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ラーニングファシリテーター中村健司

ラーニングファシリテーターの仕事は、人やチームが何かを学ぶプロセスをデザインし、サポートすることです。中でも、「学ぶ楽しさ」を中心とした学びあいのワークショップや組織開発で日本と新興国の企業、教育機関をサポートしています。

僕にとって、ラーニングファシリテーターというのは、職業であるだけでなく、自分オリジナルの国際協力であり、一生かけて探求し続けるあり方であり、生き方です。

ラーニングファシリテーションとは何か、どんなプロジェクトをてがけているのか、などは別の記事で書いていきます。ここでは、僕がどうやってラーニングファシリテーターという天職にたどり着いたのかをお話しします。

※2024年から別の媒体で記事を書いています。クリックするとメールマガジンの無料登録画面に飛んでしまいますが、登録しなくてもご覧いただけます。なお、この記事はタイやカンボジア、ケニアといった新興国で仕事をしていた頃に投稿したものです。現在は日本での活動が中心です。


貧困問題との出会い

大学2年生のクリスマスの深夜。

NGOの主催のスタディツアーでバングラデシュ・ダッカの空港に降り立った僕は、物乞いの子どもたちに囲まれ、発展途上国の貧困問題を目の当たりにしました。こうした問題を知っていたにも関わらず、何もしてこなかった自分。そして、何もできない自分。

帰国した僕は、NGOの学生部門で活動を開始しました。活動をすればするほど、自らが現地の現実を知らないことを痛感。自ら体験を通して知り、学び、その上で必要とされることをしたい、そして、自分だからこそできるということを探したいと考えるようになりました。

現場を知り、自分を知る旅

大学を1年間休学した僕はアルバイトでお金を貯め、バックパッカーとして旅に出ました。Eメールやインターネットがまだ普及していない中、船で中国まで渡り、現地の移動手段と食事で東南アジアを旅しました。

日本のマスコミでは伝えられない現地の人たちの生活。

日本では想像もつかない多様な生き方。

未知の世界と言えども、少し話すとわかる「同じ人間」だという感覚。

貧しいと勝手に決めつけることで見えていなかった現地の豊かさ。

現地で必要なことと、日本人が支援したいことのギャップ。

本当に有益な情報は人との濃い関係から生まれる。

など、この旅で得た経験により、現地の目線や感覚を養うことができた。これは、20年以上を経た今にも通じる僕の人生の宝となっている。

感情だけじゃなく、しっかり学ぶ

バックパッカー休学から復学してからは、NGOの活動に明け暮れ、勉強はほとんでしていなかった。そんな僕を見た国際法ゼミの恩師に、ゼミ生全員の前でこっぴどく叱られた。

「君は本当に途上国の子どもを助けたいんですか?だったらなぜ学ばないんですか?国際法は世界のルールです。ルールを無視して声高に叫んでも世界は何も変わらない。だから日本のNGOは国際舞台で戦えない。まずはしっかり学びなさい」

勉強を恩師の導きのおかげで、僕は真剣に国際法や国際政治を学問として学び始めました。また、体系化された理論を学べる学術書とは別に、現場取材をベースに伝えるジャーナリストの本も意識的に読むことを始めたのはこの時。このスタンスは途上国の現場で仕事をする上で大いに役立っている。

また、大学院で国際人権法を専攻。法学を学ぶことで論理的な思考を、大学院での研究を通じて学術論文を調べて読むことに慣れたことで、今の僕のスタイルである「学術研究を組み合わせて、現地にあうように学習プログラムをデザインする」ことができるようになった。正直、当時の僕には、今の仕事なんて想像もできなかったけど、この時の経験なくしては今の仕事もありえない。人生面白いものです。

慈悲の心が悪魔になる

大学院時代、長期の休みの大半をカンボジアの地雷原付近で過ごした。学部の卒業論文で対人地雷禁止条約について書いた後、またもや「理論だけで現場を知らないと気持ち悪い病」が出た。カンボジアのタイ国境近く、地雷除去と寺子屋建設を行うNGOのインターンの機会を得て、村に住み込みで学ばせてもらった。

ここでは、「助けたい」という慈悲の気持ちが、時として相手の自立や成長の機会を奪い、新たな問題を引き起こすことを体験を通して学んだ。これは、国際協力にだけでなく、人の支援に関わる仕事やボランティアすべてにあてはまる大事なこと。でも、残念ながら現地で必要なことよりも、やりたいことを重視した支援が後を絶たない。僕も間違いを犯したことはあるけれど、今でもこのことはいつも心に留めている。

極貧のイギリス留学で移民労働者と働く

開催大学大学院の修士課程を終え、イギリスのハル大学大学院に留学。ここでは、国際政治経済やグローバリゼーションを専攻した。20代半ばを過ぎて初めての留学。大学院ではとにかく大量の文献を読み、常にレポート作成に追われる日々。英語でコミュニケーションがとれず、晴れることが滅多にないイギリスの天気にやられ、さらにお金もない。授業がない時期は、毎朝6時から工場で働き、昼過ぎから勉強という日々でした。

特に印象的だったのが、大学から自転車で20分ほど離れたところにあったチョコレート工場。チョコレートを子ども用に装飾されたプラスチックの箱に詰める仕事。ともに働くのは、ナイジェリア、中国、韓国からの移民労働者。時にはケンカもするけど、チーム一丸となってノルマプラスアルファを目指し続けた。

「ケンジ、お前の仕事、正確で早いな」「メイドインジャパンだからな。」

「俺たちが箱に詰めてるのはチョコじゃないぜ。子どもの笑顔だぜ。」

そんな会話が飛び交う楽しい職場だった。結局僕はどこまで行っても現場が好きで、現場が大切なんだとこの時に気がついた。

ビジネスが持つ可能性を初めて知る

これまでの僕は、貧困解消のNGOの活動をして、研究していたのも人権とか、そういうものだった。ひょっとしたらこれは国際協力ビギナーあるあるなのかもしれないけど、当時の僕は、ビジネス=お金儲け、お金儲け=悪という強固なバイアスを持っていたと今振り返れば思う。

そんな中、大学院で、「日本経済はなぜ戦後あれだけ成長したのか」「企業の社会的責任(CSR)は社会にどんなインパクトをもたらすのか」という授業があった。これまで食わず嫌いで無知ゆえの偏見にまみれていた僕は、ビジネスが本来持つ可能性に愕然とした。恥ずかしくて20メートルぐらいの穴を掘りたくなるぐらいだった。

結局イギリスで書いた、人生2度目の修士論文は「NGOとの協働は企業の競争力を増すのか」というテーマで書いた。

父親から学んだ、超シンプルな仕事の基本

帰国後、両親が経営する街の電器店で、3年間、ビジネスの基本を学ぶ。町の電器店は地域密着で、アフターケアはもちろんのこと、お客さんに寄り添う仕事。ここで父親から学んだ仕事の基本、それは、

「あらゆる仕事は思いやりと約束でできている」

ということ。高度な理論を知らなくても、顧客や同僚、取引先への思いやりを持つことは誰にでもできる。相手のことを思いやって想像して、そのアイデアを実行する。した約束は守る。これが基本。この基本なくして、いくらビジネスの勉強をしてもうまくいくわけがない。だってビジネスは人で成り立っているから。逆にこの基本の上にしっかりとビジネスを学ぶと結果は大きく変わってくる。

考えてみたら、それはビジネスだけじゃないですよね。教育でも、福祉でも、NGOでも同じ。ボランティアでもみんな同じ。

ビジネスでカンボジアと関わる

両親の電器店で3年の修行をした後、大好きなカンボジアと関わりたい気持ちが抑えられなくなった。2008年当時、カンボジアへの旅行や国際協力がある種のブームで、カンボジアを訪れる人がたくさんいた。しかし、関西にはカンボジアと関われる場所がほとんどなかった。そこで、カンボジアに関わる人のコミュニティを作るべく地元の大阪にカンボジア料理店を開業することにした。

とはいえ、当時の僕は資金ゼロ、人脈ゼロ、経験ゼロ。無謀としか思えない挑戦だったが、多くの人の協力のもと、開業を決意してから3ヶ月でオープンさせることができた。その後、スタッフとお客さんに恵まれた僕は、6年間の間に、カンボジアスタディツアー、カンボジア映画祭、カンボジアや国際協力に関するイベント、教育機関や経営者団体での講演、ビジネスセクターや国際協力団体のサポートなどに挑戦することができた。

いざカンボジアへ

カンボジア料理店を起業して6年が経った2014年。学生時代から関わり続けきたカンボジアは目まぐるしい変化を遂げていた。そんな激変するカンボジアに身を置きたいという気持ちが抑えられなくなり、スタッフとお客さんの理解と応援もあって閉店し、カンボジアへ移住。現地で再びレストランを経営する。

しかし、カンボジアで働き始めてすぐに文化や仕事観の圧倒的な違いに直面する。つらいこと、イライラすることばかりだった。しかし、「学ぶ楽しさが持つチカラ」に気づいたことをきっかけに、僕の人生は大きな転機を迎えることになりました。

もう一度ゼロからのスタート

学ぶ楽しさを広め、学び合いの場を作ることは、僕が思い描いていた「自分なりの世界への貢献」につながる。それに、これに挑戦しないときっと一生後悔する。そう思った僕は、飲食業からラーニング(学習)デザイナー、ファシリテーターに転職した。

不思議と不安はなかった。日本の友人が実践的な学習理論を開発していたし、これまでの途上国の現場での活動、研究、NGO、ビジネスといった幅広い経験は必ずこの仕事の役に立つという感覚があった。

ラーニングファシリテーターとしての成功体験

そんな折、現地の友人からの紹介で、カンボジアで手広く事業を営む企業でのリーダーシップ研修の話をもらった。しかも、朝から夜までの終日プログラムを2日間。参加者はいきなり25人。短い準備期間で必死にプログラムを作り、当日のファシリテーションでも参加者一人ひとりの学びに気を配った。

蓋を開けてみると大成功だった。終了後、参加者である同社の社員たちが社長のもとに行き、その感動を伝えてくれた。プログラム冒頭、自信が持てず静かだったものの、最後には積極的に発言するようになっていたあるアシスタントマネージャーは、涙を流して僕に抱きついてきた。

「僕は中学しか出ていない。正直、勉強なんて全然できない。でも、今日のプログラムではたくさん学べた。学ぶってこういうことなんだね。」

この仕事が僕の転職だ、と感じた瞬間でした。ちなみに、彼は現在、昇進してマネージャーとなっている。

以来、リピートと口コミだけで、この仕事を継続し、できることも増えてきました。そんな僕がたどりついたミッション(命の使い方)は、

良い学習によって、自らの良心に従って自由に人生を選択できる人を増やし、ともに世界をあったかくする

です。その後、タイのバンコクにも拠点を置き、コロナまではタイとカンボジアの2拠点で仕事をしていました。現在は、日本に身を置きつつ、下記のプロジェクトを手掛けています。

現在の主な取り組み

● カンボジア教員養成校での読書カリキュラム作り(アクティブラーニングと読書を組み合わせたカンボジア初のプログラム。2021年11月から実施。22年から全国の教員養成校での導入を目指しています。実現すれば、カンボジアでこれから先生になる人は全員このカリキュラムで学ぶことになります)

● カンボジアの僻地の若手校長先生へのオンライントレーニング
●カンボジアでの執筆と読書普及
● タイ日系企業での人材育成とチーム作りサポート
● 日本人向け各種オンラインワークショップ
 ・事前読み不要、好きな本を持ちよるオンライン読書会
 ・顧客理解のためのコミュニケーションワークショップ
 ・思考と創造の源泉 クリエイティブクエスチョン など
● 大学のカンボジア研修ツアーの企画と学習ファシリテーション

主な実績

●カンボジア僻地の若手校長先生へのリーダーシップトレーニング

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●カンボジア、プノンペン教員養成校の生徒たちへのオンライン読書ワークショップ
コロナ禍にあって、授業がなくなって生徒たちへの学びの機会をの創出。

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●カンボジア、プノンペン教員養成校の生徒たちへの大規模読書ワークショップ

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●カンボジア若手中学教員への大規模読書ワークショップ

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●カンボジアの僻地の中学校の校長、教頭、コミュニティリーダーへのワークショップ

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●カンボジア、シェムリアップの企業グループにおけるマネージャー研修

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●カンボジア、シェムリアップの書店にてスタッフ教育、マネジメントの仕組みづくり

 

●カンボジア若手起業家協会シェムリアップ支部へのワークショップ

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●カンボジアオリンピック委員会(会長はトンコン現観光大臣。カンボジアの全スポーツ協会を統括、調整する機関)におけるチームビルディングのワークショップ(同ワークショップが取り上げられたカンボジアの新聞はこちら)

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●タイ最大の中小企業協会(The Federation of Thai SME Association)と日本人起業家ネットワーク(World Association of Overseas Japanese Entrepreneurs バンコク)の異文化コミュニケーションワークショップ

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●タイ最大の書店チェーンSe-ed社での読書ワークショップ

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●Se-ed社主催のブックフェアにてアクティブ・チーム読書のワークショップ

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●金城学院大学、カンボジア研修の企画と学習ファシリテーション

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●オルターナティブな開発に関する国際学会(2017、シェムリアップ)にてわーうショップの事例発表

● カンボジアのNGOサポート
カンボジア、シェムリアップ郊外にある国際NGOが運営する養鶏場のマネジメント、セールスマネージャー

●グラミンオーストラリア・フィリピンでのワークショップ(マニラ・フィリピン)

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メディア掲載
http://www.ganas.or.jp/20170810nakamura/

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