田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。」を読んでみた

タイトルである「読みたいことを、書けばいい。」という表現に惹かれた。申し訳ない話だが田中さんのことを全く知らないし調べるつもりもない。(そもそも私は芸能人や著名人に興味がなく覚えられないのだ。知人には社会性0と言われるくらい世の中の話題に興味がない)
ただタイトルのセンスに惹かれて読んでいる。

なぜ惹かれたかというと全てのことに置き換えられると思ったからだ。
例えば
買いたいものを売ればいい。とか、ほしいものを作ればいい。
全てのビジネスに精通する言葉だと思う。

本書の序章に「やれといわれてもやりたくないことと、やるなといわれてもしたいことがはっきりした」とある。私も社会人になり会社の代表というポジションやって思うが、これがハッキリしていない人がすごく多い印象がある。なぜか?そこにはホントに無駄な固定概念や縛りを自分で作っていると感じている。
例えば家族がいるから今の会社を辞められないとか子供がいるから趣味を我慢するとかだと思う。
私の考えではまったく理由になっていない。できない理由ややらない理由を自分で作っているように感じる。

「15文字で言う」
15文字とは人がパッと見たときに目に飛び込んでくる文字の量らしい。キャッチコピーなど、ほとんどが15文字以内らしい。
コピーライターでなくても伝えたいことを短くまとめる癖をつけることは社会人として必要な能力だと思う。逆にたかだか『1秒』すら聞けない人や見れない人とは付き合う必要がないとも考えられる。

「ターゲットなど想定しなくていい」
この言葉は今の時代にすごく合っている言葉だと思う。今までは誰か(ターゲット)がいて、その人に向けた言葉が流行っていたし、それが正解だった。しかし今は個の時代と言われるようになったからこそ、正論や〇〇をターゲットにした言葉が世の中に溢れている。だからこそ自分らしい言葉を発することが差別化に繋がるし、その言葉しか他人には届かなくなってきている。
個の時代になって誰でも言いたいことを言えるようになったからこそ正論を発信することの価値が少なくなってきている。
ビジネス業界でいうところのデザイン思考とアート思考といったところだろうか。デザイン思考は自分の外側に向けた考え方。アート思考は自分の内側に向けた考え方である。

自分が満足するようなものをつくって「グローバル×ニッチ」市場で展開できる世の中になている。一つ勘違いしてはいけないことは「グローバル×ニッチ」で勝負できる分野とそうでない分野があるということだ。

本書の中の小タイトルに「感動が中心になければ書く意味がない」がある。
何かを発信することに対して感動がなければ、誰にも伝わらない。自分が好きになった部分だからこそ書ける。このnoteもそうで私が読んだビジネス本を私なりに気になるところを解釈して文章にしている。
当然だと感じていたが「つまらない。わからない。も感動のひとつ」という言葉があり、その通りだと感じた。好きの反対は嫌いではなくて無関心と言われるようにつまらない。わからない。にも感情がありマイナスの感動とでも言うのだろうか。

そして最後の章、第4章に「書くことは世界を狭くすることだ」と書かれている。確かに自分が文章にまとめたり、人に伝えるために文章にするときは漠然としていては伝わらない。世界を狭くすることで伝わるし、世界を少しだけ狭くできなければ伝わらない。読む側や読んで頂ける方のコミュニティの言葉に変換できなければ伝わりずらい。
田中さんの言葉は極論に近い言葉だと思う。そして作家やコピーライター、小説家という仕事の本質を書いている本だと思う。

短くまとめれば、きっと15文字でまとめられるし、伝え書物にして販売してビジネスにする為に15文字を1冊に増やす技術。これこそが本質なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?