本当のこたえって?

みなさんは「答え」とはどんなものだか考えたことはあるだろうか。
私は最近、答えを考えることが増えた気がする。なぜ答えを考えるのか。なぜ正解にならないのか。まずそこから考えていた。

世の中の多数の人は「正解=正論」だという勘違いをしている。いくら正論を発して押し付けたところで正解にはならない。私も正論を押し付けていた時期もあった。
正論を押し付けるということは、押し付けられた人は絶対的に不幸になる。正論では人間は納得できないからだ。

そもそも「正論」と「正解」は違う。厳密もは正解の中に正論という要素があるのではないだろうか。成功の一部に失敗があったり、好きの一部に嫌いがあるように。

この事実に気づいているだろうか。

正論とは世の中の大多数の人に当てはまることであり辞書や教科書とかにのっている内容。
正解とは正論を元に環境やタイミング、人の感情や関わる人を加味して導くものだと考えている。逆に正論とは環境やタイミング当事者の感情をすべて無視した単純な事実にしか過ぎない。今の時代インターネットでいくらでも正論が出てくる。だから正論を押し付けることに何の意味もない。正論を押し付けることしかできないような人間はAIと何も変わらない。その場の感情や環境が把握できていないのだから価値がなくなっていく。

そして正解も人それぞれ異なることを覚えておいた方がいい。それは先ほどもお伝えしたように各々がもっている人脈やタイミングが違うのだから正解が一緒になることはなかなかない。

そして「正解の本質とは何か」これを考えられなければ正解になることはないと思う。私の正解とは正解を伝えたい相手を行動させられるかどうかだと考えている。
では相手を行動させるにはどうすればいいか。これは様々な書物に様々な意見があると思うが、私は「お金」と「感情」だと考えている。この比率が高ければ高いほど、人間は行動する。

人を動かす条件は「お金」と「感情」についての考えはタイミングがあれば書きたいと思う。

人を動かすための正解。
仕事で自分は正解だと思っていないのに上司の指示に従ったり、やりたくもない仕事をうけたり、知人が困っているときに自分を犠牲にして助けに行ったり等、みなさんもこんな経験をしたことはあるのではないだろうか。
すべてにお金と感情でしかない。
この時、いくら正論を言われようが人は動かないだろう。人間は自分の意志でしか行動しない生き物だし、自分の感情でしか行動しない生き物だ。
ではどうやれば人を動かせるのか。
どうすれば正解を伝えられるのか。
それは自分の感情をのせた言葉を発したときではないだろうか。人の感情を動かせるのは人の感情でしかないと思う。

「人の熱量は周囲に感染する」

何かのトップにいる人や何かの中心にいる人は絶対に熱を持っている。この熱とは「想い」ではないだろうか。
良い感情でも悪い感情でもどちらでも構わないとと思うが、その熱と正論が正解を導くと思う。
なぜ良い感情でも悪い感情でもいいのか。

良い感情として「これがやりたい」とか「こうしたい」「こうなりたい」などプラスの感情だ。これはすごく分かりやすいと思う。
悪い感情として「あいつに負けたくない」とか「アイツを見返してやる」などの悔しさなどのマイナスの感情だ。
どちらも行動をする上でとても必要な感情だと思う。
0を基準にプラスマイナスではなくて数値としてどれくらい違いがあるのかということ。数学的に言うと「絶対値」の大きさが自分を動かす原動力になるし、人を動かすための力になる。

【人を動かす = 熱を持って行動する = 正解】

やっぱり相手のことを思った自分の言葉が一番人を動かすと日々感じる まつでした。またね。

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