「そう思われたい自分」との付き合い方~承認欲求のすゝめ~
「そう思われたい自分」に、邪魔をされたことはないですか?
本当はしたいことがあるのに、周りの目が気になってできなかったことや、
特別な人だと思ってほしくて、取り繕ってしまったこと
好きな人の前とか、自分をよく見せようと躍起になればなるほど
裏目に出たりするもんだから世の中不思議ですよね、まったく…
とりわけ最近は、「SNS盛」という言葉があるくらい
自分をよく見せることに関心がある人が多く
社会もそうした心理を掻き立てるような工夫を凝らしているなぁと思います
この「そう思われたい自分」との付き合い方、非常に重要であると考えます
なぜか?
それは具体的な意味での「邪魔」があるからという話ではなく
付き合い方を間違えると、
本当の自己愛を経験できない
恐れがあると考えるからです
どういうことかというと、
「そう思われたい自分」を前面に押し出していると
本来表に出るはずの「そうである自分」が委縮してしまう
そうであることよりもそう思われることのほうが重要になれば当然
人は易きに流れ、成長を怠ってしまったり
現在の自分に対する否定的な気持ちが育ってしまったりする
こうなれば、それまでよりも本来の自分を愛することができなくなり、
もっとよく思われることに執心してしまうという、悪循環にはまってしまうと思うのです。
以下『自己愛とエゴイズム』(ハビエル・ガラルダ)の引用です
人から良く思われたい自分になるのではなくて、自分がなりたい人間を見つめるという態度である。愛されたい、認められたいという自分の浅い望みに妥協しないで、愛したい奥深い自分に忠実に生きることである。…奥深い自分が正しいと思っていることと、奥深い自分が本当にしたいことを、迷わず行うというコンスタントな態度を自分の人生観に入れ込むことができれば、悪いナルシシズムはほとんど関係ない話になるであろう。
「そう思われたい自分」よりも「そうである自分」を、
「そうである自分」よりも「そうありたい自分」を大切にしてほしい
「そう思われたい自分」を大事にすることで、
自分のことをかえって嫌いにさせ、
不安に突き動かされたナルシストになってしまう
「そうありたい自分」を大事にすることで、
人は自尊心を育み
孤独を克服した本当の自己愛を手に入れることができる
話の角度は変わりますが、
他者の認識に執心すること自体の非合理さも言及したいですし、
何より無意識的に「人を目的でなく手段とする」ことに、抵抗を感じたいというのもあります
いづれにしても、
誰しも「そう思われたい自分」がいるとは思うのですが、
そういう自分と適切な距離をとることが必要であると思う
そのために「そうありたい自分」と誠実に向き合うこと
そのことがいい効果を与えてくれるとそう思います
最後まで読んでくださりありがとうございました~