見出し画像

パンとサーカスをバカにしてはいけない・・・東京五輪は「昭和」でなくむしろ「平成」を終わらせるイベント。

今月末までに本を書き上げて、その原稿をここに先行公開、とかするはずで、しかもその締切りも既に結構伸ばしてもらってたんですが、なんかもうこの一週間とか世の中が根っこからひっくり返りまくりすぎて、ちょっと精神が落ち着かず原稿どころじゃなくなってたので、締切を東京五輪終了日ぐらいまで伸ばしてもらって、今日はこの「東京五輪とデルタ株大混乱」について考えていることを書きます。

なんか、凄いことになってますよね。

一方では日本選手のメダルラッシュに「ワーイ(^O^)/」ってなってる人たちが、しかもかなり国民の結構な分量でいて、一方でデルタ株の感染力が猛威を奮っていて、しかも当面の間感染が下げ止まる要素がないという。その状況でスガ氏はなんだかわかったようなわからんような頼りない会見しかしないし、一方でテレビをつけると毎日、「この競技でメダル取れるって凄くない?」みたいなニュースが次々と入ってきて、また「ワーイ(^O^)/」ってなるという(笑)

さぞかし憤懣やるかたない思いを持っている人たちもいるだろうし、逆にそういう人が「憤懣やるかたない」感じになってるのが凄く爽快だと感じてる人たちも実際結構いそうだったりして(笑)。

しかし私はこの混乱には、もちろん色々と困ったことも沢山あるわけですが、一方で「ものすごくポジティブ」なものも感じていて、むしろここを起点に日本を凄くいい状態に持っていけるチャンスだとすら思っているんだ、というような記事を書きます。

いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。

1●パンとサーカスをバカにする者はパンとサーカスにやられる

こういうのを「パンとサーカス」って言うじゃないですか。古代ローマ時代に「権力者」が「民衆」をパンとサーカスで籠絡し、愚民政策的に権力者が色々と思い通りに政策を行おうとしたことを批判する時に使う言葉なんですけど。

ただ個人的に、パンとサーカス大事だよ?と思うんですよね。

むしろ「民衆のニーズ」にちゃんと向き合わずに「パンとサーカス」をバカにしてるから、「知的な特権階級」と「民衆」との気持ちの距離が離れすぎて、そこの間の「お互いを尊重しあう対等な異文化コミュニケーション」が断絶してしまい、結局民主主義なんかもう終わりなんじゃないか、中国みたいなエリート主義政体でトップダウンにやるべきなんじゃないか、みたいな話になってしまうわけで。

「日本選手が活躍して嬉しいな」みたいな素朴な気持ちに対してすら「その選手が凄いのであってお前が凄いのではないぞ!!!」みたいな言わずもがななことを延々と上から目線で断罪する事自体が非常に物凄く特権主義的というか、ある種のタイプの知的なエリート個人主義者の価値観だけで社会全体を隅々まで統治してしまいたいという野心に含まれているイビツさがあるように思うんですよね。

以下の記事で書いたように、

引用)

個人的に、自分は東京五輪には賛成派で、多少の困難があっても開催するべきだと考えているんですよね。

というのは、ああいう大きなイベントって、欧米的理屈による「”個”をあらゆるい意味で絶対的に扱った上での”狭義の知性”礼賛」主義になるとどんどん隅に追いやられていってしまうタイプの存在になっているんですが、しかしそういう構造自体が、「近年の欧米における流行的な価値観」に親和的な人間だけの特権的断罪だな、って感じる部分があるんですよ。

多少「無理」をしてショーアップすることによって、たとえば普段目にされることもないマイナー競技とかの競技環境とかだって整えられたりするし、そもそも普通のインテリが「同じ国を共有している仲間よりも地球の裏側の同じ特権階級としか親和しない」傾向が大問題となっている時代には、オリンピック的イベントが多少無理してでも行われることは、「どんどん失われて行くタイプの紐帯」を4年に1度ぐらいは温め直すイベントとして、そこに「無理」が生じること自体が存在意義とすら言えるんですよね。

そういう「オリンピックって嫌われがちだけど大事なんだよ」という「理屈」の話はとにかく僕は凄く主張したい

引用終わり)

バッハ会長とかIOCの特権意識とか金満腐敗とかを掣肘すべきってのは凄い僕も思うんですが、いつも思うんですがこういうのって「なぜ彼らがのさばっているのか」の「真因」の方まで遡って考えないと決してやっつけられないんですよね。

それは結局「パンとサーカスをバカにする」型の知的個人主義者の内輪のサークルの雰囲気だけを社会の隅々まで絶対化したい・・・という欲求自体が既にイビツであり、それが引き裂いてしまう、「インテリもそうでない人も共有しているこの社会」的なイメージを保つ役割を放棄しているので、そこがバッハにしてやれるポイントなんですよね(笑)

ある種の知的な仕切りによって日本社会の隅々から「理不尽なこと」をなくしていきたい、っていうのは僕も凄い思ってるんですが、そのためには、「パンとサーカス」が果たしている役割に「敬意」を払い、そこに存在している生命的真実を尊重した上で、自分たちの提案する世界観においてもその機能はもっと良い形で提示できるのだ・・・という課題に向き合っていくことが必要なんだと思っています。

2●「敵の存在意義」を自分たちなりのやり方で解決することで「本当の勝利」が見えてくる

上記記事でも書きましたけど、僕のクライアント企業で、ここ10年で平均給与を150万円ぐらいアップできた会社があるんですけど、その「きっかけ」っていうのが、「パワハラ気味の古い役員にやめてもらう」ことだったんですよね。

150万円も平均給与を上げるには、ただもっと頑張れって話だけじゃなくて、結構ドラスティックなビジネスモデルの転換が必要なんですけど、そういう時って当然反対する人が出てくるわけですよね。

「やめてもらった経緯」の詳細は上記記事を読んでもらうとして、結局本質的に重要なのは、

「反対者が反対している”理由”」

みたいなのを「新しい理想」で包含していくことなんですよね。

いかにも「昭和」な体質の組織があったとして、その「昭和」さにも一応意味があってそうなってるわけなんで、それをただ「時代遅れだから捨てるべき」っていう「平成」のトーンだけで行くと、その会社が、そして社会がどんどん分断されていくじゃないですか。

特に「昭和」的な組織がどんどん「知的な個人主義者だけが居心地が良いように」していこうというのが「平成のモード」なんですが、そうすると、そこで活躍できる人材タイプがかなり限定的になっていくんですよね。

で、結果としてアメリカ的に「知的な個人主義者が物凄く活躍できる一方、それ意外の”フツーの人”の効力感が果てしなく削られていって、社会全体の分断が強烈に進んでしまう」みたいなことになっていくので。

そのクライアント企業でやったのは、「昭和に敬意を払う」ことなんですよ。「昭和」が代表していた、顧客一人一人への対応が雑にならないようにするとか、知的な個人主義者以外の人材タイプもちゃんと育てていって機能するようにするとか、そういう手立てをやっていますよ!というテイを維持したまま、ドラスティックなビジネスモデルの変化は着実にやっていくことで変化は起きた。

「相手の価値観」を否定しながらやっていくと、その「価値観」の時点で2つに分断されてしまうので、水掛け論になるんですよね。

都会の会社ならもう排除しちゃえばいい・・・ってなるかもしれないけど、田舎の人間関係の中だとそれも難しい。これは逆に「社会全体」で見ても同じ問題がある。

一方で、「相手の価値観が大事にしているもの」をちゃんと尊重した上で改革していけば、

おいこら、テメー、ちゃんとお前の建前尊重してやったんだから、こっちの言うこともちゃんと受け入れろよな

的なことを首筋に刃を押し当てながら言うような、

本当の迫力

が生まれるんですよね。(こういう言葉遣いをするわけでは絶対ないんですが、ちゃんと”刺し違える覚悟”が必要だってことですね)

3●柔道チームの躍進の背後にあるもの

今後いろんな記事が出てくると思いますが、日本のオリンピック柔道チームは、ロンドンで絶不調で金メダル取れなかった結果、「このままじゃいかん」みたいな話になって、井上康生監督がかなり大胆な改革をやって、リオと今回のメダルラッシュに繋がってるんですよね。

で、今の時代的には、「昭和」的な要素を一切排除して「知的で現代的な方法論」を埋め込んだから成功したのだ・・・っていう風に理解されがちなんですけど、でも、実際に「そういう導入」をやろうとしてできないことが日本社会のあちこちであるわけで、ただ単に「昭和的なものを否定しまくった」というわけじゃないはずなんですよね。

井上康生氏自身が、「昭和的な柔道」のものすごい体現者だったし、そして柔道組織の末端には「昭和」的なものが残っているので、そこと共鳴しながら、

「変えてはいけないものは変えない」という信頼感

を井上康生氏が得られているから、色々と形としては大胆な現代的トレーニングやら新しいチームの人間関係の作り方みたいなことを導入していける。

これはどの程度「意識的」にやられているかはわからないですけど、「平成」時代に、内容はともあれとにかく「昭和」なものを否定すれば日本は良くなるのだ・・・的な盲目的な衝動であれこれやってきた結果として、日本はどっちにも進めずに混乱状態になっていることを考えると、やはり「本当に前に進む」ために必要な「令和のモード」がどういうものかがわかるはず。

実際、例の私のクライアント企業で、「残っているもの」って別に見た感じはそれほどないんですよね。どんどん「新しい考え方」で変わっていっているように見える。

ただ、その「移行」がスムーズであるかどうかによって、「仏像に魂が入る」的な部分が違うんですよ。

だから「昭和に敬意を払うとか言ってたら前に進めないじゃん」ってことは絶対なくて、むしろ完全に昭和の亡霊に成仏してもらうためにこそ、「その機能」をちゃんと理解して再現する意志が必要になってくる。

そうすれば、「昭和」の亡霊に悩まされる必要もなくなり、どんどん「新しい時代」に変化していけるようになる。

パワハラをやめましょうとか、有給休暇をちゃんと取りましょうとか、育休の制度を整備しましょうとか、女性も普通に昇進できるようにしましょうとか、そういうのって、ただ「古い社会」を「糾弾」してるだけでは、恵まれた都会の特権的階層の外側でも同じことを実現することができないんですよね。

それに、社会全体で常にこういうやり方が必要なんじゃなくて、「社会の一部」でこういう可能性が生まれれば、残りの社会の8割ではサクサクとただ「新しい時代」に移行していくだけで良くなったりもするはずなんですよね。

森元首相の失言問題があって、「昭和の老害どもめ」みたいな機運も高まって、ああいうのを排除しさえすれば良くなる・・・って感じのSNSの風潮ですけど、でも文春の記事によれば、例の

MIKIKO&椎名林檎案を最後まで押していたのはむしろ森元首相

だったらしいじゃないですか。

あれが実際の案にさしかえられたのは、むしろ「平成」っぽい人たちによるゴリ押しだった・・・と言ってもいいんじゃないでしょうか。

4●とはいえもう「昭和」は脱却していきたいよね

とはいえ、もう森元首相的な存在に頼る時代じゃないよね、って話なわけで。

でもそのためには、「森元首相」を切り捨てるだけじゃなくて、「森元首相が担っていた役割」をちゃんと代理で果たす算段を必死にやらないと、MIKIKO&椎名林檎案がよくわからないグダグダの混乱に飲み込まれていくことになるわけですよ!

ここのところを軽視しているから、「平成」時代のあらゆる「改革」運動は中途半端に終わったのだ・・・と私は考えています。

じゃあどうすればいいのか?

って話なんですが、

上記記事で「反ワクチンのモンスター医師」とどう向き合うべきか・・・みたいな話で。

「新旧の文化を両方知って差配できるレペゼンする知識人」にもっと権力を与えて、ちゃんとすり合わせをやっていくべきなんですよね。

上から目線で「これが全人類が従うべき絶対的基準です」と押し込んでくる「啓蒙する知識人」っていうのが、人類社会全体のGDPにおける欧米のシェアが急激に下がり続ける米中冷戦の時代にはどんどんそぐわなくなってきているんですね。

だからといって中国みたいにバチバチに「vs欧米」ってなったらその先がないので、その間をちゃんと繋ぐような、「両方の価値がわかる」人が、ちゃんと細かい導入の細部における配慮をリードできるようにするのが「令和」流なのだ・・・と思いましょう。

結局、上記の反ワクチンへの対処の記事で書きましたけど、今「モンスター医師」になってる人も、理想主義的で知的な個人主義者の意見を日本社会がうまく受け入れられず、むしろかなり侮蔑的な態度を取ってしまいがちな「結果」として生まれてしまっているのだ・・・っていう事情があるんですよね。

上記記事では中央官僚システムをもうちょっと強化して、「単に切り捨てるでも、鵜呑みにして”抵抗勢力をぶっ壊せー!”でもないレペゼンする知識人的オトナの差配」ができる機能をもたせるべきだ・・・という話をしています。

なんというか、「官僚に口出しさせるな!」って気持ちは凄いわかるというか、僕のクライアント企業でも、

「中途半端に経産省が口出してきて、尻すぼみになったりするとウチそれを当て込んで投資したんですけど!!!!(怒)ってなる」

って話が結構あって(笑)

ただ、米中冷戦の時代は市場原理主義全盛期と違って米中ともにものすごい国家関与しまくるトレンドになってきてますし、そもそも、

手を出さないべきところで手を出さないような判断ができるっていうこと自体が凄く「強力な能力」がないとできない

わけですよね。

あと、全然遠い話のようですが、なんかさっき、女性現代メディア文化研究会という団体が、

漫画やビデオゲームといった創作物上の実在しない対象への性的暴力は、実際の人権侵害ではありません。実在する女性への人権侵害の問題にこそ早急に取り組むべきです

という声明を出して、海外メディアからも取り上げられたとか。

この動き、さっきたまたま見ただけなんでどんな人が関わっているのか知りませんが、「こういうの」こそが「両方の理想をちゃんと理解して差配する」レペゼンする知識人の理想的な振る舞いだと思います。

みんなそれぞれ、右寄りの人も左寄りの人も、自分の立ち位置的にできる範囲で、この「新しい令和のモード」の声をかけあって、「とにかく”抵抗勢力をぶっ壊せ”的な攻撃しかしない平成のモード」を置き換えていきましょう。

そして、経済・経営・社会課題、その他あれこれにおいて、「他人を糾弾しまくる事だけで何かいいことしたと思っている奴ら」から権力を取り戻して、一歩ずつ地道にちゃんと「生身の生きている人間たち」のための「優しさ」が社会に満ちるようにしていきましょう。

みなみなさま、私たちは、「本当の弱者」にちゃんと「具体的な優しさ」が届く事を着実に積み重ねていく事にこそ集中すべきではあるまいか?誰かを糾弾して悦にいるSNSごっこに夢中になるのではなくてね。

5●全部ぶちまけた先の真実へ至ろうぜ!

「今後」についてなんですが、まあなんというか、普通の意味での欧米型の知識人の発想の枠組みから言ったらあんまり褒められない状況が今後も続くでしょうけど、個人的には結構楽しみというか、「あるべき道」を進んでいると考えています。

コロナ対策でも、過去1年半ぐらいの混乱は、何度もいろんな記事で書いてきましたけど、

「今の対策を批判する側が、日本の当局側の事情を全然理解していない、する気もないので、当局が現状70点とか取るための最低限の対策が崩壊しないように最も保守的な見積もりに引きこもってしまう」問題によって引き起こされてるんですよね。

以下の2つの図みたいな論点が象徴的なんですが、

図1−2
図1−1

日本の当局は検査拡大に反対もしてないし、色々と細部の調整をやれば病床も増やせるんだけど、「改革を迫る側」が、彼らがにわかには動き出せない理由についてちゃんと理解して提案の仕方を変えるようなことをしないから、

・検査拡大すれば医療崩壊する

・病床を増やせないのは医師会の陰謀(これは全然なくもないと思いますが 笑)

みたいな、二重三重に混乱した結果これはこれでわけがわからない通念みたいなものにエスカレートして身動きが取れなくなってしまう。

ツイッターとかでよく見るのが、

欧米はちゃんと保障してカネ出してるけどスガはお友達にしか出す気がない!こんな政府の下にいる我々は不幸だ!絶望だ!

みたいなのが数万とか「いいね」されてたりするんですけど、もうこういうの事実認識から間違ってますからね。

予算総額的にも欧州の国ぐにと遜色ない規模だしているし、雇用維持のためのあれこれの施策は出しまくっていて、「普通のサラリーマン」からは見えづらいところではメッチャやってる。結果として、倒産の数がコロナ以前よりも少ないレベルにまで雇用維持されている。

もちろん、これは「既に雇用される立場がある人」に手厚く、非正規的な人に手薄になりがち・・・っていう問題があるし、支給が遅れている側面も結構あると思うんですが、少なくともさっきの「万単位でバズってるツイート」が全然現実と違うことはわかるはず。

政府批判派がやるべきことはそういう妄想の中の理想化された欧米を持ってきて日本政府をこき下ろすことじゃなくて、今の政府の対策のどこに目詰まりがあってどういうところで手薄になっているのか調べて提案することであるはずですよね。

結局、今の状況は自民党政府の混乱っぷりも明らかですが、同時に野党の方もなんだかどんどんわけわからんことになってるじゃないですか。

結局これは「どっちもどっち」で、

「平成時代風」に「ただ昭和を叩く」ムーブメントがあると、日本社会は自分たちの美点を失わないために「昭和」に引きこもってしまう

こういう「平成時代の不幸」を超えるために、

「昭和」が保っていた価値に敬意を払い、そこにあった「価値」を新時代のやり方で代理解消してやるのだ・・・という気概で望む

という

「令和のモード」=レペゼンする知識人

に、日本社会の権力を取り戻していくべき時間なんですよね。

だからまあ、やたらめったらサヨク叩き、韓国人叩き、女叩き・・・しかしない人たちも困りものですが、逆になんか「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的に政府に関係するあらゆる要素に悪口雑言を投げつけまくる

絶望だわ!ごっこ

をしている人たちとも、日本社会がちゃんと「同時に距離をおいていく」ことが必要なんですよ。

と、言うわけで、今後は凄い混乱混乱また混乱って感じだと思いますが、日本社会に「変化」を迫る側が持っている無意識の「無意識的な欧米文明中心的な文化帝国主義」みたいなのはとにかく徹底的に徹底的に徹底的に完全に完膚なきまでに一切の妥協なく徹底的に徹底的に徹底的に完全に完膚なきまでに一切の妥協なく徹底的に徹底的に徹底的に完全に完膚なきまでに一切の妥協なく徹底的に徹底的に徹底的に完全に完膚なきまでに一切の妥協なく徹底的に徹底的に徹底的に完全に完膚なきまでに一切の妥協なく徹底的に徹底的に徹底的に完全に完膚なきまでに一切の妥協なく徹底的に徹底的に徹底的に完全に完膚なきまでに一切の妥協なく徹底的に徹底的に徹底的に完全に完膚なきまでに一切の妥協なく徹底的に徹底的に徹底的に完全に完膚なきまでに一切の妥協なく

”相対化”

してしまった上で、

「昭和」的なものと「新しい時代の事情」をちゃんと平等に見られる人間

令和のモード=レペゼンする知識人

が浮かび上がってくるといいですね。

その間、「欧米的な認識の枠組み」から言ったらあんまり褒められたものではない状況も色々と通るでしょうけど、そのへんは、ポリコレ理論で言うところの

「権力勾配がある時にトーンポリシングしてはいけない!」

ってやつなんで、少年漫画風に言うと、

パンとサーカスのパワーをくらうがいいッ!!!

これはッ!!!おおおおおこれはッ!!!お前たち特権階級のインテリがッ!いままで下に見て蔑視してきた人間たちの思いだぁぁぁぁああああーー!!!

・・・でなんとか乗り切りながら、日本列島に住む1億数千万人にとっての「心から自然に望めるあり方」へとこぎつけていければいいですね。

6●米中冷戦の時代のボーナスステージを掴み取ろう!

そうすれば、以下の記事で書いたように、「米中冷戦の時代」には「世界に日本のありかた」をねじ込んでいけるボーナスステージが今後必ずやってきますからね。

(上記記事より引用)

「アメリカ型の何でも政治問題化して誰かを糾弾しまくる”WOKE”カルチャーの過激さ」を批判する気持ちがあるのは、オバマ元大統領とかマイケル・サンデルとか、あと欧州の穏健派インテリもかなりそういう傾向はあるんで。

「欧米文明の理想の大事な部分は否定しないが、現地現物レベルで”欧米諸国の外側”においてそれを根付かせていくには特段の配慮が必要なのだ」

という旗印を、「欧米の穏健派のインテリ」の文脈も巻き込みながら日本が立ち上げていくことは、米中冷戦時代の新しい世界の中心軸としてのポジションを作っていくことに繋がる。

米中冷戦時代というのは、特に30年代までに中国の方がGDP総額でアメリカを凌駕する可能性すら見えてくる中では、「あくまでアメリカ側に立っている世界第三位の経済大国」には物凄くいわゆる”キャスティング・ボート”的なパワーを持ちうるってことなんですよね。(キャスティング・ボートというのは、今の日本の国会での公明党のように、比較的小さい第三位サイズの存在が、拮抗した世界における重要な発言権を持つパワーバランスになることを指す用語です)

GDP総額単体でアメリカは中国より小さくなるかもしれないが、日米の総額を足した額を中国が超えることは相当難しい、中国の少子高齢化的要因による経済成長減速によって永久にないかもしれないぐらいのハードルになるので。

アメリカから見ても日本の繁栄を邪魔できなくなるし、中国から見てもなんとかして自分側に引き寄せたい存在になる。

つまり、「昭和の最後に世界一の金持ちになったらバッシングされまくったトラウマの裏返しとしての内向きに萎縮した平成時代」の時代背景とは全く違った環境構造になってくるんですよね。

その「戦略的に特別な優位性」を単に自分たちのエゴのために使ったら極悪人ですけど、しかし「欧米型理想をその外側まで、ナマの感情ベースで地続きにつないでいく」ために日本人が過去20年延々とこねくり回してきたことの価値(まさに”バンプオブチキンの遺産”的なもの)を、世界規模でねじ込んでいける情勢には当然なっていくと思っています。

アイドル用語で言うところの「世界のセンター=日本」になれる道がそこにある。

つまり、

米中のパワーバランスの間に、「世界第三位の経済大国」の図体をねじ込んで、キャスティングボートを握ることで、過剰に「他人を糾弾することしか考えない」ような欧米の昨今のムーブメントを中和し、新しい時代の「中庸の徳」の旗印を掲げ、人類の1割程度しかいない特権階級の欧米社会の内輪だけの論理を、「全人類」レベルのものに引き出していく使命が、わたしたち日本人にはあるってことなんですよ!

当分混乱が続くでしょうけど、その先の「生まれ変わる日本」を目指して、あらゆる20世紀的な枠組みで生身の人間を縛るような価値観を吹き飛ばして進んでいきましょう。

今回記事の無料部分はここまでです。

ここ以降は、まあ僕は医療の専門家ではないですが、個人的な予想みたいなものとして、今後のコロナの混乱みたいなのがどうなっていくのか・・・みたいな話について書きます。

そうはいってもデルタ株はめっっっっっちゃヤバいみたいだからね。

その中で、犠牲を最小限に抑えるために我々が取るべき方策はなにか、について、まあ僕は医療関係者じゃないんで素人なりにですが、考える記事を以下には書きます。

特になんというか、物凄く単純でアホっぽいこと言いますけどマーケティング的には「なんかしらんけどデルタってのはラスボス級に今までとは全然違うレベルでヤバいらしい」っていうメッセージを出していくことが大事なんじゃないか、みたいな話とか(笑)、結局今のデルタ株ぐらいの感染力なら社会にとっての「ゴールの形」はどんなものになりそうか、みたいな予想をします。

2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個近くある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。

普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。

また、倉本圭造の最新刊「日本人のための議論と対話の教科書」もよろしくお願いします。以下のページで試し読みできます。

ここまでの無料部分だけでも、感想などいただければと思います。私のツイッターに話しかけるか、こちらのメールフォームからどうぞ。不定期に色んな媒体に書いている私の文章の更新情報はツイッターをフォローいただければと思います。

「色んな個人と文通しながら人生について考える」サービスもやってます。あんまり数が増えても困るサービスなんで宣伝してなかったんですが、最近やっぱり今の時代を共有して生きている老若男女色んな人との「あたらしい出会い」が凄い楽しいなと思うようになったので、もうちょっと増やせればと思っています。私の文章にピンと来たあなた、友達になりましょう(笑)こちらからどうぞ。

また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

また、上記著書に加えて「幻の新刊」も公開されました。こっちは結構「ハウツー」的にリアルな話が多い構成になっています。まずは概要的説明のページだけでも読んでいってください。

ここから先は

2,041字
最低でも月3回は更新します(できればもっと多く)。同時期開始のメルマガと内容は同じになる予定なのでお好みの配信方法を選んでください。 連載バナーデザイン(大嶋二郎氏)

ウェブ連載や著作になる前の段階で、私(倉本圭造)は日々の生活や仕事の中で色んなことを考えて生きているわけですが、一握りの”文通”の中で形に…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?