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「キャンセルカルチャー」という殺傷性を持つ兵器を封じ込める

言論統制。

封じ込め。

言葉狩り。

ヘイトや誹謗中傷。

切り取りによる炎上誘導。

バン。

これらの行為は大きく捉えると、「キャンセルカルチャー」と考える事が出来る。

多くの言葉に対する暴力が起きている。

それらは現実世界ではもちろん、ネットの世界でも当たり前のように行われている。

気に入らないものに対して、容赦ない攻撃。

それによって発信内容の思想や主張を消滅させる。

そのための方法は多種多様。

ある人の発言で気に入らない部分を切り取って取り上げて、その部分だけを増幅して流す。

それに対して多くの人からの批判や非難を一挙に押し寄せさせて、叩き潰す。

その結果として発言した人そのものが社会的に抹殺される。

つまり、存在しないものとする。

相手がいなくなれば、自分にとっての不都合が無くなり、快適になる。

全てを自分の都合の良い状態にすること。

それは究極的には全ての均一化、所謂グローバル化・共産主義化そのものを目指すもの。





キャンセルカルチャーによって、多くの人が犠牲になっている。

いじめは、キャンセルカルチャーの一種。

その人の存在を認めず、排除しようとする姿勢そのもの。

真実を伝えようとする人が言葉を封じられる状態にされることも、キャンセルカルチャー。

ある人にとっての不都合な真実を伝えさせないようにすることで、利権や自分自身を守ろうとすること。

誹謗中傷も、キャンセルカルチャーといえる。

内容そのものではなく、その他のことを取り上げて攻撃することで、影響のある言葉を封じようとする。

同調圧力も、ある意味キャンセルカルチャーといえる。

それはその人の持つアイデンティティや個性を、消滅させるように働くことになるから。

誤魔化してはぐらかして、意見や意向を無視することもキャンセルカルチャー。

真剣に相手や物事に向き合わない、向き合うフリをして行動しないというのも、相手を消滅させる行為そのもの。

過去には魔女狩りのように、不都合な人間を消すことが行われていた。

これらは形を変えて、今でも存在している。

その大元となるキャンセルカルチャーそのものが、とても強い殺傷性を持つように感じる。

結局人類は技術進化や多くの歴史の反省があったとしても、本当に大切な心そのものが進化していないといっても過言ではないのかもしれない。







民主主義の定義はどんなものだったか。

それは、【それぞれの意見を尊重して、異なる意見もきちんと聞き、違いを尊重しながら物事を判断する】というもの。

そうだとすると、そもそも言論統制や封じ込め、キャンセルカルチャーを行った地点で、それは民主主義ではない。

この考えを当てはめると、今の世界に本当の意味での民主主義は存在しないように感じる。

もしかしたら民主主義を成立させることそのものが、今の人間には難しいのかもしれない。

とはいえ、出来るだけ理想の状態に近づけることはまだまだできるに違いない。

もちろん、所謂人に危害を加えるような危険な思想含めた全ての人のわがままをすべて尊重して受け入れるわけではない。

お互いを大切にすること、本当の意味で尊重する事が出来ること、認め合い礼を尽くす姿勢、その部分を当たり前のように誰もが出来る社会を目指す。

そのためには、まずはキャンセルカルチャーという殺傷性をもつ兵器を【持たない・作らない・持ち込ませない】という原則があってもいいのかもしれない。

それによって、この兵器の封じ込めを行う。

それが全世界で出来てこそ、悲劇の歴史が繰り返されないような、次の時代に向かう事が出来るようになるのではと感じる。




ありがとうございました。

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