発達障がいの中学校生活経験談 1-1

小学生(中学年)から中学2年生までつづったものである。

同じ学級の同級生や教員たちは、私が何を考えているのかわからないような様子でした。私は結果的に、気に入らないことがあるとヒステリーを起こし、その後は一人になりたいという欲求から、学校内のどこかの部屋の隅や暗いところを探しました。そこで出会った場所が、音楽準備室でした。誰もいないところでドラムに触ったり、誰もいない空間を過ごすことが好きでした。また、私が発達障害を持っていることから、空間を大切にする傾向があり、学校内にある林のような場所や、当時近所にあった自然公園という名の山に登って、空の雲が切れる音が聞こえるかのような空間で過ごすことが好きでした。

私は、家にいる時間でも間接照明を好み、静かな空間で過ごす傾向がありました。そのため、大人数での集団行動や噂話などは非常に苦手でした。小学校の後半になると、男性教員に出会ったこともあり、多少は落ち着いた学校生活を送れたと思います。ただ、小学校2年生以降、学習能力が低く、プリントなどを配られると苦痛でした。また、一時期、特殊な症状を持つ人と一緒に授業を行ったこともありました(計2人)。

学校授業外で多少学力を付けようと、家でも勉強を試みました。自動学習用の「学研まなぶくん」というシステムも使って、買い物などを駆使して簡単な計算ができるようになりました。

小学校卒業後、中学校に入学しました。最初は別の学校の生徒もいたため、印象は良かったようですが、その後障害をはじめとするイメージが悪く、嫌われるはめになりました。障害だということは近くの友人など以外に伝えたことはありませんでしたが、どのように噂が広まったかは全くわかりませんでした。小学校の頃に特殊学級のようなものがあったり、中学校の頃にも似たようなものがあることを知りましたが、なんの代わり映えのない環境で学校生活を送ることになりました。

そのため、学力は低いままで友人も数名程度で、学校という環境に馴染めず、ほぼ小学校と変わらないような生活を送ることになりました。中学1年生の時には、寝ているだけで先輩方に呼び出され、やたら絡まれたり、学校の中央の階段で時間を過ごすなどの生活が続き、2年生になりました。

その頃に一度真面目に取り組んだテストがあったか、成績で良かった時は、一部の項目に3という数字が付きました。成績は1から5まで低評価され、そのうちの3という形でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?