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未熟な自己を晒して文章を書く:「いますぐ書け、の文章法」のことばを送る①

これまで文章を書いて公開する練習をあまりしてこなかったのですが、今年に入り「地域のリアルがわかるリレーマガジン現場の声」というnoteの共同執筆マガジンというものに参加させていただき、周りのみなさんに何とかくらいつこうとnoteに挑戦しています。第一線で様々な取り組みをされている方達がおり大変刺激的で多くを学ばせていただいています。

というわけで何としても文章を書かなければならない、そんな自分を後押ししてくれてる本が「いますぐ書け、の文章法」(堀井憲一郎著)です。今回はこの本から大事な考えを引用し、まだまだ書く勢いの足りない自分に熱量を与えようと思います。

文章を書くことの根本精神はサービスにある。サービスとは「読んでいる人のことを、いつも考えていること」である。

著者は文章を書くということは根本的にサービスであり徹底的に読者のことを考え続けながら書く必要があるという言います。そして、「うまい文章を書かなければ」と悩む僕に突き刺さるメッセージをこう飛ばしました。

うまく書きたいとおもってるのに書けない場合、どうすればいいのか。うまく書きたいとおもわなければいい。ちょっと禅問答みたい。でも、そうなのだ。細かくいうと、「”うまく書きたい”とおもってる意識そのものに問題があるので、それをちゃんと取り除けばいい」ということになる。

つまり、そもそも文章を書き始めたばかりで「うまい文章を書く」なんていう自己満足の意識はどうでもいいから、読む人へのサービスを考えろ!ということに気づかされました。

しかも、これは「地域のリアルがわかるリレーマガジン現場の声」を主催している駆け込み寺住職こと木下斉さんにも言われたことそのままでした。

そして、うまく書きたい意識を捨てると同時に文章を公表することに慣れていない自分に必要な考え方のふたつ目が、文章を書くということは自分を晒すことであり、晒さない限り文章は書けないということでした。

基本、文章を書くということは、自分を"さらす"ことだ。少なくとも晒す可能性はいつも秘められている。自分をまったく晒さずに文章を書くことはできない。そこは覚悟しないといけない。自分が多少なりとも晒される覚悟で文章を書くか、晒さないためにまったく文章を書かないで一生を過ごすか、選ばないといけない。(中略)
文章を書くかぎり、どうしても自分を売り込んでしまうことから逃れられない。文章というのはそういうものなのだ。その覚悟をしておいたほうがいい。開き直ったほうが、あとあと楽なのだ。(中略)
いや、私、自分を主張したくないですから、という気持ちはわかる。ただ、世にある「意味の通じない文章」の多くは、その気持ちが生み出している、と言っていい。

これも心に響きました。これまで文章を書くにあたって無意識のうちに自分が外に出ないように隠そうとしていた自分とそれに違和感を感じていた自分がいたことは間違いないからです。

しかし、著者に言われて改めて思いましたが、自己を晒さないように頑張って書いた自分の文章は確かにつまらなかった。それは文章力以前の問題でした。

文章を書く経験がまったく不足している自分が、さらにかっこつけて自己晒さないのではますますつまらなくなってしまう。

気取った文章を書いてごまかすよりも未熟な自分が踊り狂って奮闘する姿を晒す方が、同じようなところで苦戦している人にはきっと役立つはず。

自己を晒さず文章を書かず一生を終えるよりも、自己を晒して文章を書き、読む人に貢献したい。そう考えてこれからも「書けない、書けない!」とかいう情けない自分も晒しながら精進します。


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今回読んだ本はこちら。すでに新品の在庫がほとんど無いためAmazonでは中古価格が上昇中でした。

と思ったら丸善のウェブサイトでまだ定価販売あり。一部店舗にも在庫があり。こっちで買えばよかった。


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