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あの素晴らしい廃人生活をもう一度

「Z世代って知っている?」

突然、母がそんなことを口にした。

ああ、私よりも下の若い世代のことだねえ。確か、90年代半ばから2000年代生まれの世代の総称だったと思う。
そんな返事をした。

「ラジオで聞いたけれども、最近の若い芸人たちは将来に不安があるから資格の勉強をしているんだって。将来、今の仕事で食べていけるかわからないから。資格の勉強をしている若い芸人さんたちはZ世代なんだって」

母の言葉を聞くと、改めて最近の若い人たちは意識が高くて違うなあ、と思ってしまう。

「あんたも資格の1つくらい勉強してみたら?」

母の一言が突き刺さる。
余計なお世話だ、という言葉が喉から出そうになったので、急いで口を閉ざす。
たとえ自分の身を案じての言葉だったとしても。

自分だって今は一生懸命勉強している、と母に反論してみた。
自己啓発の本を読んだり、YouTubeで仕事術の本とか紹介している動画を何度も見ていると。
今は机に向かって勉強するだけが勉強の仕方でないと。
半分言いがかりのような反論だったけど、母は「あ、そう」とだけ返事してその場を後にした。


将来に不安を感じて勉強する。
少なくても私がZ世代の人たちを同じ年代の頃は、そんなこと微塵にも思わなかった。
彼らが勉強する原動力は、きっと不安だけではないと思う。
将来への希望、夢、目標、そんなプラスの部分もきっとあるはずだ。
夢とか希望とか目標とか、そんなのとっくの昔に捨て去った私にとって、眩しすぎて目が眩みそうな言葉である。

少なくとも私はそんな輝かしいプラスの目的はない。
もしかしたら、隠れたプラスの目的があるかもしれないけれど、少なくとも日々の生活で自覚しながら過ごしていない。

一方で不安はある。
将来、食べていけるのだろうか、という漠然とした不安が。
その不安がどこから来るかと言うと、若い頃に努力してこなかったことに行き着く。

ちょうどZ世代の人たちが今仕切りに勉強している年齢のとき、私は廃人一歩手前になっていた。


若いころの自分は廃人のような生活をしていた。
学校では勉強もしない。
社会人になってもろくに働きもしない。
お酒とテレビゲームだけが友達で、毎日浴びるように酒を飲み、一人徹夜ゲームで遊び、朝になって寝る。
そんな生活を繰り返していた。
当時は楽しくてしょうがなくて、それしか楽しみがなかったから、自分がやっていることを考えることもなかったけれど、今思うと時間の無駄だったと思う。

私はドラゴンクエストやファイナルファンタジーといった、ロールプレイングゲームが大好きだった。
反対に、格闘ゲームやシューティングゲームなどプレイにセンスを問われる他のゲームはやらなかった。
理由は下手だから、それに尽きる。
何度もやっても上達なかったから、つまらなくなってやらない。
一方で、ロールプレイングゲームは自分が頑張ればいつか絶対にクリアできる。
だから続けた。
興味のあるタイトルは片っ端からプレイした。
自分の心が満足し切るまで、ゲームをやり尽くした自負がある。

そのおかげで廃人一歩手前の生活だった。
24時間のうちゲームと酒が3分の2を占めて、他は必要最小限の食事と家事、そして寝るだけの生活。
将来の希望とか不安とかそんなこと一切関係なく、自分が望むように生きてきた。


そんな生活を長年続けていたある日。
ゲームをやめた。
何がきっかけになったのか、今では思い出せないが、パタリとゲーム三昧の日々をやめた。
今まで何をやってきたのだろう?
そんな感情が芽生えたからだと思う。
今まで何も勉強してこなった後悔から、今度自分がとった行動は自己啓発本やビジネス書を読み漁ることだった。
図書館に行って、本屋に行って、話題の本を片っ端から読む。
『人を動かす』
『イシューから始めよ』
『生産性』
『多動力』
『嫌われる勇気』
『伝え方が9割』
巷でベストセラーと言われている本は大体読んだ。
最低でも2回読むノルマを課していた。

それでは飽き足らず、ビジネス書の要点を解説してくれる動画も見ている。
今ではYouTubeで簡単に話題のビジネス書の要約を知ることができる。
通勤時間とか家事の時間を使って何度も聞いた。
ノルマは最低でも10回。
まるでヘットギアを頭につけて、同じ話を何度も聞いて洗脳する方法に似ている。
いや、まるでと言うよりも自分を洗脳させる目的でやっている。

将来への不安から、自分の能力のなさから、自己啓発の情報を得ることは習慣として染み付いてしまった。

「他人と比べるよりも、過去の自分と比べた方がいいと思う」

飲み会の時、ある動画で紹介されていた本の内容を無意識に語ってしまったことがある。
もう考え方が染み付いてしまっていた。
資格として目に見える形には残らないけれども、確実に自分の血肉になっていると思いたい。

ふと、廃人生活一歩手前だった頃を思い出す。
あの頃も今も、実はあんまり変わっていないのではないか、と思ってしまった。
なぜなら、夢中になっているから、没頭しているから。
夢中になっている先が、ゲームから自己啓発に変わっただけだ。
気になる対象が、ドラゴンクエストから『多動力』に変わっただけの話だった。
ゲーム廃人だったころと何も変わっていない。
目的もなく自分が知りたいと思ったこと、やってみたいと思ったことに触れてみる。
ただそれだけのことだった。

いや、今は将来の不安とか考えているけれども、ゲーム廃人だった頃はそれすら考えずに目の前のゲームに没頭していた。
むしろ、不安とか抜きにして目の前のことに専念できる方が幸せなのかもしれない。
そう考えると、あの廃人生活は素晴らしい時間だったのかもしれない。
将来の夢とか目標とか不安とか、そんなものを一切抜きにして、自分ができること、やっても意外と苦にならないことをひたすら続ける生活も悪くない気がする。

流石に今はゲームではなくて、もっと自分のスキルの向上に役立つものに廃人だった時のように取り組みたい。

ゲーム三昧ではない、あの素晴らしい廃人生活をもう一度。

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