困難を乗り越えて、今日まで生きてきた
こんにちは!
ケミオです。
今は、「〇〇しなきゃいけない」みたいなことを、自分に課していません(仕事以外)。
何をしてもいい。
一瞬でも長く自分自身を感じられれば、それでよしの私です。
そんな中にあって今回は、昨日思った過去のことについて少しばかり。
具体的な出来事のああだこうだ、ではなく。
精神的に未熟で、情緒が不安定極まりない親の元で育っていく運命になった子どもは、どうなるか?
実体験を踏まえれば、いつでも「いつ殺されるかもわからない恐怖」を抱えている状態になります。
その考え自体が当時、明確に頭にあったわけではありません。
ですが、親に見捨てられれば自分は生きていけないことを、子ども(私)は知っています。
捨てられることは、殺されることと一緒。
そうならないために、そうなってしまう恐怖を抱えながら、親にビクビクして家庭内を過ごさなければならなくなるわけです。
感覚としての「殺される」は、大袈裟でもなんでもありません。
これはもちろん、毎日当たり前のことです。
子どもでは処理しきれない、信じられないほど大きなストレスを背負うことになっては。
体や心、どこかに無理が生じてきます。
無理の結果が私の場合、アダルトチルドレンであり、また複雑性PTSDであり、また解離だったと言えます。
この恐怖が、どれだけすさまじいものだったか。
また、そんな環境が、どれだけ苦しいものだったか。
これらを昨日、道を歩いていた時に、当時の実感を伴って強く思い起こされたのでした。
また、思い起こされることで同時に。
俺は過酷な環境の中ですごく、頑張ったんだな、とも思いました。
困難を乗り越えて、今日まで生きてきたのです。
読んでいただいてありがとうございます!
今日も残り、良い一日をお過ごしください!