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「ないものは作ればいい」全国8箇所移住してきた経営者が語る、今を楽しむ考え方【株式会社sonraku 井筒耕平さん】

地方で根を張って生きる人たちのホンネとリアルをお届けする「ケンジン」インタビュー。今回は全国8箇所への移住を経験してきた経営者の井筒さんにお話を伺いました。
井筒さんがこれまでに移住をしてきたきっかけはさまざまで、ポジティブな理由もあればネガティブな理由もあったとか。しかし、きっかけはどうであれ移住先ではないものを作り、今を楽しんでいます。
今回はそんな井筒さんの経験から、今を楽しむコツを話してもらいます。


井筒 耕平さん
1975生まれ。愛知県出身。環境エネルギー政策研究所、備前グリーンエネルギー株式会社、美作市地域おこし協力隊を経て、2012年株式会社sonraku(旧村楽エナジー)代表取締役就任。博士(環境学)。共著に「エネルギーの世界を変える。22人の仕事(学芸出版社)」「持続可能な生き方をデザインしよう(明石書店)」などがある。

地方だからこそ「誰の」「何のために」が感じられる

これまでどんな地域に住んできたのか詳しく教えていただけますか?

井筒さん
愛知出身で北海道の大学に行って。就職は静岡県で、一回愛知に戻ったけどその後東京に7ヶ月くらい住んで、そこから岡山に引っ越して、神戸行って北海道。北海道2回被っているんですけど、愛知を入れると9、出身地を入れないと8って感じ。

進学やお仕事が理由ですか?

井筒さん
長期的に北海道行きたかったからとか仕事の関係でい続けた方がいいなとかもあって、神戸にいる意味もあんまなくて、子供の少年野球チームから離れることだけがしんどかったけど、それ以外は北海道行く方がいいかなって思った。
あと家買っちゃったんです、流れ上。流れ上っていうのは、岩見沢は妻が地域おこし協力隊やってた場所なんです。で、その友達に北海道来るなら岩見沢おいでよって言っていただいたし、「家も見つけてあげるよっ!」みたいなおばちゃんがいて。たまたま北海道でコンサルの仕事をしてたから行った時に探したら、もうここにしようみたいな感じになっちゃって。

以前は岡山で地域おこし協力隊をしながら、途中から神戸に引っ越したと聞いたのですが、二拠点生活になったのはどうしてなんでしょうか?

井筒さん
離婚がきっかけです。離婚して、1〜2年くらいは西粟倉にいた。子供が小学校に上がる頃、それまでは結構出張に連れて行っていたけど、預ける人がいないから連れていけなくなって。義務教育だから連れていけなくなるし、かつ預ける人もいないから西粟倉に住めないなって思って。
神戸くらいだったら元奥さんの実家があったりして、愛知まで撤退すると岡山まで遠いし。神戸くらいだったら良いし、都市にちょっと逃げたかったっていうのはあります。12年くらい岡山の田舎に住んでいたから。濃いから、田舎は。

濃いとはどういうことでしょうか?

井筒さん
西粟倉にいる時はすごい攻めてて。都市って匿名性が高いから自分のやってること、自分の存在って薄れる。目立っちゃう、田舎は。自分の行動が全部知られてる、みたいなのはよくある話だけど、まさにそんな感じで。

あと林業の世界も関わっていると義理と人情の世界がすごいから、挨拶が遅いとか来ないとか。あと新しい仕事も起業してすごい攻めるわけじゃないですか。いろいろ逃げたかった。だけど逃げたさが一番じゃなくて、やっぱり子供のことが一番だった。いれるんだったらいたかったかもしれないけどって感じ。

いろんな地域に移住されて、息子さんの成長には何か影響はありましたか?

井筒さん
視野は広いと言うか、例えば社会の勉強の時に日本地図が出てきたりすると住んだことある場所が他にもあるから、すごい強いリアリティを持っていて。阪神大震災の勉強とかも神戸の小学校でもめちゃくちゃ勉強してて。でも「もう引っ越したくはないな」「転校したくはないな」ってことも言っているので、まぁそうだよねって。

息子さんが自分で野球チームを作ったと聞いたのですが本当ですか?

井筒さん
そうですね。最初は既存のチームに入ろうとしてたんだけど、週6回の練習は無理だなと。近所の小学校でも無くなっちゃってるチームも沢山あって。
ヤバイっていうかこのままだと野球できないねってなったけど、作ればいいねみたいな感じになって。それはたぶん、息子から単独で出てきたっていうよりは話してるうちに作ろっかみたいな感じになった。

息子がユニフォーム描いてみたらって話になって、誰が監督でどこ自分は守ってっていう一枚のプレゼン資料みたいな、落書きみたいなやつだけど描いて、意外とユニフォームカッコイイやん、と。じゃあ他の大人にもこれ持って行ってみようぜみたいな感じで、岩見沢市協力隊時代に知っている友達とかにも言ったら、「やりますか!」って。大人がその後かなり頑張ってって感じです。

普段からそのように新しいことを考えているのですか?

井筒さん
それはめちゃくちゃあると思う。今もだし、仕事上はめちゃくちゃいっぱいある。でも神戸の時は思わなかったです。余白があるからやってるだけで、神戸でやる必要はないかなとか思っちゃう、全部あるから。
野球チームも減っていっているしね。こんな言い方もあれだけど、「ありがとう」って思ってくれる人が多いんじゃないかな。それがモチベーションになるっていうか、自分の子供のためにってのもあるけど、他の小さい子たちのために純粋にできる。

それは神戸から来たからこそ感じているのでしょうか?

井筒さん
そうですね、確かに神戸の会社で働いてたわけじゃないからそういう強い関係になる人がいなかったのかもしれないけど、現状やっぱり、例えば休みの日とか何しようって思っても正直なんでもあるにせよ思いつかないっていうか。全部金かかるし、ラウンドワン行くとかそんな感じ。何やっていいか分からん、結局。

野球を通して移住者を増やす

井筒さんは野球チームにも関わってると聞いたのですが、それはお仕事なんですか?

井筒さん
仕事ですよ。ウチのグループ企業が保有しているので。

独立リーグのチームを持つには収益性とは別のビジョンがないと難しそうだと思うのですけど、どうなんでしょうか?

井筒さん
まさにその通りで。事業ドメインは思いっきり土木なんで。しかも社長は小学生までしか野球やってないので、野球は好きだけどそこまで分からんってのもある中で、でも地域をオモロく、もうちょっと明確に言うと人が足らんから人がもっといるような感じにしたいっていうのはあって

なんかのキッカケで野球っていう風にはなったと思うんですけど。若い選手が20人以上来るので。ウィズキャリアっていうミッションというかコンセプトがあるから、今回北海道ベースボールリーグから離れたんです。

それで、去年は監督がいなかったんですけど、今年は監督も用意して。今はちゃんとトレーナーもいる。結構マジの独立リーグのイメージ。マジなんだけど、でも一番のミッションは移住・定住なんです。

どういうことですか?

井筒さん
球団代表の3人に、【めちゃくちゃ盛り上がってるけど、1人も移住しない】のと、【全く盛り上がらないけど、1人でも選手が移住する】のどっちがいい?って聞いたら、「1人でも移住する方が良いです」ってみんなおっしゃってたんですよね。

というのと、もう一つはNPBに行かすってことをKPIにすると他の独立リーグと被っちゃう。だったら、違う価値を出した方がいいんじゃない?っていう話になって。

だから結構ちゃんとビジネスマンなんです、球団代表たちは。ちゃんと収支計画も出すし、ちゃんとした書類も準備して。

野球の独立リーグは夢を追う場所でもあり、夢を諦めさせる場所でもあると思うのですが、実際はどういう感じなんですか?

井筒さん
理想としては結構みんなまず働いてます、働く場所も紹介するし。やっぱり採用する側も数年いてくれると採用しやすいとかあるじゃないですか。
あとは、NPBに行きたいとは言ってるけど、叶わない可能性のほうが高いって分かってるから、野球だけやるってことの怖さみたいなことも理解していて。だから、人間というかビジネスマン的な部分も作っていってあげたほうがいいかなって思ってます。

だけどすごい難しくて、NPBしか目指してねぇよとか、野球しかしたくねぇよって人も当然いるから、だからそこはマッチしないっていうか全然インプットされないかもしれない、全然入っていかないかもしれないけど、それでもそういうことを伝えることは後から効くかもしれないし、そんな感じで。

経済性だけでは語れない今を楽しむこと

これまでいろんな地域で生活されて、ギャップに感じたことはありましたか?

井筒さん
例えば岩見沢市は除雪機が無いと生きていけないなとか。それ言われてないぞみたいな。あと、ここの地域の住宅買うときの価格って実はめっちゃ安く買えるんだけど、そういうのはネット上には出てなくて。

実際にどのくらいの金額だったのでしょうか?

井筒さん
このあたりは開発されたとこだけど150万とかで買えます。

そういう情報は住んでみないと入ってこないのですか?

井筒さん
そうなんですよね、結局仕事だけで来てるのと暮らすって全く違うなって思って。仕事先である士別の小学校ひとつとってもすごく良い小学校っぽい、木造でドアもないすごく良い小学校なんだけど、どんな感じになるか全然想像できない感じだから。
やっぱ少年野球もそうだし、子供がいるといないで暮らしへのレイヤーの関わりが全然違う。子供がいると全然、「えぇ!?」みたいなレイヤーとすごい知り合えるところとか、いろんな体験ができちゃうっていうこともあるけど、そんなの全然オープンにされないもん。

住んでみて分かることがめちゃくちゃ多いです。意外とスーパーめっちゃ近くて何この便利な場所って思ってるし、今。あと除雪も、札幌って今年すごい問題になったけど、岩見沢除雪スゲーなとか、めちゃくちゃやってくれるとかも住まないとほんと分からないから。

井筒さんの「豊かさは経済性だけでは語れない」という考えはいつから持っていたのでしょうか?

井筒さん
経済合理性というか、めちゃくちゃ稼ぎたいとは確かに思ってなかった気がする。大学入って一番のキッカケは、ニセコで居候していた時に、フリーターでスノーボーダーとかスキーやってる人がいて。日本の夏が来たらニュージーランドに行って、年中滑ってるみたいな。

人生は楽しまないとみたいなこと言っていて、そういう考えなかったんです、僕。将来のことばっかり考えてたわってなって、今をとにかく追い求めよう、今自分が楽しいか、今自分が熱くなれてるかみたいなところをちゃんと見ていこうって思って、ここまでは走ってきたって感じです。
逆にいうとそれをやりすぎて、引っ越ししすぎて、逆に信頼性、クレジットが貯まらない、クレジットとお金がたまらない問題に直面してるから、40代中盤だしもうちょっとそっちも意識していこうかなみたいな感じもあるんですけど。

逆に40代中盤からクレジットとお金を貯めていても、心は豊かだということですか?

井筒さん
そうですね。全然それで良いし、もう十分やったから。失敗もしたし。でも失敗した経験を活かせることってあるじゃないですか。

自分の価値をどうやってその組織で出せるか、そして受け入れている側の企業が異質な人材に価値を置けるかみたいな意味では、今関わっているイトイグループってそこは土建屋さんなのにすごい異質な人材を集めようとしているところがイケてるやんって思って、ジョインしたって感じです。

とはいえこれまでは大変だったな。やっぱ今は仕事上だけど仲間がいるっていうのは強いし、逆にほんとに1人でやってたからしんどかったなって思います。


~ケンジンからの学び~
地方では自分がしたことに対して「ありがとう」と思ってくれる人が多く、それがモチベーションになる。将来のことばかり考えるのではなく今を楽しむために、地方だからこそないものを作り楽しもう。