九州の地名の由来、転じて記紀研究への一言

九州の地名の由来、転じて記紀研究への一言

先般、九州という用語が何時から使われるようになったのかの定説はないと書いた(九州地方というのは明治維新後の廃藩置県で定着したらしい)。
https://note.com/kengoken21go/n/ne5096a2d65ba
これに絡めて今回は記紀の国生みについて:

記紀(古事記と日本書記で記述方式・記述内容に大きな相違があるのは周知のとおり)の「国生み神話」で、日本の別称(美称)「大八島/大八洲」以下のようになっている。

<古事記>
⓪然久美度爾興而生子、水蛭子。此子者入葦船而流去。次生淡島。是亦不入子之例
これは流産、死産、奇形等として無視されている(淡島は淡路島ではないとされている)。
(中略)
①如此言竟而御合、生子、淡道之穂之狭別島
現在の淡路島と考えられている模様。
②次生伊予之二名島。此島者、身一而有面四。毎面有名。故、伊予国
謂愛比売、讃岐国謂飯依比古、粟国謂大宜都比売、土左国謂建依別。
現在の四国(愛媛/伊予・香川/讃岐・徳島/阿波・高知/土佐)とぴったり
一致する。
③次生隠伎三子島。亦名天之忍許呂別。
現在の隠岐と考えられている。
④次生筑紫島。此島亦、身一而有面四。毎面有名。故、筑紫国謂白日別、
豊国謂豊日別、肥国謂建日向日豊久士比泥別、熊曽国謂建日別。
現在の九州と考えられているようだが、筑紫・豊国・肥国・熊曽の4ヶ国が九州島全体と一致するか疑問。日向が出て来ないことに注意。
⑤⑥⑦次生伊岐島。亦名謂天比登都柱。次生津島。亦名謂天之狭手依比売。
次生佐度島
現在の壱岐・対馬・佐渡と考えられている。
⑧次生大倭豊秋津島。亦名謂天御虚空豊秋津根別。
現在の本州と考えられている。今の本州より狭い範囲と考えるのが妥当。

故、因此八島先所生、謂大八島国
「現在の〇〇」と考えられるのが八つである故、「大八島」と呼ぶ。即ち、淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州をもって大八島(日本の別称)を成していることになるというのが一般的理解である

<日本書記>
古事記は日本語を漢文風にしたもの(疑似漢文)であるのに対し、日本書記は対外向け、就中、中国(当時は唐)向けの正史で、純粋な漢文で書かれていて読み辛いので原文は以下に纏める。

先以淡路洲爲胞。意所不快。故名之曰淡路洲。廼生大日本(日本。此云耶麻騰。下皆效此)豐秋津洲。次生伊豫二名洲。次生筑紫洲。次雙生億岐洲與佐度洲。世人或有雙生者象此也。次生越洲。次生大洲。次生吉備子洲。由是始起大八洲國之號焉。即對馬嶋。壹岐嶋。及處々小嶋。皆是潮沫凝成者矣。亦曰水沫凝而成也。

結局、大八洲國は次の順で生まれる。
⓪淡路洲
現在の淡路島のこととされるが。誕生は成功せず無視。古事記の⓪と同じ?
①大日本豐秋津洲
現在の本州と考えられている。但し、今の本州より狭い範囲と考えるのが
妥当。

②伊豫二名洲
現在の四国と考えられている。
③筑紫洲
現在の九州と考えられているようだが、九州島全体とは一致するか疑問。
④⑤億岐洲與佐度洲
現在の隠岐と佐渡と考えられている。
⑤越洲
現在の北陸(範囲不明)と考えられている模様。本州(豐秋津洲)と何故別なのか?
⑦大州
どこか不明ながら、現在の山口・屋代島と考えられている模様(根拠は?)
⑧吉備子洲
現在の岡山・児島(半島)と考えられている。

ということで:
<古事記・日本書紀で共通しているもの>
本州(豐秋津洲)、四国、九州、隠岐、佐渡
<共通していないもの>
・対馬、壱岐・・日本書記では大八洲の誕生後、泡から生まれとされている
・淡路・・日本書紀では失敗作として無視
・屋代島(大州)、児島(吉備子洲)・・古事記では大八島の後で誕生
・北陸(越州)・・ 日本書記にしか出て来ない

下らないと思われるだろうが、ここで考察したいのは以下の3つである。

1.九州に日向がない~記紀にある日向は本当に南九州か?
律令国家の領国制で日向は一つの国(洲)となっているが、古事記の豊国、熊襲(熊曽)の何れかに日向が含まれるという根拠はないと思う。天孫降臨は日向か(ひむか)の国の高千穂峰になっていることから(&神武東征神話もあってか?)、南九州と一般に考えられているようだが(このため宮崎県と鹿児島県で我が県こそ天孫降臨の地だと主張)、しっくりこない。
宮崎:西臼杵郡の高千穂町(高千穂峡)
鹿児島:霧島市の高千穂峰

古事記には「此地は韓國に向かい」と書いてある。日本書記は「空國」と
なっているけれど、朝鮮と考えた方が自然?と考えれば南九州は変だ。
また、高千穂は「高く積み上げられた稲穂」という解釈もあり、この意味では宮崎・鹿児島の高千穂は相応しいとは思えない。但し、韓国を無視すれば
高千穂は宮崎と考えたい。ここは熊本と宮崎の県境で、肥国の一部と考える
こともできるので。


尚、記紀共に本来福岡を指す筑紫(後に筑前と筑後に分割)を九州島の名前として使っているのは、筑紫の国が何かにつけ重要であったことを物語るものだと勝手に解釈にしている。

2.共通していない島がある意味は何か
淡路島は記紀の双方入っている(但し日本書記では無視)ので対象外とする(畿内・大和に近い大きな島であり違和感はない)。

古事記で壱岐、対馬が入っているのは、律令国家の領国制でも独立した国(洲)となっているよう、古来より対大陸(中国)・朝鮮半島における重要な位置づけ(人・文化の交流、交易、戦争など)であったと考えると納得感がある。(古代は隠岐や佐渡より重要だったと思料)。

一方、日本書紀の大洲(山口・屋代島?)、吉備子洲(岡山・児島)は領国制における国でもないし、大きな島でもないので、大八島(大八洲)にわざわざ入っているのは違和感がある。瀬戸内海に朝鮮式の山城があったと言われるよう、この海域は中国~大和に至るところで、この二つは防衛上(或いは交流上)重要であったことから選ばれたと考えてはどうかと思っている。
もしくは神武東征が事実として九州から大和に至る際の重要な土地だったと
考えるか。

また、本州に属しており島ではない越州(北陸?)が入っているのは、今の皇室の直接の先祖とされ、実在が確実視されている継体天皇の出身地とされているからでは、とはいうのでどうだろうか。

3.古事記登場まで先史時代であることの悲しさ、或いは不思議
以前も書いたよう文書(文字ではない)が見つかって以降を歴史時代と
いい、その前は先史時代という。例えば世界最古のメソポタミア文明では
保守的=遅めに考えてもBC3000年代に先史時代→歴史時代に代わっている。中国でも異説はあろうがBC2000代という話もある。

然るに、日本は古事記から歴史時代が始まるという変な事態になっている。中国(或いは朝鮮も?)の歴史書まで広げればもっと前から歴史時代とも
いえるが(BC1頃の『漢書地理志』「倭」の記述が初出だろう)、一般的に通らない理屈。

古事記も日本書紀も創作・潤色が多く史実ではない、更に日本書紀は漢籍(或いは朝鮮も?)の流用が多いというのが現在の歴史学者の大宗的な解釈である(戦前は違った。現在でも市井の歴史家で事実を多く含むという人物もいる)ことはさておくとしても、古事記より前の文書が何も残っていないのが不思議である。記紀は、それまでにあった帝紀・旧辞を元に作成されたことになっているのにそれらは一切残っていない。蘇我氏が持っていたものは乙巳の変で焼失したと考え得るとして、それ以外がないはずはないと思うのだが。やはり意図的に破却(焼却)されたと勘繰りたくもなる。

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さて、記紀を翻案・解説した文献は多けれど、大八島(大八洲)の八つが
どういう背景で選ばれたかを考察したものは今のところ見たことがない。
また、色々出てくる地名が現在の何処に当たるか書いてはあることは根拠が明確ではない。例えば、地名が似ているからというのは、文書に合わせて後から地名がついたところが無きにしもあらずであることに注意が必要。根拠文書がないので憶測の域を出ないと言われても仕方がないのではないか。
対比する是非論はあろうが、シュメール文明ではちゃんと楔型文字で文書化されているのとは大違いだ。木簡は文書というには足りない。

因みに卑弥呼(卑彌呼)や邪馬台国(邪馬壹國)はが誰か、どこかは卑弥呼に贈られたという親魏倭王の金印、100枚の銅鏡に一致するものでもが出てこない限り、九州説と畿内説は決着しないだろう(尚、一時名を馳せた三角神獣鏡はこの銅鏡に相当しないと考えるのが妥当というのが主流)。文書が残っていないというのが半ば空しい争論の元である金印と銅鏡が出てきても固有名詞は判明することはないだろう。

話のついでに言えば、魏志倭人伝は信用できない、方向の記述に間違いがあるなどという説がある。そういう人々が卑弥呼や邪馬台国などを議論するのはそもそも無意味ではないかと思う。所詮魏志倭人伝にしかこの名称は出てこないのだから。蛇足乍ら魏志倭人伝や他の漢籍を見る限り、畿内説はありえないと思っている(考古学者が卑弥呼の墓はこうあるべきだなどいうのは論外)。といって九州説が正しいと言い切るだけの十分な根拠も持ち合わせていない。

尚、日本書紀の神功皇后の記述のところで、魏志のことが注釈的に出ているので、編者は魏志を読んでいたことは確かながら、卑弥呼や邪馬台国への
言及はなし。但し、晋の『起居注』に「倭の女王が遣いをよこした」ということが書いてあるということを日本書紀で補足をしているので、学者は神功皇后を卑弥呼に関連づけたという見方をしているようだ。


オマケの話1:
天皇の実在説は色々な説(憶測)がある、主なものは以下。
 天皇名  蓋然性  補足
①神武天皇  ?   記紀以外に根拠文書がある訳ではない
⑩崇神天皇   ?△   政変説あり。名前から初代天皇説も
⑮応神天皇  △   政変説あり。神武天皇と同一視する説もある
㉑雄略天皇  〇?   稲荷山鉄剣銘文の「獲加多支鹵大王」に該当する?
㉖継体天皇  ◎   政権交代説あり。現在の皇室から確実に辿れる天皇

尚、上で述べた天皇が実在することと、それ以降の全ての天皇が全て実在
するかは別の話。例えば、⑮応神天皇が実在したとして、⑯仁徳天皇が実在
したという保証はない。

オマケの話2:
以前、世界の神話の類似性に触れたことがある。
神話と叙事詩、或いは神話の類似性|kengoken21go (note.com)
今回は神話の類型をどう考えるか。筆者はこれまで世界の神話を読んできて以下のように類型化してはどうかと思っている。
A:文字のない時代を含め、民族の古よりの記憶、伝承・伝奇による
B:このような人物がいた/いたはず/いて欲しい、という願望から、色々  
  な経緯を経て半ば創作(伝承のモディファイを含む)でできたもの。
  例えば英雄譚。
C:政権、王権の正統性を主張するために創作・潤色されたもの

勿論、A、B、Cが完全に分けられる訳でなく、ハイブリッドになっているものもある。
残念ながら、日本にはAに相当するものがないように思う。記紀をAと考えるのは無理がある。尚、日本各地にある「昔話」は、伝奇性があっても神話ではないという考えである。

以下の古事記は国立国会図書館デジタルコレクションより
「古事記 国宝真福寺本」

小学館『新編日本古典文学全集1(古事記)』の国生みの図

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