挫折や逃げた過去

今も別にメンタルが特別強いわけではないけど、浮き沈みがあるタイプではない。

落ち込むことも凹むこともあるんだけど基本的に「落ち込むこと、凹むことにも資格が要る」と思うようにしている。

上手くいかないことが自分の目の前に起こるときっていうのはだいたい自分に至らないことがあることがほとんどだからだ。

人間関係で上手くいかないときは相手がどうあれ自分の態度やあり方に問題があったり、よくよく振り返ってみると真摯さが足らないことがあるし仕事で上手くいかないときは突き詰め方が甘かったり準備が足りなかったり原因は常に自分にある。

だから落ち込むことも凹むことも大げさだけれど「3秒」と自分に言い聞かせる。

もっとできただろう、もっと違うやり方があっただろう、努力がたらなかっただろうと。

落ち込む時間、凹む時間があるなら前を向いて、いたらなかった自分を少しでも前に進める方法を考える。

当然若かった20代の頃からこんなふうに考えられたわけじゃない。


逃げ続けた20代前半


20代前半僕は広島市内のイタリア料理のレストランで働いていた。

結論から言うと僕はそのお店を辞めるときいい辞め方ができなかった。

というか辞め方としては最低だった。

今振り返っても単純に僕は「逃げた」

別に厳しいシェフに怒られる毎日だったわけではないし、パワハラがあったわけではない。

ただ内容は控えるけど今振り返ってもありえないことがこのお店では起きていたけれど。

まあでも目の前のうまくいかない状況に「向き合えるだけ向き合う」ということを拒否して逃げたのだ。

その頃の僕はというと広島という小さなフィールド、その中の小さなレストランで若くしてセクションを任せてもらっているというただただそれだけなのにただただ勘違いをしていた。

小さな世界の小さな自分を大きく見ていた。

そのレストランを辞めたあと僕は福岡のレストランに勤めることになった
そこで突きつけられたのが現実だ。

シェフは東京で経験を積んだ僕より4才ぐらい上の26才ぐらいの人だったんだけれどスピード、技術、知識どれをとっても次元が違っていた。

那須川天心がメイウェザーにボコボコにされるかのごとく圧倒的な実力差に愕然とした。

小さな世界でしか自分を見られてなかった自分に現実が突きつけられた。

そして今思えば小さな挫折(その当時の自分にとっては大きかったんだけれど)に負けてまたまた逃げた。

この頃の僕は完全に逃げ道人生だ。

単純に自分の至らなさと向き合えてなかった
自分ができないということを認めることができなかった
とても手が届かない実力を目の当たりにしたときにその現実にただ落ち込んで凹んでいた。

落ち込む資格なんてなかったのにだ

ただ時間が経つにつれて弱かった自分、いたらなかった自分が見えてくるもの。
自分が特別ではないこと、才能なんてないこと、人よりも能力が低いことが見えてくる。

別に開き直るわけじゃなくそれが現実なのだ。

それを認めてしまえばいいのだ。

人と比べる前に己を正すこと。
人のせいにする前に自分に出来ることは何なのかと向き合うこと
自分の目の前の上手くいかないことはだいたい自分自身に問題があるということに気付くことが大切だと思う。

若くてうまくいってない人へ

きっと若い頃の僕と同じような悩みを抱えている人っていると思う。

逃げちゃった人もいるだろうしまさに逃げたいと思っている人もいると思う。

逃げることを推進するつもりはないし向き合えるなら向き合ったほうがいい。

逃げたからその業界に戻っちゃいけないなんてありえないし実は何度だって挑戦権はある。


ただ人生は続いていくし、越えられなかったハードルを越えずにくぐったところで目の前にはまた同じハードルが立ちはだかるし、逃げた自分にはいつまでも同じ問題が追いかけてくる。

だからこそ弱い自分を認めて徹底的に向き合うことをおすすめしたい。

落ち込んだり凹んだりしてもいいけどそれでは解決にならないからこそ前を向いて突破する方法を考えることをおすすめしたい。

答えは自分のあり方にあるし
自分自身の弱さはだいたい自分で気づいていることがほとんどだと思う。

逃げた過去、人の目を気にする必要はないです。

僕もそうだったし今もまだまだ前進中だ。

一緒に頑張りましょう!



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