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自分の未熟さに嫌気がした時には

生きてると、他人に迷惑をかけたり、失敗して落ち込んだりすることが多々ある。
それは大抵自分の未熟さゆえに判断を間違ったり、手放すべきでないものを手放してしまったことによるものである。

そんな未熟さゆえの失敗が続き、チャンスを不意にしてしまうと、自分が嫌になり、もっと大人になってからやろうとか、チャンスを無駄にしないようにちゃんと準備しようなどと、挑戦に対して臆病になってしまう。

今もそう。やりたい!と思って始めたことでも、思い通りにいかず、自分がもっと有能であったらとか、もっと力つけてからやっておけば、とかタラレバに逃げ、現実に向き合うことが怖くなってしまう。

そんな時に出会ったのが、岡本太郎さんの言葉だ。

自分は未熟だといって悩んだり、非力をおそれて引っ込んでしまうなんて、よくない。
それは人間というものの考え方を間違えている。というのは人間は誰もが未熟なんだ。自分が未熟すぎて心配だなどというのは甘えだし、それは未熟ということをマイナスに考えている証拠だ。
ぼくに言わせれば、弱い人間とか未熟な人間のほうが、はるかにふくれあがる可能性を持っている。
熟したものは逆に無抵抗なものだ。そこへいくと、未熟というものは運命全体、世界全体を相手に、自分の運命をぶつけ、ひらいていかなければいけないが、それだけに闘う力というものを持っている。
人間はマイナスの面のほうも多く持っている。マイナスの面があればあるほど逆にファイトを燃やして、目の前の壁と、面と向かって対決するわけだ。
自分が未熟だからと消極的になってしまったら、未熟である意味がなくなってしまう。そういうのは未熟のまま、だらしなく熟したことになってしまうのだ。
未熟を決意するのは、素晴らしいことだ。これはいろいろなケースにあてはめられる。たとえば空を翔ぶ鳥をみて、自分は鳥のように自由に空は翔べないと思う。また花盛りの木をみても、自分はあの花のようにまだひらいていないと思う。そこから新たなファイトがわき起こってくる。
(中略)
未熟ということをプラスの面に突きあげることが人間的であり、素晴らしいことだと思わなければいけない。
よく世間一般では完成された人は素晴らしいというが、この世の中には、完成なんてことは存在しないんだ。完成なんてことは他人が勝手にそう思うだけだ。世の中を支配している"基準"という、意味のない目安で他人が勝手に判断しているだけだ。
ほんとうに生きるということは、いつも自分は未熟なんだという前提のもとに平気で生きることだ。それを忘れちゃいけないと思う。

岡本太郎「自分の中に毒を持て」より

この言葉に勇気をもらった。

自分は完成された人間になろうとしていた。なんでも上手く行く人間なんていないし、完璧な人間は存在しない。ある一面で完璧だと言われていたとしても、違う分野では素人だ。

人間はみな最初は未熟であるが、それを割り切って平気で生きていくこと。未熟であるからと行動しないのではなく、未熟であるがゆえに行動するべきだということ。

たくさん自分は未熟だと反省していたが、むしろ未熟だと思えていることはちゃんと周りが見えている証拠でもある。
岡本太郎さんは、空飛ぶ鳥を見てまだ自分はあんな風に飛べない。咲いている花を見て、自分はこんなに開いていないと、自分の未熟さを感じていた。
そんなことに比べたら、自分はどうとでもなることに悩んでいたんだなとはっと気付かされた。

変な他人の基準に自分を合わせるんじゃなくて、自分の中に基準を持って生きていく。相対的な判断ではなく、絶対的な判断。
自分がいいと思ったことをちゃんと貫くことが必要だ。

成功した自分ではなく、もがいてる自分の方が未来に可能性があって面白いと考えるとなんでもポジティブに思える。

世の中の人は未来が見える方がいいと思って、安定した職につく人が多い。
個人的には真反対で、未来への道は見えなくてもいい、でも全方位に拓けているのが理想的だと思っている。


自由でどの方向にもいく選択肢を持てることはそうそうないと思われている。
だが、実際にその選択肢を狭めているのは自分自身なんだと気づいた。こういうことをしてきたから、この大学に入ったから、この勉強をしたから、と"せっかくなら"という謳い文句を駆使して自分の可能性を狭めていることが多い。

自分も東大に入ったんだから大手企業に就職すれば将来安泰でしょって思ってた時期もあった。だが、想像してみると、周りにいるモデルケースから大体の未来が想像できてしまった。
その瞬間につまらなく感じてしまった。

人は一貫性の罠に陥っていることが多い。側から見てもそう思うし、自分の思考の中にもそのような一貫性の罠を感じる部分は多い。
一度罠に陥ると出るのは難しい。

就活している時に、航空会社の募集を見て、「今からでもパイロットになる道が残ってるのか!」と心が踊った経験がある。
自分の中で無意識に消していた選択肢が突然目の前に現れる感覚はとても気持ちよかった。

人生を絵に例えてどれくらい完成しているのかと、大学生の人間に聞くとどう答えるだろうか?答えを予想すると下書きくらいは描けているだろうと答える人が多いんじゃないかと思う。
しかし、自分の中では、まだ白紙のキャンパスのままだと思っている。

まだまだ自分の人生を描く上で、あとは塗り絵だけだと思う方が面白いか、今からすごい作品を1から完成させてやると思う方が面白いかはその人次第だが、自分にとっては白紙でゼロからのスタートで柔軟に生きる方がワクワクした。ただそれだけ。

成功しても失敗しても死んだら同じ死体にしかならない。
人生は暇つぶし的な感覚で何にも拘らずに生きていきたいと思っている。

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