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あなたは「平均」「一般」じゃない。

「平均」「一般」の情報が巷には多い。

「平均的に人は〇〇でないと/しないと幸せではない」
「一般的に、〇〇する人/な人が良い人生を送っている」

もしくは、「一般的に」の前置きもなく、

「"人は"〇〇でないと生きていけない」
「"人生"においては〇〇が必要だ」

なんて言葉も多い。

〇〇には、特定の仕事やキャリア形態が入るかもしれない。恋人、結婚、子供、あるいは独身などの行為・状態が入るかもしれない。ひょっとしたら、趣味に関するものかもしれない。
だいたい人間関係の状態を表すものが多い。

ここで断言したい。
常に例外はある。

〇〇がなくても、"幸せ"な人も、"良い"人生を送る人たちもいる。

よく見る言葉の中で「"良い"人生」「幸せ」というものが出てきたら、その人の考えるある尺度、前提、理想がいつもそこには隠れている。
何が良いか、何が幸せなのか、何を理想とするかの思い込み。
その思い込みの上で、「人は〜」なんて人類全てに当てはまるみたいな言い方をする。
こんな物言いをしてる人は、本当に人類全員に例外もなく当てはまると思っているのかな。

こうやって言葉として直接的に表現されていなくても、一定の尺度、前提、理想(つまり、イデオロギー)はそこら中に溢れている。
よく接する人との会話の中に、SNSに、テレビやYouTube、電車の広告に、道ゆく人たちの会話に。

毎日大量に接しているうちに、そんな価値観が「自分」の絶対的な価値観になることもある。

それらに影響されて不安になったり、悩んだり、「人生を見失う」みたいな人はとても多い。

その尺度、前提、理想が一般的には当てはまるとされていても、例外がいくらでもいることくらいは頭のどこかでわかっているのではないだろうか。
むしろそんな言葉の通りの人の方が、例外なんてこともある。

こうやって例外がいることはどこかでわかっていても、多くの人は自分がそれに当てはまるとは考えない。

「平均」「一般」から外れてしまう・外れてしまった、「だから私は幸せにはなれない」「だから悪い人生だ」「将来が不安で仕方がない」「なんだか悩みが尽きない」。
こんな風に考える。

でも、ほとんどの人は「平均」でも「一般」でもない。
「平均」は様々なものを平らに均しただけ。
まったく同じ人生の人なんているだろうか。
まったく同じ毎日が訪れる人なんているだろうか。もし毎日まったく「同じ」だと思ってるなら、それは人生をだいぶ雑に切り取っている。

瞬間、瞬間、目の前には別の世界が広がる。
今しかない。

「平均」から外れてるからなんだというのだろう。
今この瞬間、息をして、この文章を読んでいる。それに「平均」がどう関係あるのだろう。

みんなが例外だ。
自身が例外であることに気づくと、巷に溢れる言葉は、ただの言葉。一つの考え。

人生のパラメーターとして、裏でそれらの言葉ががっちりプログラムされて、設定されているわけじゃない。

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