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恋愛、結婚や子供の話の違和感

タイトルの通り、何かモヤっとしたものを感じる時がある。

恋愛、結婚、妊娠、子供のトピックがモヤっとした感覚を引き起こすのではない。

「周りのことなどどうでも良い、そのことで頭がいっぱい」という感じで話されると、モヤッとすることがあるという話。8割方は微笑ましく感じるが、あとの2割はそうではない。その違いはわからない。

あなたの話をあまり聞かれずに、あるアイドルの話ばかりされた時を考えて欲しい。
そのアイドルにあなたは全く興味もない。
「どう?いいでしょう?」とよく知らない話をされる。
当然、その中身自体はたまに興味深いこともあるし、知らなかった世界を知るきっかけにもなる。
ただ、問題はその中身ではない。
「あなたも求めているでしょう」という前提なのが伝わってきたとき、その上に「私はこれを持っている!なんて幸せなの〜」的なものを感じた時に時にモヤッとする。

おそらく勝手に同じ価値観であると決め付けられているのが、癪なんだと思う。
そこで相手にとって「良い」反応をしておかないと、「微妙」あるいは「ネガティブ」な反応と受け取られる。
それは「ネガティブ」であるが故に、相手の中で勝手に「嫉妬」「悲しみ」「怒り」に変換されることもあるだろう。

アイドルの話だと、知らない人に話しても伝わらないだろう、という一般的な認識がたいていあるように感じる。
しかし、恋愛、結婚、妊娠、子供の話となると、かなり変わってくる。
これらの話題に関して「みんなこれらを求めている」「求めていなくても、みんな興味がある」という前提の人はとても多い。

当人にとって良いことなのは分かるので、当然それに合わせて「良い」反応はする。
ただ、同じ熱意で返すことはできない。好奇心で返すことはできるけれども。

そのような話をする側も相手から「良い」反応を貰えることを前提としている。だから、それが返ってこないと、上記のように「ネガティブ」な反応あるいは、「反応なし」つまり「無視された」という分類がされる。
自身の物語の筋書きに他者を安易に組み込もうとする。そのような行為は、自身の中の「他者」の部分さえも、「物語」に組み込んでいってしまう。

同じ理由で、インタビューしてる側がされてる人に対して「感動的」な何かを無理やり誘導尋問するような形式にも違和感、モヤッとしたものを感じる。

タイトルでは、恋愛、結婚、子供と書いたものの、これらのトピック自体は問題ではない。
話す人の態度として、「自分の物語に組み込もう」とする意図がどこかに感じられるときに私はモヤッとする。これらの話題にそういう風に人はなりやすい、という話。

そういう風に話をするな、と言っているのでもない。ただ、そういう態度に対してモヤッとする自身の心の動きが興味深い、という話。

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