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情報格差・情報断絶が「理不尽さ」を生み出している可能性について

意味が分からない。

わけがわからない。

何でこの場面でこんな判断がなされたんだろう。

納得できないような要求が上から降りてくる。

自分のこともままならないのにこのような要求や判断は、どう考えてもおかしすぎる。

世の中の多くの物事に対して、理不尽さを感じる場面が垣間見えることがある。


部活の場面での理不尽。

仕事の場面での理不尽。

上司との関係性における理不尽。

パートナーからの要求にたいする理不尽。

ご近所からの理不尽。

国や政府からの理不尽政策のオンパレード。

その他さまざまな場面で発生する、ありとあらゆる理不尽さ。

これらに対して怒りを感じたり、苦しさを感じたり、あきらめを感じることもある。

なぜこんな状態になってしまったのか。

なぜこんなことになってしまったのか。

自分自身の境遇に対してその理由がわからないこと、それこそが理不尽であるということを強く感じる。

なぜ理不尽さを感じることがあるのか。

その主な理由、それはもしかしたら「情報格差・情報断絶」が原因かもしれない。



ある人が持っている情報において、最も合理的な判断がなされている。

その判断についてなされるのは、ある人にとっての正解のように映る。

しかしながらもし判断根拠となった一部の情報しか下に伝えられないまま、別の人に要求が来たらどうなるのだろう。

話の論理や根拠が訳が分からない状態のまま、ただ要求だけが来る。

一部の情報が欠けることで、納得性が落ちる物事が様々。

その結果として、情報がない側としては理不尽として感じることがある。


部活における意味の分からないとされる練習、実はその人の未来から見ると理にかなったものかもしれない。

意味も分からなくさせられた何周ものグラウンドのランニングが結果として、半端ない体力増強につながることもある。

仕事における理不尽な要求、それは実は全体最適の中では合理的判断かもしれない。

経営者が劇薬を投入したのは、その部門が大幅な問題を抱えていることを改善するためになされたからかもしれない。

上司の理不尽な要求、実は部下に成長することやしっかりと自分で考えてほしいというメッセージかもしれない。

パートナーからの要求についても、実は本当に求めていることの一部が聞こえていなくて、誤解をしたがために発生しているものかもしれない。

近所からの理不尽な要求、実は知らない間に近所に迷惑をかけていた結果として発生しているだけかもしれない。

国や政府からの理不尽政策について、もしかしたら重要な情報が欠損していて納得が出来ないだけかもしれない。

もしくは、ある情報が不足していたがために誤った判断を政府が意図的にしているだけかもしれない。

このように理不尽さを感じる場面で生じているのは、一部の情報の欠損や情報の差。

その情報格差が何らかの理由で発生したために意味が分からず、その結果として理不尽であるかのように感じる。

それがなぜ生じたのか、なぜそのような要求があるのかということについて、もし全体の情報を眺めることが出来たらどうなのか。

相手側の視点に立つことで初めて見える情報もあるかもしれない。

そこには納得やなるほどというものがあり、理不尽さがすっと消えていく。

視座や情報を集めることで、「なるほど、だからこの判断になったのか」と考えられるようになるかもしれない。



理不尽と感じること、それに至るまでには、何らかの情報欠損や情報格差があるかもしれない。

その結果として理解できないこと、世の中に多く溢れているに違いない。

様々な文脈の一部のみを切り取ることで情報に差が生まれ、気づいたら理不尽さが極まってしまう。

全体の中における位置づけとして見ると、そこには理不尽さが消えることも多くあるに違いない。

より広く世界を見ること、出来るだけそうなった背景や情報を追う事。

より多面的に物事を冷静に見ること、それが出来るようになれば、一方的な理不尽さというものもなくなっていくに違いない。



ありがとうございました。

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