行動するときの力の源

私を含めて人ってなかなか行動に移せない生き物だ。人というくくり方だとなかなかイメージが湧かないと思うので自分自身について考えてみてはいかがだろうか。自分自身、行動に移せているだろうか。何十年も自分をしていると自分という存在はなかなか行動できないと実感する方も多いのではないだろうか。

では逆にあなたは「行動するとき」はなぜ行動できるのだろうか。一度考えてみてもいいのかもしれない。私は今回、考えるきっかけがあったのでそれをお伝えできればと思い記事にしました。

自分が行動する一歩を踏み出す時や限界寸前で踏みとどまるときに何かの力が働く。何かの力が後押ししたり踏みとどまらせてくれる。このときに「働く力」とは何だろうか。今回はここからお伝えしようと思う。
この「働く力」の多くは、外部要因であることが多いのではないだろうか。

これ細分化するとすごく面白いことに気が付く。

例えば〇〇が欲しいと思ったとして、それを細分化すると見栄を張ったり、恩返しだったりする。もう少し細分化してお伝えするとなぜ働くのか、それは自分が生活するためだし家族を養うためだったりする。さらに給料がほしいと考える理由は更にいいところに住みたいとかこの車ほしいとか、子供を大学へ連れていくためとか、ブランド物を買う理由だって外部要因だと思う。
ブランド品を買ったのであれば誰かに見せたいと思うかもしれないし、身につけている自分かっこいいみたいな理由かもしれない。

逆に何か行動そしていて踏みとどまったり、更に稼いでやろうとかもっと結果を出してやろうとか考えるのは自分自身悔しかったり、見返したい人がいたりするからではないだろうか。

この二つの外部要因は「応援者」と「アンチ」で分類できる。応援者にはもっと喜んでほしいし、アンチには見返したいという感情が湧きやすいと思う。
確かに応援者だけのほうが行動するときの力の源と考えやすいがやっぱり応援者ばかりでも継続していけないのではないだろうかと考える。
かといってアンチばかりいる環境では自分自身の存在価値が見いだせなくなる可能性があるので両方いることが自分の行動源になる。

家族や子供や恋人がいるから行動できる自分。
自分を全力で否定してくれる人がいるからなに糞で行動になる。

結局のところ力の源は応援者とアンチ。当たり前かもしれないが両方のバランスって実はすごく大切なのかもしれない。このことに最近あらためて気づかさせた。インターネットが普及し、インターネットやSNSでの検索はハッシュタグとなり、自分と同じような意見を持っている人ばかりと繋がりやすくなった世の中はとても住みやすいのかもしれない。
この住みやすいストレスの感じない環境を「コンフォートゾーン」なんて呼ぶらしい。世の中の90%はこの心地よい環境から抜け出そうとしないし、抜け出す努力をしていない。

確かにアンチなんてストレスでしかないけど、このアンチのおかげで踏みとどまることができるときがある。
本当につらくてやめたくて逃げたくなった時に踏みとどまらせてくれる存在はやっぱり応援者ではなくてアンチだと思う。目をつぶった時に憎たらしいあいつの顔が浮かんで来たらもう一時間、もう一日踏ん張ってみるか!なんて思うかもしれない。

結局のところ、どちらも大切。不必要なものではない。
全てが糧になるような気がした。

ただこれを意識しない人が大半だし、意識できない人がほとんどなのだと思う。だからと言ってアンチがすごいという話をしているつもりはない。
自分自身、他人のことは変えられないので変えらえないのであれば自分自身の受入れ方や捉え方を変えたほうがいいのではないかという答えに至った今日この頃。

アンチに対して費やしている時間があるのであれば、言わせるだけ言わせて結果で証明すればいいだけの話だ。その結果を出すまでの行動の源の一つと考えられれば、自分はもう一歩行動できるかもしれない。

行動する源はあなたの捉え方次第化も。まつでした。またね。

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