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佐藤航陽さんの『世界2.0』を読んてみた。

どうも!まつです!不変的なことを思考する。これが結構好きな人間です。そんなまつが考える数学、略して【まつ学】そのまつ学で一人でも世の中のモヤモヤが晴れればいいという想いで気が向いた時にまつの独り言投稿。

時々、ビジネス本の要約やります!

今回読んだビジネス本は佐藤航陽さんの『世界2.0』です。

本書を読み進めるにあたっての前提知識が冒頭で書かれており、『テクノロジーの本質的な特徴は①人間を拡張するもの②人間を教育し始める③掌から始まり宇宙へと広がる』ということです。

なんとなくだけど、言いたいことはわかる。私なりの解釈で説明すると、
①の人間を拡張するものとは、人間が持つもともとの能力を更にグレードアップさせることが一つの目的となる。例えば、車であれば、もともと人間が持っていた移動という手段を更にグレードアップさせたものが車。能力の拡張という解釈になる。

②人間を教育し始めるとは、普及したテクノロジーによって人はその操作や利便性を覚え、普及したテクノロジーを中心に生活を成り立たせようとする。そして更にどう応用できるかを常に考えるようになる。例えばスマートフォン。元々は電話する道具に過ぎなかったツールがいつの間にかスマートフォンを中心に生活が始まるようになる。これを一種の教育ということになると思う。

③掌から宇宙へ
ここはちょっとイメージが沸かなかったので本文をパクらせていただくとして、テクノロジーの普及は個人から始まり、企業、行政へと拡がっていく。このスピードはおおよそ3〜5年というスパンになるらしい。

当初より、ここに目をつけて始めたとしても理解できる人は限りなく少ないため、膨大な資金力がない限りはスモールスタートにしていくことが重要になる。
私自身ももしかしたらスモールスタートでおこなっていればうまく行った事業だったのかもしれない。なんて一つでもうまくいってから言えって話だよね笑っ
 でもそれくらい将来流行ることを先読みするって難しいと思うし、それを現実化させたいと思う。
自分という生き物がどの未来を解像度高く意識して生きているかによって行動が変わると思う。
しかし今の日本において行動を止めている要因として思考停止や固定概念だということを個々個人が理解する必要があると思う。だからインターネットが出てきたときに『どう規制するか』に重きをおいてきた結果が今の日本だという。

メタバースも同じような道を歩ませてしまったら本当の意味で日本は終わってしまうと著者は考えているそうだが、私個人的な考えをお伝えすると、そもそもメタバースがWEB3.0が流行ること自体が人間を終わらせているような気がする。

少し話がそれるかもしれないが、そもそもテクノロジーを進化させていた理由の一つに人間という自分がどれだけ楽できるかを追求したことによると思う。
その究極系がメタバース。人気店にいって列ばなくても体験できるようになり、気候に左右されるようなこともない。一定水準以下の人たちは、そこに気づかず餌にされていく未来がなんとなくイメージできた。

そしてもう一つ、一時の苦痛や苦労、大変さなどのマイナスの感情や体験が更に幸せや楽しいなどのプラスの感情や体験を増幅させる要因だったのに、きっとメタバース内では殆どないような気がする。
となるとこのマイナスの感情や体験は一部の富裕層だけの特権になってしまう可能性も出てくる。
そしてメタバースにズブズブになった人間の中の限られた人種がそこで一度、気が付きメタバースが二分化されるようなイメージをしている。
これは私の妄想なので著者の考えとは全く関係ないのでご了承いただきたい。

メタバースといえば?
現時点でVRゴーグルをイメージする人がほとんどだと思う。しかし普及していない事実に対して普及するための3つのアプローチが述べられている。
①まだ習慣が身についていない次の世代への浸透を狙う
②すでに定着している習慣を探し、できるだけそこに寄せる
③ファッションの一部にしてしまう
このどれかを意識するような企業が出てくるとVRゴーグルは普及し始める可能性が多いにある。
そしてもう一つメタバースを普及させる要因の一つにゲームで普及させるというものがある。
私もこの考えに対しては共感しかなく、世の中のテクノロジーを普及させるためのポイントとして「ゲーム」と「エロ」があると思っている。ある意味この2つのためにテクノロジーは普及したとも考えられないだろうか。
普及してしまえば、いくらでもビジネスに転換できることを考えれば、そこに注力する理由も分からなくもない。

本書を読みながらふとメタバースの世界を普及する上で重要になることは、「ルール」を設定することだと感じた。それだけ現代社会に生きている人たちはルールに守られていて自発的に動くことになれていないようにも感じる。
少しだけイメージしてほしいことは、今生きている環境の中でルールがなくなってしまったら、自分は生きていけるだろうか。
当然や当たり前だと思うことの殆どはルールの上に成り立っているのかもしれない。このルールをうまく作れたメタバース空間が繁栄すると思う。
と思ったのだが著者の佐藤さんの考えは違うらしい。ルールについては本書の内容を踏まえながら後ほど、説明しますね。

そのメタバースをつくる上で必要な要素が『視空間と生態系でこの2つの合せ技で構築しなければならないく、とても難易度が高い。そして人間の目に映る視空間を要素分解すると、さらに「人間(アバター)」と「背景(フィールド)」の2つに分けられる。』
ここで注意しなければならないポイントが本書に書かれていて人間の変化には細かく気が付くのに、背景の変化にはほとんど気が付かないという点。
それは私たちは人間の専門家であるということに他ならない。

そして背景に関しては、予想以上に大雑把なものでも構わないらしい。しかし自分が知っている過去の経験と類似点を見いだせない限り、作品の世界観を楽しんだり没入したりできないことも注意が必要。

メタバース空間を創る技術が進むに連れ、ミラーワールドと呼ばれる現実世界に限りなく近い世界をほぼ同じスピードで創り出せるようになる。
そうなると世の中において嘘がつけない、盛れない、真実のみの世の中になり、人間は失敗しない生き物。しくじらない生き物になるのかもしれない。

だからこそ本書では『「既存の生態系」から「新しい生態系」へとをつくることができるメタバースに可能性を見出しておるのだと思う。そして生態系の3つの特徴として「自律的」「有機的」「分散的」という要素が必要不可欠であり、この3つで生態系は成り立っている』と作者は語っている。
この言葉を以前、動画で拝見したときの衝撃はスゴかった。
簡単に説明すると・・・
①自律的であること
指示や命令がなくても個々の参加者が自分で考え行動し改善すること。まるで集団そのものに意思があるかのように動くことができる。
②有機的であること
それぞれがお互いに連携しながら一つの生態系全体を成立させる。そこに参加する各人が交流しながら全体を形づくっていくもの。
③分散的であること
反対語は「中央集権的」生態系の真ん中には常に指示をする司令塔がなければ成り立たない。分散的な生態系は司令塔や指揮官がいなくても止まることなく動き続ける。

この3つがうまく機能することで生態系として成立する。そして生態系のような集団を形成する際に注意しなければならない点も書かれていて『カリスマの求心力』についてだ。
集団をつくる上でカリスマを中心にすると立ち上がりスピードは早いがとてももろくなってしまう。
だからこそスタート時はカリスマに組織を形成してもらい徐々に生態系として移行させるという戦略が現実的らしい。
これについては私もたまに考えることがあり、著者の佐藤さんの意見に大賛成。というか現実的に考えてこれ以外の方法が見当たらないといったほうが正しいと思う。しかし世の中を見るとカリスマを中心とした組織ばかりが目に入る。生態系としての組織を強いてあげるのであれば、学校や塾、街のようなものだと思う。
その人に・・・というよりもその場所やネーム、雰囲気に人が集まる。これをどうつくるかを考えてみても一向に答えなんて出ない。答えが出るのであれば神様になれるかwww

そしてなぜ生態系をつくろうとしているのか。
そしてなぜ生態系に人が集まるのか。

『生態系とは、シンプルにいいかえれば「価値あるものをやり取りする環境」となり、その価値には3つに分類できる。儲かることや役に立つことなどの「①実用的価値」共感できることやポジティブになれることなどの「②感情的価値」世の中全体にとってプラスになること「③社会的価値」』となるそうです。
そしてここにも当然のことながら順序があり、説明した①〜③の順番で価値の大きさが変わる。
上記で述べた価値の有無ができてしまう理由として『「生産者」「消費者」この2タイプがいることによって価値が生まれる。』
相互の関係性やバランスや集め方についてはまで私がまとめてしまうと訴えられそうなので、ぜひ本書を読んで頂きたい。

生態系ができてきたら次に意識しなければいけないこと、それは『生態系を一つの生命のようにとらえる。そして生命には次のような特徴がある。「①代謝構造(価値を循環させること)」「②相互作用性(参加者同士が交流していること)」「③恒常性(誰かが抜けても全体が変わらないこと)」「④自己組織化(ルールや文化が勝手に作られること)」』

私はルールをつくるべきだと考えていたが佐藤さんは自然にできることが重要だと考えているらしい。
ここに対して私自身、否定するつもりはないがたぶん佐藤さんと私がイメージしているメタバースにいる人たちの民度の高さの違いではないかと思う。民度が高い人同士が集まれば、最低限のルールて済むが民度が低い人が集まるとより細かなルールを作るしかなくなると考えている。
だから佐藤さんのイメージするメタバースは民度の低い人が流入してこないイメージなのかなって感じてしまう。
とはいえ、違う意見や違う考えを知ること自体、とても勉強になる。

生態系を強固にする要素の一つとして『流動性の確保(固定化の防止)』を書かれていて私自身も固定化の防止には常に意識をしている。
固定化させたがる人種のほとんどの場合は地位を持った人であることが多い。だからこそあえてここにメスを入れることが生態系を強固にするポイント。

個人的にはこの小タイトルが面白いと思った。それは『参加者個人を惹きつける仕掛け』という部分ですでに私たちが識っているような世の中でヒットしているサービスやゲーム・コミュニティには織り込まれているらしい。下記5つは本書を簡単にまとめたものになる。
①ランダム・フィードバック
自分のアクションに対するフィードバック(反応)がバラバラだと、そこに意識を向けてしまうそうです。ゲーム内でたまに出るアイテムのようなイメージです。3・4回に1回ぐらいの確率で成果が出るものに人間はハマりやすい。
②届きそうな目標設定
届きそうな目標に対しては挑戦したくなる。そして少しがんばれば達成できそうな目標を提示されたほうが長続きするもの。
③難易度のエスカレーション
目の前の難易度が徐々に増していくと熱中して食いつく性質がある。
④社会的相互作用の可視化
自分が周りからどう見られているかを無視できない。「今自分が誰かから見られている」という状況が可視化されると、意識がそこからなかなか離れられない。
⑤進歩している実感の提供
「自分の行動が徐々に進歩している」という実感を持つこと。この積み重ねが自身につながり、その積み重ねが楽しく活動を続けやすくなる。

これらの要素を一つずつ構築していくことが設計者には必要なことでありながら、それを構築したところで必ずしも生態系に進化するとは言えない。
時代とタイミングがガッチリ噛み合うことも大切な要素である。この瞬間に今まで無機質な仕組みでしかなかったものが有機的な生態系になる。

ここまでメタバースや生態系についてまとめてきたが、違う点からお伝えさせて頂くとメタバースこそが時分をリセットできるツールになる。
そして本書でも書かれているように現代のSNSアカウントと同じようにメタバースという複数の世界、複数の人格を形成することも容易にできる。それが日常になり、各世界で自分を使い分け始めたときに一定数の人が一つの病気に気付くのではないかという妄想をしてみる。
それは「自分って?」という症状。
全て自分だと言ってしまえばそれまでだがある意味で多重人格者的な不安定さとファンに見舞われるのかもしれない。

そしてビットコインは生態系になっている。

メタバースやWEB3.0が普及すればするほど人間同士の交流がなくなり分断されていくと私自身考えている。その要因は、本書でも書かれている『バーチャル・タイムトラベル』によるものだ。
人はそれぞれ変えたい過去ややり直したい過去ってメチャクチャあるよね?
そんなときにやり直せるとすればどうかな?当然やり直さない??

これは私個人が思うことなので賛否両論あると思うが、バーチャル・タイムトラベルで過去に戻って自分が満足いくように過去を変えたとする。
例えば、好きな女の子に振られた過去やメチャクチャ失敗して消したい過去。
それを帳消しにできるなら過去に戻ってやり直すでしょ?・・・やり直すことに対して否定はしないけど、やり直したとしてもその記憶が修正されているのは自分しかいないので、リアルなその過去を経験している人とは距離を取るはず。
そう思うと分断せざる負えないのかなって思う。

少し脱線してしまったので本書に戻るけれど、その空間にいるときの時間軸やスピードですら自分の居心地のいいスピードにできるということ。
この考えは正直なかった・・・。
You Tubeなどを見るときに○倍速再生するかのように自分がいる空間の時間軸ですら自分の思い通りのスピードで進めることができる。
これはすごい!!となると人生100年になったとしても50年に感じる人もいれば200年に感じる人もいる。むしろその世界に入るタイミングすら自分で決めることができ、一番早く動ける人の時間軸に合わせて世界が動く。でもその設定は自分で決められるのでそこにいる人たち全てが同じ空間にいながら時間軸の違う空間で生活するという奇妙な世界になるのかもしれない。

更に『脳科学との融合で実現するリアル「マトリックス」』というタイトルでは障害者や高齢者もメタバース上にいることにより健全者と同じような行動を取ることが可能になる可能性がある。
これこそおる意味ゲームの世界と同じでハンディキャップゼロの世の中になる。
じゃあここで差がつくのはなにか?現実問題、それはリアルと何も変わらないことに気がつくのだと思うけれども・・・。

今回は初めてこんなに長くなってしまいました!
見出しもつけずに読みづらかったと思いますが最後までたどり着いてくれたから感謝です!!

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でわでわ!まつでした。またね。

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