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アダルトチルドレンのおかしな頭の中

こんにちは!

ケミオです。


考えてみれば、おかしな話だなぁと。


小学校から中学校にかけての私の友達に、Y君がいました。

学業は優秀。

しかし運動が大の苦手で、足の速さは学年最後尾。

そんな彼と私は、同じクラスにはならなかったものの、家が割と近いこともあり。

たまに登下校を共にしたり、一緒に遊んだりもしていました。


なんのことはない、子どもの友達同士の間柄です。

以上に付け足すとすれば、私はY君とは逆で、運動が得意だったこと。

足の速さは学年で5本の指にいた私でした。


その間柄には、何もおかしなことはありません。

べつにY君と、喧嘩をしたとかいうのでもなし。

仮に喧嘩をしたとて、したこと自体が即おかしなことにはならないでしょう。

おかしいどころか、至極真っ当な関係でいられたと思うのです。


そう、真っ当だったんです。

繰り返しますが、Y君は運動が苦手でした。

運動会でも持久走でも、とにかく学年全員の運動能力が白日の下にさらされる行事において。

彼はいつも最後の最後で、目立つ存在でした。


その側面において、Y君とは逆にデキた方の私ですが。

Y君を運動音痴でからかったり、蔑んだりすることは全くなく、対等な友達関係を築いていました。


そんな当たり前のことを強調するように書くのは、変な気持ちがするところですが。

とにかく、私はY君を認めていたわけです。

一人の人間として。


一方で、私がおかしな話だと思ったのは。

アダルトチルドレンとなった私の、頭の中です。


私は、何かできないことがあると、それが自分の全てであるように思ってしまいました。

自分ができないことには周りのみんなが寄ってたかって着目して、私という人間そのものを全否定するような意識に囚われてしまっていたんです。


そんな私が、Y君になったらどうでしょうか?


運動音痴だというだけで、まるで何もかもダメな人間になります。

運動が得意な奴と友達なんて、おこがましい。

そもそもの存在価値もなければ、認めてもらうなども、あろうはずがないのです。


しかし、実際のところは。

私はY君を、認めていました。

運動音痴は、むしろY君の個性。

存在価値がないなんて、夢にも思わないでしょう。


つまり私は、自分で普通にしていたらあり得ないことを、自分にだけ当てはめていたわけです。

苦手なことだけで、存在価値がないなどというのはあり得ません。

それは、自分の過去の付き合いからも明らか。

なのに、自分だけ存在価値がないのが、現実になっていました。


もちろん、子ども同士で優劣から諍いが起こることは、無きにしも非ずでしょう。

でもそれとて、素直な心の表出なら微笑ましいところがあるかもしれず(100%そうとは言えないかもしれませんが)。

諍い自体が、それこそまだ子どもっぽくて仕方のないことじゃないかなと、思ったりもします。


それはそうと、とにかく私自身の頭の中は。

かなり現実離れをしていたんだと、実感を伴って思うようになってきました。

嘘偽りない、自分の体験から。


もはや妄想や錯覚の類に、思えなくもないです。


読んで頂いてありがとうございます!

今日も残り、良い一日をお過ごしください!

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