見出し画像

日本経済の問題点の指摘 #2

日本経済新聞朝刊一面記事 安いニッポンについて前回こちらの記事「日本経済の問題点の指摘」で書かせて頂きましたが、その続きになります。

いつもの如く後半に全記事を添付しておくが、記事の中で注意すべきポイントを以下の通りいくつか抜粋した。

まず1つ目は日本人労働者の新興諸国化だ。

かつて新興国の人々が「出稼ぎ先」として憧れた日本。その地盤沈下はデータが物語る。

システム開発マネジャーの場合、 2007年を100とすると2017年の年収は日本は99と微減。一方、ベトナムは145、中国・上海は176、タイは210に達した。2007年の報酬中央値は日本が約10万ドル(1090万円)。シンガポールや中国・北京より安く、タイも7割近い水準に迫る。

この二日間に個人的に体験しているタイ国民の消費性向の変化はこの辺の現象で説明が出来るだろう。つまり実質所得が増えているのである。前例で示した様に、私が通うタイ・パタヤの一般タイ人には行けない値段設定のカフェレストランが最近ではタイ人で満員になっている状況。またタイは自動車関税が厳しいので日本で販売されている2000万円台のフェラーリは6000万円程する。日本で6000万円の車と言えば、ロールスロイスファントムだ。タイで6000万円する車と日本で6000万円する車とどちらが多くの販売台数を出しているのか?答えは日本ではなくタイだ。

2つ目は日本人が安価な労働力として歯車化していることだ。

「安い日本人」は世界で人気だ。「日本にいるエンジニアに払う費用は、感覚的にはシリコンバレーの半分だ」。米カリフォルニア州にあるIT関連スタートアップ企業の経営者は、スキルや納期への意識も高い日本のエンジニアの採用を増やしている。

これもある意味で、衝撃的な事実だ。日本の中だけで生活していると海の外が見えなくなってしまいがちだ。気が付いたら経済力は世界屈指の国であるものの国民は必ずしも豊かにならず、世界水準でみれば安い労働力として使われてしまう次元にまで達してしまった。

3つ目は世界レベルで見ると、生活水準が先進国ではなくなってしまっている。

米住宅都市開発省の調査では、サンフランシスコで年収1400万円の4人家族を「低所得者」に分類した。厚生労働省によると日本の17年の世帯年収の平均は約550万円、1千万円を超える世帯は10%強にすぎない。

日本人が海外で食事をし日本に帰国すると、「やはり日本での外食は安いし美味い。」を耳にする。そして、シンガポールでラーメンが3000円しただとか、ロンドンで鮭定食が7000円したとかビックリしながら、「現地の人たちはよくあんな高いお金を払えるなー??」と感心している。その通り払えるのだ。

日本人の平均所得の2.5倍以上の所得者層を「低所得者」に分類するのがアメリカを筆頭にした先進国だ。日本株式会社は何十年もの年月を企業の内部留保つまりは企業内富の蓄積にフォーカスしてきた。利益が出ればとにかく溜め込むことだ。私が日本企業で勤務していたとき、同僚にこのシステムは「栄える会社、滅びる社員」だと良く指摘していたことを覚えている。失われた30年でこのシステムは正に確固たる成果を挙げてしまったと言えよう。

記事の中で筆者は「製造業がけん引する20世紀型資本主義の時代、日本型雇用は、誰しもが豊かになる枠組みとして確かに機能した。だが、デジタル革命が世界を揺らす21世紀型資本主義の時代、世界の潮流から取り残される懸念が強い。発想の転換と新たな戦略が必要な局面だ。」と言及しているが、その通りである。

過去に成功した日本型経営は1 終身雇用 、2 年功序列 、3 右肩上がりの収入 という三種の神器をベースに成り立っていた。ところが、今やその3つは全て崩壊してしまったと言える。それでは日本型雇用は維持できず、誰しもが豊かになることは不可能となる。富の二極化を推進してきたグローバリズムが陰りを見せているとは言え、現状の日本では更なる二極化が乗数的に進むであろう。

その結果、国民は国に依存しては生きていけない未来が来ることを意識すべきなのである。常日頃、私が唱えている自分の力で生きていく能力を兼ね備えていかないと人生100年時代の途中で野垂れ死ぬリスクが高まっていることを再認識し、日々研鑽する事で自身のサバイバル能力を向上して頂きたいと強く思う。

----------------------------------------------------------------------
NEWS PICKS 立沢賢一 / 立沢賢一 official website


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?