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なんて素晴らしい先生なんだ!

中学校時代の思い出はなんでしょう?

「中学校での思い出はなんですか?」と聞かれてパッと頭に浮かぶことはなんでしょうか? 私の頭に瞬時に投影されるのは2つの出来事です。

私の中学校では登校後に朝の読書の時間があり、自分が選んだ本を30分ほど読まなければいけませんでした。特に本を読むことに興味がなかったにも関わらず、私が読んでいた本は「これからの正義の話をしよう」というハーバード大学教授のマイケル・サンデルさんが書いた本。ただでさえ本に興味がないのに、こんな本をピックアップしたのは大間違いだということは気づいていました。ただボーッとして過ごすことしかできないこの時間は究極的な苦痛で、朝読書中に5分過ごすことは地球時間で15年に値しました。

そこで私を救ったのは緊急の学年集会でした。廊下に呼びたされた私を含めたクラスメイトたちは誰が何をやらかしたのか分からず、ざわつきながら廊下に体育座りをして学年主任の先生を数分待ち続けました。何か面白いことが起こる、読書の時間から解放されると私はウキウキものでした。数分後、学年主任の先生が体育座りをして待つ私たちのちょうど中央真ん中に立ち、険しい顔をしながら軽い咳をし、喉を正した後に言いました。「君たちの中に男子トイレを使用した後に流さなかった人がいる。もうこれで2回目だ。いい加減しっかりとトイレを流すことを覚えてくれ」ザワザワ、クスクスと学年全体がざわつきました。「お前だろ? なんで流さなかったんだよ」後ろの友達が小さい声で私の背中をしつこくツンツン、ツンツンしてくるなか、私は笑いを堪えて先生の方をじっと皆ながら、後ろの友達からツンツンされる指を払い除けるのに必死でした。これが瞬時に頭に浮かぶ中学校の思い出です。

S先生との思い出

もう一つの思い出は何かというと、中学3年生のときのある日の放課後のことです。「気をつけ、礼」「さようなら」と儀式的な帰りの会を終えてササっと帰る支度をしている途中に担任であり、国語の先生のS先生が「ケンジさん、ちょっといいかしら?」と私に一言。S先生に連れられて私は自分の教室から離れ、学校の端っこにある技術室に連れて行かれました。「なんてこった」「一体俺は何をやらかしたんだろう」色々な予想が頭をよぎるなか、先生は技術室のドアを優しく閉めて私に座るように指示しました。

「あのー、少年の主張っていうスピーチのコンテストがあるんですけど、ケンジさんにぴったりだと思って...ケンジさん、どう?」「いや、無理です」反射的に私はS先生に首を振りながら瞬時に伝えました。「いや、ケンジさんって韮崎市の姉妹都市のファフィールドにも行ったじゃないですか。ぴったりだなって思って」S先生はその後なぜ私がこの大会に適しているか丁寧にゆっくり説明してくれました。私は山梨県韮崎市の姉妹都市交流事業の一環としてアメリカのカリフォルニア州のフェアフィールド市というところに3週間ほどホームステイをしていました。S先生によると私はアメリカで触れ得た価値観や経験に対して強い意見や自分軸を持っているのではないかと思い声をかけてくれたそうです。その後、先生は私にフェアフィールドでの経験について丁寧に質問を重ねてくれました。「どんなことをしたの?」「どんなところが興味深かった?「日本と違うところはどんなところ?」私は少年の主張に参加することなどそっちのけで、気づけば先生と数十分ほどお喋りをしていたのでした。結果的に私は少年の主張という県内で開かれるスピーチコンテストに出ることを受け入れました。

それからS先生、私、もう1人のクラスメイトは週に一度や二度、情報室に集まりスピーチの練習や文章の添削を行いました。今振り返ってみるとS先生は情報室に国語の小テストを持ち込んで、私たちが何かに取り組んでいるときは採点をしていました。S先生は忙しい中、私達のために時間を割いていてくれて短だなぁ、としみじみ思うところです。

少年の主張の大会当日は平日でなかったにもかかわらずS先生は会場に駆けつけてくれてしっかりと私のスピーチを聞いてくれました。会場には30人ほどの大人が当日おり、「心臓が飛び出す」とはこういうことを言うのか、と感じるほど緊張したのを今でも覚えています。それでも結果は準優勝でした。

当時を振り返ってみて

S先生はクラス全員の生徒私たちを尊敬を持って接してくれました。〇〇さんと、さん付けをして読んでくれたり、時には敬語で私たちに丁寧に接してくれたのを覚えています。中学校時代には様々な先生がいて、関わった先生全員がとても温かみのあるいい先生でしたが、S先生は私にとって特別な存在でした。こうやって23歳になって振り返ってみてもS先生は私の心の中に特別な存在として残り続けています。

少年の主張の話を持ちかけられたときに中学生の私は瞬時に「無理です」と答えましたが内心はとても嬉しかったのを覚えています。当時はアメリカで見たものを両親や友達に必死に伝えようとしていたし、実際にアメリカで過ごした3週間は私にとってとても大切な人生のイベントであったからです。もしかしたらS先生はそんな私の熱意を普段から気づいていて声をかけてくれたのかもしれません。

私は青少年育成センターミアキスのスタッフとして働いていますが、S先生が私の存在や心の中から溢れる何かを感じ取ってくれたように、ミアキスにくる利用者の人々に同じことができたら嬉しく思います。たまにミアキスで利用者の13~18歳を〇〇さんと呼ぶことがありますが、もしかしたらこれはS先生に影響を受けているからかもしれない。ミアキスにくる中高生くらいの利用者の人々に敬語を使うのは一見おかしなように思えますが、中学生時代の私を思い出すと、そんな些細なことが嬉しかったんです。私もS先生のようになりたい。


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