あえて習慣化しない

常に自分の心と交渉する
僕はいつのまにか、そうする事が増えているような気がする。

しかし、小さい頃は、習慣づける事のほうが得意だった。
例えば、、、ん〜、ちょっと例えにしてはレアケースだけど、
朝起きたら、すぐドラムを叩く。笑
または、毎日、走り込みをする、素振りをする。少年野球をしていた頃だ。

家にドラムセットがあるっていうのも少しレアなケースかと思う。
田舎の一軒家なので、近所迷惑にはならない。
寝起きの悪い自分に対しての解決策が、朝イチで爆音を体に聞かせ起きるという、なんともアホなことをしていた。
バンドマンに憧れて、町のガラクタ売ってる店で親父にギターを買ってもらって(確か2000〜3000円くらいだったかな)嬉しくて車の後部座席でガチャガチャ鳴らしながら帰ったのを覚えている。
で、コピーバンドを始めようと思ったらドラムが全然見つからなくて、、、
その話はまた今度にしよう。

習慣を決めることによって、確実に能力が伸びることもあるだろう。
何かを身につける際にはそれこそが全ての時もある。
just do it !!   keep going!!
しかし、そこに少し疑問を抱くこともある。
人を演じる役者にとって、自分の心との対話の中に見つける、小さな反応たちは非常に重要な意味を持つ。
習慣化することは、弱い部分に対して打ち勝つ方法として有効だと思うが、時間や回数を無理に実行すること、
乱暴に言えば、その人間らしい弱い心を無視する事。
少し極端だが、弱ささえも芝居には必要だと思うからから、このような考えに至ることがある。

さらには、「やる」と決めたことによっての弊害で言えば、
経験としてだと、オーバーワークだったり、自分にフィットしてない努力の方法だったり。
あとは、間違った方向へ努力なのに、「とりあえずやった」達成感により満足してしまう。という落とし穴もある。

これをやったらいいよ
これをやり続けるんだ
やらなくてはいけない

外的な影響によって、自分の行動を習慣化すること。
誰かの良い事例に見習ってあてはめてしまうこと。
けっこうやってしまいがちだけど、経験上、よくないこともある。
もちろん、何もしないよりは全然マシだ。

自分の内側の声に耳を傾けての行動ではないから、うまくいかないと誰かや何かのせいにしてしまうし。
うまくいかない原因は自分の中にあるのか、それとも外からの影響か、測りかねてしまい、結局前に進まなくなるのだ。

体の状態(内蔵とか筋肉とか)、大きく言えばその人の特性、それぞれが違う。
具体的な成果より、習慣を達成していることに満足して、
本当に欲しい到達点までいけない、そんな事が多いと思う。

あれだけ走ったのに、体は期待してたほどそんなに強くなってないなぁ。。。。
それは、
必要な休息と栄養をとる、それを欲している体の声に耳を傾ける習慣がなかったから。

もちろん、ある程度までは結果が出る。
やらないよりは断然良い。
が、具体的な成果にたどりつくために、お腹がすいている、という反応を無視して習慣を遂行してもダメなのである。


それらを踏まえて、役者の目線で特に気をつけていることがあって、、、

次に演じる役は僕ではない。
が、
僕を使って、誰かを表現すること。
なんじゃないかと思う。

行動に対して、常に自分の中に起きる感情(リアクション)を正確に捉えることに目を向けていて、
マイナスの心であっても
それが何故、そんな感情になるか、その理由をしっかりとらえていないと、演技として使いこなせないんです。僕の場合ですが。

演技の習慣化。
これが、怖い。
ちょっとわかりにくいですね。
もう少し言葉を変えれば、他と、または前の役と同じような演技をしてしまうこと。
そりゃ、同じ青木健が演じるのだから、見ている側からすればほぼ同じなのかもしれない。

でも、そこに甘んじた瞬間から埋もれてしまう。という恐怖が生まれる。
オリジナルであることが武器になる商売、外側だけ取り繕っても、すぐにバレる。
武器であって、絶対ではないです。
もちろん参加する作品や配役によっては、受け手に分かりやすく外側で人となりを報らすこともある。

しかし、常に、その役の行動の裏にある欲求とは何か。
その役本人も、もしかしたら気づいてないかもしれない無自覚の部分を探す。
それは、その役を具体的に表現するため。
欲しい成果はそこである。
そのために考える、試す、そういう意味では、芝居を構築する段階での習慣として僕にあるのかもしれない。
でも、そこに頻度や回数や時間など設定していない。

それらを役の中に見い出すには、僕の中に、知識や経験などが紐づいてないと、リアリティ感、説得力が出ない。
なので、最初の一文に戻るが、
自分の心と交渉する。
何をする?どうしたい?何故か?

なので、
芝居を勉強すればするほど、自分の普段のキャラクターを誇示しようとしなくなっている感覚はある。テンプレみたいな表現を避ける。とも言えるかもしれない。
そうすると、
自分の脆さがモロにわかる。
ノリを出す自分なりのルーティーンみたいのも無い。

「相手によって、自分を変えるな!」
って小学校の時、先生に言われて感銘を受けた。この言葉が意味することの深さが今はまったく違う。
「自分の大切なモノを守る(変えない)ために、相手によって表現は変わる」
人は相手によって、対応が変わる生き物である。。。
見る視点によって見え方は当然変わるのだ。

自分の素を受け入れ続けて、自由になり、でも、それで理解されづらくもなる。
しかし、
何者でもない、ただの男でいたほうが、次の役を着やすい。
次の役の習慣を踏襲しやすい。伝えようとした時、不純物が少ない気がする。
言うのは簡単だが、、、なかなかできないです 笑


役者でなくとも、
他の何者でもない心の声と、習慣がマッチしたら、気持ちよく過ごせるのだと思う。
自分を貫くのと、ワガママなのはまた違うが、
でも、いいじゃないか。ワガママでも。本当に心からそうしたいやつのワガママを受け入れてくれない人や社会は少し寂しい。

自分に似合った習慣を探していこう。
今日はこのへんで。
See you next.


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