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病気やケガの意味とは

以前、noteの記事にも書きましたが、
僕は持病があります。

(詳細はこちらの記事をご参照ください)


筋肉が徐々に衰える病気なので、
体が思うように動かなくなっていくわけです。

そうなると、
不便なことも出来ないことも増えていくし、
いろいろとリスクも増えます。


実はつい先日も、
道を歩いていて突然転んでしまって、
足の指を骨折しました。

体をうまく支えられないから、
転ぶ時に変な体勢になるんでしょうね。

だから、ちょっとしたことでも
結構な大ケガになっちゃうんです。


今回はそこそこ軽めで済んだので、
固定だけして自宅療養中です。

(以前は、大きな骨折で手術して、
2ヶ月半入院したこともありました…!)


今回は軽めだったとは言え、
ケガするのは嫌なものです。

痛いし、動きにくくなるし。

普段基本ハッピーに過ごしている僕でも、
ふつーにヘコみます。

どうしてこうなったんだろう…
治るまでどうすればいいんだろう…
また転んだらどうしよう…

などと、後悔と不安で頭がグルグルします。


で、こんな時につい考えてしまいがちなのが、

「これにはどんな意味があるんだろう…」

ってやつ。


ケガをした意味や理由を考え出しちゃうんです。


例えば、身体的な面で言うなら

もっと体を休めろってことかな
もっと気を付けろってことかな
あんまり無理しちゃダメってことかな

みたいな。


ちょっと精神世界的な感じで言うなら、

これは何かのメッセージなんだろうか
何かに気づくためなんだろうか
何か自分とズレてたんだろうか

とかね。

僕はそもそもの持病に関しても、
「この病気がある意味は…」
と、これまでさんざん考えてきました。


で、例にもれず今回のケガでも
色々と思考が出てきたわけですが、

結論として僕が出したのは、


「意味なんてない」


ってことですw


「意味がない」というか、
「決まった意味はない」みたいな感じです。


意味というのは、
誰かによって付けられて初めて成立するものなので、
付ける人によっても多少変わったりするわけです。

だったら、誰かが付けた意味を知るものいいけど、

「自分なりに考えてみたらいいんじゃない?」

と思うんです。


僕の場合、
大きめなケガをした時に気づくことに
共通点があるんです。

それは、自分が


  • 心からやりたいと思ってることではない何かを進めようとしていた

  • 自分の「やりたい」「やりたくない」に、ほんの少しでも蓋をしていた

  • 何かしらの変化を求めていた


ということです。


だから、それを気づかせるため、導くため
という意味がもしかしたらあるのかもしれないし、

僕が勝手に意味付けをしてるだけなのかもしれないし。

それはどっちでもいいんですよね。

自分が感じてることが自分にとっての真実なので。


ちなみに、身体的な意味や理由で感じることは、
その都度違ったりします。

ちょっと無理しすぎてたな~と思う時もあれば、
自分的には全然無理してない時もあるし、

注意を怠ってたな~と思う時もあれば、
全然気を抜いてなかったのに…と思う時もあるし。


そりゃあ、ケガなんかすれば、
以後もっと気を付けようとは思いますけど、

「どんなに気を付けててもなる時はなる」

というのも自分の中に一つの結論としてあるので、
だからそれも含めて、

「決まった意味や理由はない」んです。


気持ちが弱くなってしまう時ほど、
外側にある答えを求めてしまいがちですが、

そんな外側の答えが腑に落ちないことも、
それを聞いてむしろ滅入ることもあります。


だからそんな時こそ、ただただ

「自分はこう感じてるな~」
「今はこんなことが起こってるな~」

と、内側に目を向けてみて、
自分なりの理由を考えてみても
いいかもしれませんね。


今日もありがとうございました!


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ケンゴ|自分軸リーダー
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