ小さな望みを叶えてあげることの方が大切なのかもしれない

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