野球をしていなかったらと思うとゾッとする
こんばんは!
ケミオです。
先週の日曜日、久しぶりにヒザをすりむきました。
大人になればそんなことはほとんどなくなると思いますが、私は草野球をしていまして、それでです。
スライディングがちょっと中途半端になってしまい、ヒザを思いっきりグラウンドに擦りました。
もちろん、ユニフォームをはいています。
破れはしなかったものの、ユニフォーム越しに、思いっきりすりむいた形になりました。
とはいえ、そんなことは昔しょっちゅうありましたし、今も一年に一度あるかもしれないくらいのことで、全く大したことではないです。
余談が長くなりましたが、今日は野球について書こうと思い、関連する最近のことを書いてみました。
昨日と同様、今日も別に書き進めていたことを、ボツにした次第です。
もちろん野球と言っても、アダルトチルドレンと絡めて。
私は中学校まで、野球をしていました。
はじめたのは、小学校3年の時。
当時はほぼ毎日、夜にプロ野球がテレビ中継されており、それを見ていたら自分もやってみたくなったんです。
父と共にまずチームの見学に行き、そのまま入団しました。
思えば、私が自分から「これをやりたい」と主張したことが叶えられたのは、これが最初で最後だったかもしれません。
チョコレートが食べたいとか、そういう些細なことではなくです。
些細なことでも、家で主張はできなかった私ではありましたが。
ともかく、見学の時の風景やワクワク感はなんとなく覚えており、書いているとほほえましい気分になりました。
少年野球時代のチームは私を入れて同期12人で、強かったとは言えません。
ですが、私の同時期の良い思い出を探すと、ほとんどがこの少年野球のイベントか、チームメイトと過ごした時間に突き当たります。
合宿でも、餅つきでも、ファミコンでも。
一方、中学では打って変わって、全国大会にも行く強い部活に入りました。
たまたま家の近くの中学校がそうだっただけで、そんなチームを自分で選んだわけではないのですが。
練習も並みの高校よりはハードだと言われているくらいで、こちらは楽しいよりはるかに、厳しい思い出の方が多い。
ですが、野球部が強くて学校内で圧倒的に目立つ存在であったことは間違いなく、そこに所属してやり通していることに、誇りに近いものを持っていたことは確かでした。
以上は、私の野球歴についてのごく簡単な紹介に過ぎませんが、この野球がなかったら私はどうなっていただろうと思うと、かなりゾッとするんです。
親からも家からも離れて過ごせた、少年野球のチームメイトとの時間は、今思えば心のオアシスであり、貴重で大切で、かつ絶対に必要なものであったように思います。
中学校の野球部では、社会に出ても大切にしたい努力や規律やチームワークについて、時には理不尽に思うくらい叩き込まれましたが、こうしたことは、決して私の親が教えてくれなかったことでした。
野球部で教えられたことは、私も社会に出てなあななになってしまったところはありますが…。
それでも、忘れられない野球部でした。
最近はたまにやるくらいですが、今も楽しみを与えてくれる野球です。
やってよかったですし、子どもの頃の私も懸命な希望を言ったものだと思います。
親にも、そのきっかけをくれたことには感謝します。
父母づきあいが嫌な母は嫌がっていましたが、それでいいんです。
今日もお疲れさまでした!
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