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心の架け橋をかけていく

最近、心理学の講座を受けることにした。
元々子供の頃から心理学を学びたかった。
高校の時、文理選択で理系を選んだ。
本当は文系に進んで心理学を学びたかったけれども、私が子供の頃は「心理学なんて学んで会社で何の役に立つんだ」みたいな風潮があった。
だから、私は迷った結果、理系を選んだ。
将来の就職を考えて、親のいうことを聞いて、本当は学びたかった科目を捨てて、私は理系に進んだ。
その当時は、将来職に就くなら理系に進んだ方がいい、みたいな風潮があった。
実際、私が今こうして一応技術職として働けているのは、自分が理系に進んだおかけだ。
事実、私のクラスメイトに大学で心理学を学んだ人がいたけれど、その人は結局システムエンジニアとして働いている。
UI/UXなんて言葉が認知されていなかった時代。
当時はスマートフォンなんてものがないから、アプリの開発に心理学が使われるなんで誰一人考えたこともない時代。
まさかWebサイトに心理学が使われるなんて、誰も想像していなかった頃の時の話だ。

昔からコミュニケーションが苦手だった私は、どうしたら改善できるのか、ずっと悩んでいた。
他人の感情が判りたい。
もっと他の人と話せるようになりたい。
そんな気持ちがあったためだろうか。
心理学を学びたいと自然に思うようになったのは。
大人になってから一層思うようになった。
受験とか、就職とか、出世とか、自己実現とか、そんな世間の考えとは一線を画して、ただ自分が知りたいことを知りたいときに知る。
そんな純粋な心から、心理学の講座を受けることにした。

私たちはそれぞれ、見える世界が違う。
まずはそれを学んだ。
コップに半分入った水を、「あと半分も水がある」と考えるか、「もう半分しか水がない」と考えるか、それは人それぞれ違うのだ。
私とあなたと見えるものは一緒でも、見えている世界が違う。
その違いを知ることが第一歩だった。
人は自分と違うものに不安を覚え、わからないことに不安を覚える。
不安を除く方法は、同じところを見つけることであり、わからないことがわかるようになることである。
単純だけど、奥が深い。
自分の考えることは、相手も考えているはず。
そんな考えは浅はかだけれども、つい私たちは相手も自分と同じように考えているだろう、と思ってしまう。
じゃあ、その違いを埋めるためには何が必要だろうか?

相手のバス停まで迎えにいく。
講義の先生の言葉だ。
そう、自分から相手に話かけ、相手の話題に自分から入っていくのだ。
自分と相手の間に距離があるなら、その距離に気がついたら、自分から相手の近くにいくのだ。
自分と相手の間にかける架け橋。
それをラポールと言うらしい。
心の架け橋を自分からかけにいって、相手が見ている世界を自分も見にいくのだ。
これが簡単なようで難しい。
私もついこの間、仕事先の人の進捗が遅れていることに、なぜだろうと思わなかった。
たまたま、他の人と会話していたときに、進捗がないことに気がついて、仕事先の人に確認してみた。
そしたら、自分の情報伝達ミスで仕事が遅れていたことに気がついた。
失敗してしまった。
もっと早くから、なんで進捗が止まっているのだろうか、と仕事先の人に架け橋をかけるべきだった。
自分と相手は見える世界が違う。
些細な気づきと、ちょっとした気配り、小さな疑問。
それが自分と相手の心の架け橋になり、自分が相手が見ている世界を知るきっかけになる。

心理学を学んで、心の架け橋をかけられるようにしたい。


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