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【より生きやすい世界へ行く方法】

事業は、サービス業をしていました

身バレ防止のため
どのような業種かは
これ以上詳しくは言えませんが

ある性質の顧客に対して
提供するサービスを
特段がんばってしまうことが
あるんですよね

ついつい
あのひとのためなら…
と特段サービスをしてしまいます

それは自分だけでなく
他のスタッフもあの人のためなら…
となってしまうという話を
耳にすることがよくありました

それはどういう性質の
ひと達だと思いますか?

それは『感謝』や『喜び』を
心から伝えてくれるひと達です

「ありがとうございます」
「とても助かりました」と
『感謝』や『喜び』を
心から言われると

サービスを提供する側としては
とても嬉しいものなんですよね

そしてその人に対して
また何か助けになることがあればしたい
その人のためにまたがんばりたい
と思うんですよね

ここで誤解しないでもらいたいのが
また特別に何かをしてもらうことを
期待して言うのではなく

心から感じた
『感謝』や『喜び』を
丁寧に感じ取って言うことが
大事だと思っています

特別に何かをしてもらったのに
また特別に何かをしてもらうことを
期待するのはとても貧しい発想では
ないでしょうか?

それは何らかの形で相手に伝わり
いい形にならないと思います

また、期待した通りに行かないと
「落胆」につながります
.
.
.
「受け取ること」は
「与えること」と
同じくらい価値があると
個人的に思います

受け取る人がいるからこそ
与えることができます

また『感謝』や『喜び』で
受け取ってもらえることは
与えた側にとっては
すごい『喜び』になるんですよね

たぶん誰かのために
何かをしたことがあるひとなら
この話は共感しやすいかと思います

でも実際受け取り慣れてないと
「いいです」と遠慮して
しまうことがあります

また『感謝』や『喜び』を
伝えることに慣れていないと
それをうまく伝えられないんですよね

与えてくれた人のためにも
遠慮せずに自分は
「受け取っていい」
という認識をもって
受け取り上手になりましょう

(話が長くなるので
詳しくは書きませんが
受け取らない方が
いいモノももちろんあります
なんらかの見返りを
期待してのモノなどは

「タダより高いものはない」ですね
見極めが大事です)

また金銭の授受の有無に関わらず
受けとった際は「当然のこと」
なんて思わずに

心から感じた
『感謝』や『喜び』を
丁寧に感じとり
提供してくれた方に
それをできるだけ
伝るのがいいと思います

飲食店で食事をした際や
買い物をした際など
たとえお金を払ったとしても
(なかなか難しい場面もありますが)

それは与えた側(提供した側)に
とっては何よりの
『喜び』になるからです

このような現象は
受けとった側も与えた側に
与えることができている
と言えるのではないでしょうか?

そうやって何かを受け取って
『感謝』や『喜び』を
伝えることを大事にすれば
『感謝』や『喜び』が循環して
より生きやすい「世界」に
少しずつ近づいていくのでは
無いでしょうか?

ここにおける「世界」とは
「小さな自分の世界」であり
「大きい意味での世界全体」
という意味において

今回は哲学的な話で
少しわかりずらかったでしょうか?

みなさんはどう思いますか??

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