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昔の暮らしと自然資本

使うへっついが決まったあと、弥一郎は豆を戻すところも見せてほしいと言った。だが、作業としては豆を洗って、水と醤油、味醂を合わせた汁に浸すだけのこと。わざわざ見に来た弥一郎が拍子抜けしていた。

きよのお江戸料理日記:40ページ

当たり前なのだが、石油がおおっぴらに使われるようになるまでは、自然資本に頼った暮らしが世界中で展開していた。へっついにしてもかまどにしても、今風にいうと再生可能エネルギーである薪を使っていたわけで、そういう意味では、今の暮らしがなんと簡便なのかと改めて感じた。我が家は炊飯器がないので、鍋で弁当用のごはんを炊くのが僕の朝の仕事なのだが、薪でコメを炊け、となったら、そんなことやってられないはず。

20代まで、好きだったのは司馬遼太郎や吉川英治のようなどちらかといえば英雄譚的な歴史小説。もう少し年を重ねるとだんだん藤沢周平や山本周五郎の小説の味が分かってくるようになってきた。最近では、生活感が感じられるような歴史ものが面白く感じる。

昔よりも今の方が断然暮らしやすいし長生きできるわけで、江戸の暮らしを批判なく持ち上げるような気持ちはないのだけれど、例えば地下鉄に乗っていても、皆が同じようにスマホを見つめているような画一的すぎる社会に生きていることに、ちょっと怖くなる時があったりもする。多様性が大事、と声高に叫ばれているのに、人の考え方が急速に画一化しているように思う。

人間という生物も頭の中の「多様性」保全が必要なのかもしれない。

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