「ヤバい」という言葉の利便性に頼りすぎないこと
言葉はとても不思議なもの。
元々あった意味が気がついたら消えていたり、さらに発展していることもある。
時代と共に使われ方が変化して、いつの間にか逆の意味で使われているものもある。
一つの言葉で、様々な場面で使えるものがある。
どのような場面であっても、その言葉を当てはめると、その前後関係から文意が読み取れる魔法のことばもある。
言葉の使われ方の進化や退化、他の言語から取り入れていたりする言葉など、様々な成り立ちもある。
複雑ではあるが、だからこそ面白い。
ヤバいという言葉を何となく使っている。
様々な場面で使う、とても便利な言葉。
お腹が急に痛くなっての「ヤバい」。
美味しい食べ物を食べた時の「ヤバい」。
忘れ物に気がついた時の「ヤバい」。
美しい景色に心奪われた時の「ヤバい」。
急にイケメンや芸能人に声をかけられたときの「ヤバい」。
人のすごい技や意外な一面を見てしまった時の「ヤバい」。
かくれんぼで見つかりそうになったときの「ヤバい」。
このように、様々な「ヤバい」が存在している。
何となくの使われ方で考えると、「通常とは違う・心がとても動く」という意味がどの使われ方にもある気がする。
そして、応用範囲がとても広い。
様々な言葉における表現や気持ちを網羅している気がする。
ただ「ヤバい」はとても便利ではあるが、果たして本当の使い方はどうなのか。
そしてこの言葉によって使われなくなっている表現はどのようなものがあるのか。
一つの言葉があまりにも応用範囲が広い事で、他の言葉が使われなくなってしまう。
便利であるが故に、他の表現を忘れてしまうことがある。
より細かく表現するという事が必要ない場面では、知っている楽な言葉を選びがち。
ただそれによって細かな表現や指し示す事が無くなるし使われなくなる。
そしてきめ細かい表現がいつの間にか失われている。
そもそも細かい違いを気にすることができなくなってきた、もしくは認識・区別できない事がこの言葉が使われる場面を増やしたのかもしれない。
もちろんそのことには良いとも悪いとも言えない。
ただ必要なくなったら、淘汰されるだけのこと。
少し寂しい気もするが、ある意味仕方がないのかもしれない。
言葉を使う発信する側としては、出来るだけ言葉を的確に使っていきたいところ。
ただ、そもそも知らない言葉や認識できていないものもたくさんあるに違いない。
だからこそ、より多くのきめ細やかな表現に富んだ本を読むのはとても大切。
そしてきめ細かい違いを認識するために、季節のわずかな違いや変化などに対しても敏感でありたい。
昔の言葉、古典を学ぶのは、もしかしたら現代に失われてしまった言葉が意味するところを知るというところもあるのかもしれない。
だからこそ、様々な時代の文学に触れること、そして表現の違いから認識を鋭くするということもあるように感じる。
時には「ヤバい」という表現を一旦ストップして、「をかし」「あはれ」を使うのももしかしたら良いのかもしれない。
いずれにせよ、その場面に本当に最適な言葉をより多くの学びたいものだ。
ありがとうございました。
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