『アはアーケードのア』 第8回『グロブダー』(1984年ナムコ)

 地味だが秀麗、何物にも似ていないゲーム

『グロブダー』は近未来の戦闘競技“バトリング”を題材とした戦車戦ゲームです。『ゼビウス』『ドルアーガの塔』などで知られる遠藤雅伸さんのディレクション作品です。

 『グロブダー』は商業的にはあまり成功した作品ではないかもしれませんが、ぼくはこのゲームが大好きです。ゲームシステムがコンパクトに完結していて、作者のストイックでサディスティックともいえる独特のセンスが強く出ていて、そして他の何物にも似ていない。秀麗なゲームです。

 ステージ開始直後に速攻で敵を片づけていく瞬時の判断。残った敵との持久戦。敵を爆発に巻き込んで次々と誘爆させていくおもしろさと同時に自分自身も巻き込まれるリスク。『グロブダー』は頭から終わりまで常に緊張感を強いられる、じつに地味で男臭いゲームでした。

 『グロブダー』は、機動力と攻撃力と防御力、その三つのバランスの取り方が独特でした。異様なまでの自機の機動性の低さと、飛び交うビームの目にも留まらぬ速さ、そしてその差をシールド機能や遮蔽物をうまく使うことでカバーするというところに個性的なおもしろさがありました。

当時としては大変珍しかった16方向ショットシステム

 また、自機の移動と砲塔の操作はデジタルで、十字方向のキー入力および隣り合う2つの同時キー入力を使っての計8方向分の判定しかないのですが、砲頭操作に旋回の概念を持たせることで16方向への射撃を実現しています。これが『グロブダー』最大の肝だと思います。

 昔のアクションシューティング系のゲームによくあったのですが、自機の移動と射撃方向の指定を同一の操作で兼ねる、かつ方向指定が45度刻みでしかできない、という仕組みの場合、射撃方向がどうしても定めにくくなりがちという欠点がありました。

 それが、『グロブダー』では22.5度刻みで細かく射撃方向が指定できるということと、そもそも移動しながら攻撃するような攻略が前提になっていないことから、移動と射撃方向の指定が同一操作であることの煩わしさをかなりの部分まで解消していたといえます。

 これは当時としてはきわめて斬新だったと思います。ただ、これのおかげで非常に癖のある操作感になっていて、他の仕組み部分も含めて、相当とっつきの悪いゲームではありました。ですが、その企画意図が理解できていくとやり込みたくなるone and onlyの魅力もそこにはありました。

 『グロブダー』は当時のゲームセンターで100円3クレジットが標準の設定でした。3ゲーム分遊ぶことができるのです。そして、もう一つの特徴としてステージセレクト機能がありました。ステージ数は全99。そのどこからでも始めることができたのも、このゲームの魅力の一つでした。

 スクロールのない固定画面。敵は全6種類。1ステージ内の敵数は最大で9機。パワーアップアイテムの類はなし。障害物の属性は基本的には一種類。これだけで99ステージのバリエーションを作っていたのですから、じつに淡々としたシブい構成でした。

 敵の中でも、プレイヤーのビームを察知して避ける、フロッサーというキャラクターの動きは秀逸でした。個人的にこの動きがとても好きで、自分が『ゼビウスアレンジメント』というゲームの開発を担当した際、同じ遠藤作品へのリスペクトでそのままの敵を登場させていただきました。

 『グロブダー』のプログラムは松浦公政という方が担当されています。松浦公政さんはこのゲームの他にも『モトス』や『クエスター』『ギャラクシアン3』などにも参加し、時期的にはぼくの入社(1990年)とほぼ入れ替わりでナムコを退社されています。

 『グロブダー』のプレイヤーの間で松浦公政さんの名はよく知られています。特定のステージで粘ってると“programmed by 松浦公政”と隠しメッセージが出現するためです。以前この話をご本人に聞いたら“入れたのは若気の至りだった”と仰ってました。

難しすぎて1クレジットで全99面クリアできたプレイヤーはほとんどいない

 『グロブダー』をステージ1(BATTLING1)からプレイしていき、1クレジットで全99面をクリアするのは至難の業で、発売当初はとても不可能じゃないかといわれていました。それに挑戦してみようという人自体、最初はほとんどいなかった気がします。

 でも、最終的に数人のプレイヤーが何年もかかって『グロブダー』全面クリアを達成したと聞いて、ホントに大したものだと思いました。ぼくの知り合いでも「めぞん一刻」という、当時人気だった漫画のタイトルをスコアネームにした男が達成しています。

 当時、雑誌のハイスコアコーナーの集計を担当してたぼくは彼に“全面クリアできるものか挑戦してみてよ”と焚きつけたことがあったのですが、本当に達成した時はえらいビックリしました。その後、彼は若くして亡くなってしまったのですが、生きていれば今もゲームを続けていただろうと思います。

 ビデオゲームという遊びの最大の特徴はインタラクティビティにあって、どんなによくできた作品でも受け手が関与しないと見ることすらできず、触ってもらわないと作品として完成しない。操作する人がいないゲームは、入力待ちしているだけのプログラムでしかありません。

 今回、この文章を書く前に『グロブダー』全面クリアのプレイを一通り見たのですが、そこには開発者の意思だけでなくプレイヤーの意思も生きています。当然ながら、そこに操作している熱量の高い人間がいて、『グロブダー』という優れたゲームの美しいプレイが成り立っています。

 このレベルまでプレイを極める人は全ユーザーのごくごく一部でしかありません。好事家といってもよいと思います。そこまで興味を持つ人も少ないでしょう。まして、このゲームに限らず、そこまで大きなヒット作ではないゲームの究極プレイといわれても、いよいよ知る人ぞ知るの世界です。

 でも、よく作者が死んでも作品が残るといわれますが、制作に関わった人間の意思とそれを享受する人間の意思が常に1セットで生き続けるビデオゲームというのは、とても稀有でおもしろい世界だと思うのです。

 書物や映画等にしても受け手がいて成り立つものですが、それとも少し違う気がします。もしあえて近い例を思い浮かべるとしたら、野球や将棋や囲碁のルールを考えた人たちはすごいが、その競技で常人を超える世界を見せてくれる人たちもまたすごい、みたいな話が少しだけ似ているでしょうか。 了

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