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図式で学ぶ量子論 番外編その3 ~量子もつれ状態と非局所相関について~

連載の記事一覧:
#1 量子論の数学的構造
#2 CP写像の基礎
#3 確率論としての古典論・量子論(前編)
#4 確率論としての古典論・量子論(後編)
#5 プロセスの表現
番外編 2準位系から多準位系への演繹による拡張は難しい
番外編その2 堀田先生の書籍(中略)演繹的に導けていない
番外編その3 量子もつれ状態と非局所相関について


2022年のノーベル物理学賞は,もつれ状態を用いた光子に関する基礎的な実験で,アスペさん,クラウザーさん,ツァイリンガーさんに授与されることに決まりました。

いくつかの解説記事が出ていますが,日経サイエンスの下記の速報はとてもよくまとまっていて,一般の方にもわかりやすいのではないかと思います。

この記事では,「量子もつれ状態とは何か?」,「何が不思議なのか?」について,図式を使って簡単に(かつできるだけ厳密さを犠牲にせずに)説明したいと思います。

量子もつれ状態とは何か?

量子系 $${ m \otimes n }$$ の状態 $${ \rho }$$ が次の形で表せるとき,分離可能であるとよびます。

ただし,$${ \{ p_i \}_{i=1}^k }$$ は確率分布であり,$${ c }$$ は古典系であり,$${ \xi_1,\dots,\xi_k }$$ は正規状態であり,$${ f }$$ と $${ g }$$ は量子操作(=量子チャネル)です。右辺にある黒丸は,コピーに相当する写像だと思ってください。この図式は,確率 $${ p_i }$$ で準備された状態 $${ \xi_i }$$ を系 $${ m }$$ と系 $${ n }$$ で共有して,各系で局所的な量子操作 $${ f }$$ と $${ g }$$ を行うことによって $${ \rho }$$ を作れることを意味しています。図式の厳密な意味がわからない方でも,何となく雰囲気がつかめれば十分です。変数 $${ i }$$ はしばしば(局所的な)隠れた変数とよばれます。分離可能ではない量子状態を,量子もつれ状態とよびます。

量子もつれ状態は何が不思議なのか?

上記の説明から,分離可能な状態 $${ \rho }$$ においてもし系 $${ m }$$ と系 $${ n }$$ の間に何らかの相関があるならば,その原因は隠れた変数 $${ i }$$ に関する情報が(古典状態 $${ \xi_i }$$ として)共有されていることにあると解釈できます。逆に,$${ \rho }$$ が量子もつれ状態ならば,系 $${ m }$$ と系 $${ n }$$ の間に相関があったとしても,その相関の原因は隠れた変数によるものとは限らないといえそうです。

この考え方を厳密な形で定めたものが,これから説明する「ベル非局所相関」です。この相関は,少なくとも古典論的な考え方に馴染みがある我々にとっては不思議に思えることでしょう。量子もつれ状態は,しばしばこのような相関をもつため不思議であるといえると思います。

ベル非局所相関とは何か?

合成系 $${ m \otimes n }$$ の分離可能な状態 $${ \rho }$$ に対して,系 $${ m }$$ の測定 $${ \Pi \coloneqq \{ e_a \}_{a=1}^r }$$ と系 $${ n }$$ の測定 $${ \Pi' \coloneqq \{ e'_b \}_{b=1}^{r'} }$$ を行うことを考えます。このとき,測定結果がそれぞれ $${ a }$$ および $${ b }$$ になる確率($${ P(a,b|\Pi,\Pi') }$$ とおきます)は,状態 $${ \rho }$$ にエフェクト $${ e_a \otimes e'_b }$$ を施したものとして次式で表せます。

ここで,最初の等号では先述の図式を代入しました。また,状態 $${ f(\xi_i) }$$ に対して測定 $${ \Pi }$$ を行ったときに結果が $${ a }$$ である確率(つまり $${ e_a }$$ を施した確率)を $${ A_i(a|\Pi) }$$ とおき,状態 $${ g(\xi_i) }$$ に対して測定 $${ \Pi' }$$ を行ったときに結果が $${ b }$$ である確率(つまり $${ e'_b }$$ を施した確率)を $${ B_i(b|\Pi') }$$ とおきました。任意の $${ i }$$ と測定 $${ \Pi, \Pi' }$$ に対して $${ \{ A_i(a|\Pi) \}_{a=1}^r }$$ と $${ \{ B_i(b|\Pi') \}_{b=1}^{r'} }$$ はともに確率分布になります。

つまり,隠れた変数 $${ i }$$ が存在する場合には,$${ i }$$ と測定 $${ \Pi }$$ によって定まる確率分布 $${ \{ A_i(a|\Pi) \}_{a=1}^r }$$ と,同じく $${ i }$$ と測定 $${ \Pi' }$$ によって定まる確率分布 $${ \{ B_i(b|\Pi') \}_{b=1}^{r'} }$$ が存在して,この式を満たします。もし隠れた変数 $${ i }$$ の値がわかっていれば,測定 $${ \Pi }$$ および $${ \Pi' }$$ の結果がそれぞれ $${ a }$$ および $${ b }$$ になる確率は結合確率 $${ A_i(a|\Pi) B_i(b|\Pi') }$$ に等しくなります。この平均をとったものが上の式の右辺 $${ \sum_{i=1}^k p_i A_i(a|\Pi) B_i(b|\Pi') }$$ です。

ベル非局所相関をもつとは,上の式の形では表せないような場合があることを意味します。より正確には,状態 $${ \rho }$$ に対して与えられる確率 $${ P(a,b|\Pi,\Pi') }$$ が,どのような確率分布 $${ \{ p_i \}_{i=1}^k, \{ A_i(a|\Pi) \}_{a=1}^r, \{ B_i(b|\Pi') \}_{b=1}^{r'} }$$(ただし $${ i = 1,\dots,k }$$)を用いても

$$
P(a,b|\Pi,\Pi') = \sum_{i=1}^k p_i A_i(a|\Pi) B_i(b|\Pi') \qquad (1)
$$

の形では表せないような測定 $${ \Pi }$$ と $${ \Pi' }$$ が存在するとき,$${ \rho }$$ はベル非局所相関をもつとよびます。

上記の議論は,量子状態 $${ \rho }$$ が分離可能ならばベル非局所相関をもたないことを意味しています。対偶を考えると,$${ \rho }$$ がベル非局所相関をもつならばもつれ状態であることがわかります。とくに $${ \rho }$$ が純粋状態ならば,逆も成り立つ(つまりもつれ状態であることとベル非局所相関があることは等価である)ことが知られています。

系 $${ m }$$ と $${ n }$$ の少なくとも片方が古典系の場合には,合成系 $${ m \otimes n }$$ の状態は必ず分離可能であり,したがってベル非局所相関をもたないことを示せます。このため,量子もつれやベル非局所相関のような概念は,古典論的な考え方では説明ができないといえそうです。

なお,分離可能やベル非局所相関という概念は,古典論や量子論を一般化した確率論においても同様の方法で定められます(このような理論の代表例が操作的確率論または一般確率論とよばれるものです)。つまり,これらの概念は量子論に特有のものではありません。ベル非局所相関をもつか否かという問題は,仮にこの世界が量子論にしたがっていなかったとしても意味のある問題になっています。

2022年ノーベル物理学賞について

量子状態がベル非局所相関(という不思議な相関)をもつための十分条件を与える不等式として,ベルの不等式とよばれるものが見出されました。厳密にはベルの不等式は厳密にはいくつかの種類があり,ここではその総称を意味しています。ベルの不等式を破っていればベル非局所相関をもつことが示されています。

今回のノーベル物理学賞は,ある量子状態がベルの不等式を破っている,つまりベル非局所相関をもっていることを実験により確かめたことに対して与えられています(量子テレポーテーションなどの量子情報科学に関する先駆的な実験に対しても与えられているようです)。先述のようにベル非局所相関をもつならばもつれ状態ですので,これらの実験はもつれ状態が存在することを示していることにもなります。

ベルの不等式を少し詳しく

ベルの不等式の一つといえるCHSH不等式が破られていることについて,簡単な数式を用いながら説明します。

上で述べた状況において,ベル非局所相関をもたない(つまり式(1)のように表せる)ような状態を考えます。以下では,測定 $${ \Pi }$$ と $${ \Pi' }$$ のそれぞれの測定結果として結果 $${ 1 }$$ と結果 $${ 2 }$$ の二つのみに着目します。$${ x_{j|i} \coloneqq A_i(j|\Pi) }$$ および $${ y_{l|i} \coloneqq B_i(l|\Pi') }$$ とおくと,これらは明らかに $${ 0 }$$ 以上 $${ 1 }$$ 以下の実数です。また,$${ s_{j,l} \coloneqq P(j,l|\Pi,\Pi') }$$ とおくと,式(1)より次式が得られます。

$$
s_{j,l} = \sum_{i=1}^k p_i x_{j|i} y_{l|i} \qquad (2)
$$

一方,任意に選んだ $${ 0 }$$ 以上 $${ 1 }$$ 以下の実数 $${ x_1, x_2, y_1, y_2 }$$ に対して,次式が成り立つことがわかります(ここでは導出は割愛しますが,比較的簡単に導けます)。

$$
|x_1 y_1 + x_2 y_1 - x_1 y_2 + x_2 y_2| \le 2 \qquad (3)
$$

このため,$${ C \coloneqq s_{1,1} + s_{2,1} - s_{1,2} + s_{2,2} }$$ とおいて式(2)を代入すると,次式が得られます。

$$
\begin{align*}
C &= \sum_{i=1}^k p_i (x_{1|i} y_{1|i} + x_{2|i} y_{1|i} - x_{1|i} y_{2|i} + x_{2|i} y_{2|i}) \\
&\le \sum_{i=1}^k p_i |x_{1|i} y_{1|i} + x_{2|i} y_{1|i} - x_{1|i} y_{2|i} + x_{2|i} y_{2|i}| \\
&\le 2 \sum_{i=1}^k p_i = 2 & (4)
\end{align*}
$$

ただし,$${ 3 }$$ 行目の不等号では,式(3)に $${ x_j = x_{j|i} }$$ と $${ y_l = y_{l|i} }$$ を代入した式を用いました。式(4)は,ベル非局所相関をもたない限り,$${ C }$$ は必ず $${ 2 }$$ 以下になることを意味しています。

$${ s_{j,l} }$$ は実験により近似的に求められて,実験を繰り返し行うことでその近似誤差を十分に小さくできることがわかります。このため,$${ C }$$ も実験的に求められます。ある特定の状態に対して実際に $${ C }$$ を求めると $${ 2 }$$ を超える場合があり,したがってベル非局所相関をもっているといえるのです。


今回の記事では,量子もつれ状態やベル非局所相関について紹介しました。量子情報理論では,ベル非局所相関と同様にもつれ状態の特徴的な性質である「操縦可能」という性質も,しばしば研究対象になります。これらについては,書籍「図式と操作的確率論による操作論」の8.3節でより詳しく説明しています。

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