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栗原康さん(アナキズム研究)✖️勝山実さん(ひきこもり名人)対談

アナキズム研究の政治学者にして、個性的な文体をもち、多数の著書がある栗原康さん。飄々としたユーモアセンスがひきこもり界随一の“ひきこもり名人“こと、勝山実さん。
おふたりにコロナ禍について、オンラインについて、著作についてなど、さまざまに語り合っていただきました。栗原さんの直近の活動は「図書新聞」などに発表した書評などをまとめた本の書評集、『アナキスト本を読む』。また、名エッセイ『はたらかないで、たらふく食べたい』、初単著『大杉栄伝ー永遠のアナキズム』、伊藤野枝の評伝名著『村に火をつけ、白痴になれ』の文庫化など、作品を立て続けに発表されています。ふたりのトリックスターの鼎談を前編と後編にわけ、その抄録をお送りします。(冒頭写真は2018年5月に撮影したものです)。:進行:杉本賢治


間をうめる言葉を


ーー去年はコロナ禍があり、それぞれの人がさまざまに考えなくてはいけないような状況があり、あえていうなら、自分の時間を取り戻した人も多かったと思うんです。ぼくが思うところでは、表現者として今までの自分のやってきた作業を振り返る人と、何か新しいことを始めた人がいたとおもうんですよね。栗原さんはいちど振り返る作業が去年のモードとしてあったのかなと、昨年でた書評集『アナキスト本を読む』を読んで感じましたし、また読者側として栗原さんのこの17年をふりかえるクロニクルのようにも受けとりました。文章もすごく変わってきてますしね。


勝山:今と全然違うんだよねえ。


栗原:最初はちゃんとしてたんだな、って。


勝山:始めの2つ3つ目くらいまでは文章がちゃんとしてるんですよ。


ーーこの最初の2003年頃って、まだ学生時代じゃないですか?


栗原:院生時代に書いたものが一番えらそうなんですよ。大学教授に向かって、「今後の研究を期待する」とか書いていて。


ーー論文でも読みやすい。やはり栗原さんってすごくわかりやすく伝えたい人なんだなと。そこはちゃんとした文体においても一貫してますね。


栗原:大学時代、難解なテキストを読みこなせる人が偉くて、読めない人が劣っているみたいな雰囲気があったんですよ。たとえ反権力を語っていても、そこに知的な支配関係があって、おかしいなと思っていたとき、ゼミの先生が卒論指導で「難しい言葉をつかって偉くなったつもりになるな」と言っていたんですよね。それが妙にしっくりきて。


ーーなるほど。ところで、栗原さんの前のアナキズムの人って正直、とんと浮かばないですね。


栗原:いや、たくさんいますよ。本人が名のっていないだけで、アナキストでしょうという人もたくさんいました。大学生のころはまだ知りあってないですけど、早稲田近辺には*「だめ連」の人たちもいましたしね。ただ、ぼくよりすこし年上の人たちは「アナキスト」じゃなくて「ノンセクト」を名のっていたとおもいます。


勝山:言われてみれば、アナキストって流行ってなかったというか、名乗ってもなんの得もない肩書きだった気がする。栗原さんがアナキストで目立つと、「あんなのはアナキストじゃねえ」みたいな人が出てくるけど、ポストは空いてても、誰もそこに入ろうとはしなかったでしょ。「だめ連」の*ぺぺ(長谷川)さんが「自分はノンセクトだった」と言っているのをだめ連のイベントか何かで聞いたことあるけど、そういう大学のセクトとかはよくわからないんで。


栗原:「党派を作らない」。たとえアナキズムでもそこにイズムがたってしまったら、その理想のためにああしろ、こうしろとなってしまいますよね。組織でもないのに党派的になってしまう。「ノンセクト」という呼称には、そういうのを拒否するという意志が込められているのだとおもいます。


ーーそのような人との接点は、デモや運動の中での出会いが多かったのですか?


栗原: 2008年に洞爺湖サミットがあって、友人たちとそれに対抗する運動をやろうよとうごいていたときがありました。だいたい、そのときに知り合っています。


勝山:洞爺湖サミットがあった頃は、私の社会問題に対する意識はゼロに近かったですからね。原発がポーンとなるまで、社会意識は1%くらいしかなかったと思う。原発がポーンとなっても、まあそれほどでもないんだけど。だから、だめ連のぺぺさんがイベントの中で、社会の何が問題か? というような質問に受けた時に、ダシのきいたいいお顔をしながら、ウ〜ンと考え抜いたあげく、「財閥」って答えた時にね、もうまったくついていけなかった。


栗原:ははは。


勝山:財閥だっていうんだよ。私は手をあげてね、ぺぺさん、それじゃわからない、陰謀論にしか聞こえないと言ったら、ぺぺさんの顔がちょっと険しくなってね、「分かってもらわないと困る」って言ったんです。


栗原:(笑)印象的ですね。


勝山:(笑)うん。「そっちが勉強してもらわなければ困る」ってさ。その時のぺぺさんの言葉というか、その姿勢がすごく印象に残っていて、それが私のテーマでもあるんですよ。
なんか分かる集団っていうのが上にあって、例えば、財閥とか資本主義とか統治とか、そういう言葉でピンとくる集団が上にある。その一方で、生まれてこのかたそんな言葉を口にしたことのない集団が下にあると。上と言っても、彼らが上流階級だとは全然思わないけど。


栗原:勉強しますからね。ぼくもただわかりやすく語るだけだと、おしえるものとおしえられるものとの間に上下関係がうまれてしまうので、あえて自分で考えるように突き放すときがあるんですよ。でも、それが「上から」と受け止められてしまうことがあるんですね。身をつまされます。


勝山:そう。勉強して大学に行っているくらいですから、そういう人たちには通じる。だけど私は一度もそこに属したことがないから、勉強している人の、その当たり前の感覚というのは持っていない。自分も分からないし、周りにも分かる人がいない、そういう下の層にいると気づくこともできない。この間をうめるものが必要かなと考えています。

不謹慎なところがいい


ーーところで栗原さん、『大杉栄伝―永遠のアナキズム』(夜行社:2013年)以降、ほぼ毎年のように単著出してるんじゃないですか?


栗原:そうですね。


ーーこんなに本を出せるアナキスト系のひとはいないと思いますけどね。


勝山:こんないっぱい書けないでしょう。しかもおもしろい。


ーーわかりやすいというか、やはり大衆性、大衆の人が読んでくれる文章ですからね。生意気な言い方で申し訳ないけど(笑)


勝山:吹き出すくらい、笑えるじゃない? なかなかないですね。


ーーユーモアのキレがひきこもり界随一の勝山さんが認めるくらいだから相当です(笑)


勝山:この『アナキスト本を読む』(新評論:2020)も笑いました。「われわれはむしろウイルスになりましょう」ってカラオケボックス行く話とか、もう爆笑ですよね。


ーー友人のマニュエル・ヤンさんからメールをもらって……。


勝山:そうそう。


栗原:かれは詩みたいなメールを書いてくるんですよ。あのときは本当に死ぬ気で歌って、死んだように公園で倒れてました。


勝山:不謹慎なところがいいんですよ。なにか世の中に蔓延している〝謹慎ムード〟にあらがえないところがあったじゃないですか。意外と簡単に国がコントロールできちゃうんだなって思って。「コロナだ、てえへんだ、ワクチンだ」っていうのに、逆らうっていうのはなかなか難しい。ワクチンなんて打っても打たなくても自由なんだけど、それがやりづらい雰囲気が出ているでしょ。打たないといったら「反ワクチン派」の頭のおかしな人たちって思われる。


栗原:さいきん大本教の*出口なおを書こうと思っているのですが、マジで「反ワクチン派」。罰金をとられてもワクチンを打たない。でも近代国家とガチでやりあうというのはそういうことなのかもしれないですね。


勝山:へえ。

オンラインだと体の感覚がなくなる


ーー大学の授業がオンラインになったそうですが、生徒さんは何人くらいなんですか?


栗原:後期の授業は全学共通で人数が多くて150人くらいかな。


勝山:すごく多いですね。


ーーじゃあもう、画面に向かって一人で喋っているような状態?


栗原:ZOOMでやっているんですけど、プライバシーがあるので学生は顔出ししなくていい。画面の上に学籍番号だけ出ている状態。それを見ながらずっとしゃべっていて。だいたい自分だけみているような感じです。


勝山:みんな映像も音声もミュートしてるわけですからねえ。ウンともスンとも言わないところでしゃべらなきゃいけない。私も勉強会みたいなことで、ZOOMで30分間しゃべったんですけど、ほんとうに誰の息づかいも聞こえないんですよ。黒いプロフィール画面が並んでいるだけで、途中で心が折れて声が出なくなってくる。


ーー実質的に体がね。リアルに接してないので。もちろん遠隔地のぼくなどは恩恵に預かってるんですけど。やはりそこは大きいですね。だから体を接して集まれる場所がありつつ、こういうオンラインみたいなものとの両方があればいいんですけど。片方がほぼ全くできないような状況だから、けっこうストレスはたまりますね。


栗原:オンラインのイベントでも、その場に何人か集まって、ワイワイしながら遠方でも見られるようにするのなら、ぜんぜんいいんですけどね。完全にオンラインだけになると、身体の感覚がなくなっていく。身体ってひとりではなくて、複数人がいて、鼓動とか、息づかいとか、ちょっとした表情とかでなにか熱を感じて、こっちも、うおおとなったりするもので。それが本当にないんですよね。「ふるえ」と「共鳴」。そこからなにごととかが起きていく。イベントとか、授業とか、集会やデモもそうですが、そこに共鳴があると思うんですけど、オンラインはそういう集いがもっている可能性をかき消してしまうのだとおもいます。
 けっこうまわりの友人で精神的にきているひとはおおくて。それこそマニュエル・ヤンさんとか、一回ゲスト講師でオンライン授業をやりに、家に来てもらったんですけど、すごくて。かれは西荻窪に住んでいて、ぼくは埼玉の与野なんですけど、家に着いたときすごい息をきらしてて、どうしたのと聞いてみたら5時間かけて歩いてきた。


勝山:ええっ。


ーー乗り物乗らずに、歩いてきたんですか?


栗原:最初はなにやってるんだと思ったんですけど、オンライン授業が消去してしまっている身体の感覚を自分で作り出そうとしているのかなと。


勝山:へえー。

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*「だめ連」 ー早稲田大学の同窓生だった二人が、退職と留年をきっかけに再会したことを発端として生まれた、「普通の人のように働かない(働けない)」、「恋愛しない(できない)」、「家族をもたない(もてない)」といった者たちが、その「だめ」とされる有り様を否定的に捉えるのではなくそのような社会のプレッシャーを問題とし、自由に生きていこうとして誕生したオルタナティブな「生き方模索集団」。また、労働と消費を奨励するような資本主義の価値観に対して「それよりも楽しいこと、創造的なことは沢山ある」とアンチテーゼとオルタナティブを唱えている。代表格は神長恒一とぺぺ長谷川。『だめ連宣言!』などの著作も出している。(Wikipediaより)

*出口なおーでぐち なお、出口 直、1837年1月22日〈天保7年12月16日〉 - 1918年〈大正7年〉11月6日)。新宗教「大本」の教祖。大本では開祖と呼ばれている。、なおは、江戸時代末期から明治時代中期の極貧の生活の中で日本神話の高級神「国常立尊」の神憑り現象を起こした。当時、天理教の中山みきなど神憑りが相次いでおり、なおの身に起ったことも日本の伝統的な巫女/シャーマニズムに属する。当初は京都丹波地方の小さな民間宗教教祖にすぎなかったが、カリスマ的指導者・霊能力者である出口王仁三郎を娘婿としたことで、彼女の教団「大本」は全国及び海外に拡大した。大本は昭和前期の日本に大きな影響を与え、現在もさまざまな観点から研究がなされている。(Wikipediaより)


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