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今年は小泉八雲ブームか?

社会人向け(シニア向け?)の大学公開講座でシェイクスピアの戯曲を題材したものを継続的に受けている。講師は「薬剤師の資格を持つ異色のシェイクスピアリアン」又木克昌さんである。今回は又木さんからお聞きした内容から面白いものを選択して自分で付け加え書いている。

今年=2024年は小泉八雲の生誕120周年である。『KWAIDAN- Stories and Studies of Strange Things』:邦題『怪談』の初版からも同じく120周年であるとのことだ。小泉八雲については「雪女と昔話・童話」で少し触れたのでご参考までに。

『KWAIDAN』の初版は米国で行われたように英語で書かれたもので、小泉八雲が日本語で書いたものではない。中学の英語教科書で「Mujina」が出ていたのは今でもよく覚えている。
  ○『KWAIDAN』初版:1904年4月に米国で出版
  ○小泉八雲の没した日:1904年9月26日

初版の表紙カバー

120周年に因んだかどうかは?だが、NHKの来年の朝ドラで小泉八雲の妻、小泉セツが主人公になることも知った(120周年に因むのなら今年が妥当であろうから関係ないかも知れない)。朝ドラは『あさが来た』を最後に観ていないので、久々に観ようかと思っている(週末に1週間分をまとめて)。

自身の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)のこれまで知識と言えば、日本人と結婚したこと、夏目漱石と同じよう熊本の五高、東大で教えていたこと、東大を辞めさせられる際に学生が反対運動(=留任運動)を起こすほど人気があったこと(後任の漱石は逆に不人気だった)、ギリシャ生まれのアイルランド人であったこと(父がアイルランド(アングロ・アイリッシュ)、母がギリシャ)、松江に住んで居たこと位である。
熊本の小泉八雲旧居館↓
https://kumamoto-guide.jp/spots/detail/62

1.ラフカディオはミドルネームであった
ラフカディオ・ハーンは変わった名前だとずっと思っていた。英語の名前はPatrick Lafcadio Hearnである。Lafcadioはミドルネームなので通常なら使用しない。ハーンはキリスト教=カソリックの教義に懐疑的で、日本でもよく知られるアイルランドの守護聖人(アイルランドへのキリスト教布教者)St. Patrickに因んだファーストネームを使わなかった。Lafcadioは生まれたギリシャ(イオニア)のレフカダ島から取っている(Lefkada:ギリシャ語は Λευκάδα)。


日本人にとって何となく「八雲と言えば松江」というイメージが強いのではないかと思う。妻の小泉セツも松江出身である。しかし乍ら、1890年8月末に松江に到着、1891年11月に熊本へと異動したので松江に居たのは僅か1年
2ヶ月ほどである
。最後の居住地である東京の生活が一番長い。焼津が大変お気に入りでよく行っていた。この結果、小泉八雲の記念館は松江と焼津にある。以下は焼津。
https://www.city.yaizu.lg.jp/museum/yakumo/index.html
一方、小泉八雲の蔵書は「ヘルン文庫」として富山大学の中央図書館にある(ハーンともヘルンとも呼んだ)。
https://www.lib.u-toyama.ac.jp/chuo/hearn/hearn_index.html

3.80日間世界一周とハーン(小泉八雲)との関係とは?
ジュール・ベルヌの『80日間世界一周:Le tour du monde en quatre-vingt jour』は小説としても映画としても世界的に人気があった。日本でも同様。米国では新聞社と雑誌社の企画で女性二人が実際に世界を何日で旅行できるかを競った。
  ○ネリー・ブライ・・72日で世界一周(東回り)
  ○エリザベス・ビスランド・・76日で世界一周(西回り)

左がネリー・ブライ、右がエリザベス・ビスランド


後者のエリザベス・ビスランドが長くハーンと親交があったジャーナリストである。どういう関係であったかは、ハーンとセツの人生を描くのに不可欠であるため、来年の朝ドラに必ず出てくるから書かない。美人であったことは写真でも分かる。
蛇足:
嘗て、故石原慎太郎がフランスの数字の数え方のややこしさを揶揄し「フランス人は算数もできない」とか言っていた。フランスの80はquatre-vingtsで4×20で確かに分り辛い。因みに81は4×20+1である。

3.教師としての日本人との関わり
熊本の五高に勤務した時の校長は嘉納治五郎である。八雲を東京帝大に招聘したのは学長の外山正一。外山は天皇=明治天皇に「万歳」を使った初めての人と言われている。万歳は中国由来で韓国でも使用していた。
https://www.meijijingu.or.jp/faq/?ca=2
「万歳三唱」で3回唱和をするのは英国由来。例えば国王に万歳をする時は「Three cheers for His Majesty the King !」と誰かがまず声をかけ、以下を
3回繰り返す。
  一人が「Hip hip!」発声し「Hooray!」を全員で唱和。
  https://www.youtube.com/watch?v=EoPhzmaI2NQ
日本で「フレー!フレー!」と声援するのもHoorayから来ている。尚、八雲の東大の教え子には上田敏、土井晩翠などがいる。

オマケ:八雲と関係ない話・・とんかつとキャベツ
八雲がなくなったのは1904年で日露戦争の年だ(『KWAIDAN』の出版社のイントロダクションで日露の緊張関係触れているものもある)。とんかつは今や和食であるが、当時は洋食として付け合わせは温野菜をつけていたようだ。生のキャベツになったのは、日露戦争の兵役で人がとられ茹でる手間を省くため已む無くという話がある。最初に生キャベツを出したのは今もある銀座の「煉瓦亭」であるとか。尚、最初はぶつ切りキャベツを出したが評判が悪く千切りにしたら受けたとも。正しいかは保証の限りではない。

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