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この1年で「普通」になってしまったマスク生活への怖さとちっちゃい抗い

マスクがあまりに日常的になっていることへの違和感や怖さ、そしてちっちゃい抗い?をちょっと挙げてみました。1年前にはマスクが手に入らなかったんですよね。

昨日、緊急事態宣言が2週間延長されることが正式発表されました。ひとまず2週間、と言った方がいいのかもしれない。実際には宣言が出る前から危ないんじゃないか、という空気が生み出され今回も同じ。大きな部分が変わらないけれど、一部分だけが劇的に変わっている、という感覚の人もいるんじゃないかと思う。まさにそんなところもある。

マスク慣れ

ほぼこの1年、講義で接する学生とはマスク越しでの対面。Zoomやオンデマンドでの講義では、こちらはマスクをしていないけれど、画面越しではマスクをしている学生もいるし、画面が映せないということもある。そうすると本当にマスク顔だけがインプットされて、不意にマスクを外した瞬間に急に違和感を覚えることがある。一旦認識してしまえばあまりないように感じているけれど、とにかくその瞬間が急に何度も訪れる。

顔の違いを認識する中でパーツが1つ隠れてしまっているのだから、バラつきは減る。その分外すと大きくなる。次年度も同様の状況が続くけれど、
果たしてマスク無しで対面した時にちゃんと認識できるだろうかと思う。

もちろん以前からもマスクをしている学生はいる。そういう意味ではこれでまでにも起きていることなのだろうと思うけれど、その数が桁違いすぎる。

それ以上に怖いのが「マスクをして運動することに慣れてきている」ことでもある。実技授業再開当初は学校の方針もあり、こちらからも何度か注意喚起をしていた。慣れない環境や思いのほか強度が上がってしまったりしてつい外してしまう学生もいたが、時間が経つにつれてそういう指示も減った。

みんなが当たり前のようにマスクをしたまま運動している。
トレーニングという位置づけではないから無理に強度上げる必要はないが、それでもあまりにも普通に。

そこに違和感を覚えなくなっている自分にも怖くなった。

脱マスク

そういうこともあって、尚更マスクをしない時間を大切にするようになった。とはいえ環境は限られている。自分自身だけでなく相手を巻き込んでしまうことにもなる。

そのため、朝や昼に運動する時間はマスクをしない。幸いにも花粉症でもない(いまのところ?)からできることでもあるけれど。お店やジムに入る時には着用するが、外を歩いている時には極力外す。

これだけの期間が過ぎてもマスクには慣れていない、これが大きな原因でもあるのだけれど。でも、慣れちゃいけないとも思う。

人混みの中を歩くわけではないし、そもそもすれ違う人も少ない。今の状況下で運動する理由は下の3つ。

仕事への準備
ストレス解消
生活リズム、何も考えない時間


仕事への準備。おそらく再開されたとき、あるいはオンライン等でやる時に「運動不足です」なんて姿でいたくない。そうじゃない状況でも運動しようということを伝えようとしているので、どのくらい高い能力であるかとかではなく、運動を継続する術を検証することは絶対に必要。
ストレス解消。こういう状況でふと疲れを感じることがある。認識できないところでのストレスを解消する、ということにかなり貢献している。
生活リズム、何も考えない時間。ストレスあるなしに関わらず生活リズムをつくること。そして何も考えない時間をつくること。

自分よりも苦しい人はいるから、という思考は必ずしもプラスではない。それに自分1人でどうにかしているようで、そこにサポート・介在していただいている人たちはたくさんいる。

だから「自分のことは何とか自分で」というわけではないけれど、それでも自分の容量の中でできることはやっていきたい。そして、色んな情報もある中でしっかりと自分の感覚で確かめていくこと、そのために前提となる感覚を研いでいくこと。本能任せではないけれど、その感覚と情報と。吟味して、精査して行ったらできることは色々ある。

#自分にとって大切なこと

読んでいただきありがとうございます。日々の雑感やスポーツ、運動にまつわる数字を眺めてまとめています。普段はトレーニングサポートや講義を行なっています。