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(テレビ出演まとめ)明治神宮外苑再開発問題は結局どこでスレ違っているのか?

明治神宮外苑再開発問題について書いた記事が広く読まれたことで、先週末にTBS-BSの『報道1930』という番組に出演してきました。

『バリバリの反対派』=イコモスの石川幹子氏
『どちらかといえば反対の中立派』=自民党衆議院議員の務台俊介氏
『どちらかといえば賛成の中立派』=倉本圭造(私)

…という感じで、結構バチバチと色んな意見が飛び交っていて、YouTubeコメント欄の”一番支持されてるコメント”も

荒れ具合とゲストの癖の強さから見て、これは神回と言わざるを得ない

…になっていて、番組終了後のスタッフさんたちの反応も良かったですし、少なくとも「盛り上がった」ことだけは良かったんじゃないかと思います。

ただなんか、「盛り上がり」はしたけど話がまとまったとは全然言えなくて、むしろ

この問題に関する反対派・賛成派の間のコミュニケーション不全の見本(笑)

…みたいになったとこあるなと思っています。

これは逆に言うと、番組の中でどこがどうスレ違っていたのか?を考えていくと、この問題に対する解決の糸口が見えてくる可能性があるという話でもある。

もしあなたが「反対派」の人でも、じゃあ「賛成派」の人とどういうコミュニケーションをしていけば相互理解が進む可能性があるのか?という視点が得られるはず。

もしあなたが「賛成派」の人でも、「反対派」の論点のうちの『ある部分』は今後のためにどうしていけばいいのか考える必要があるな、と納得できる部分があるはず。

…というわけで、番組の内容を振り返りながら、この問題がどうして相互コミュニケーション不能になってしまうのか?について具体的に考えていくと同時に、最終的には「そもそも理想的な民主主義的決定とは?」というような大きなテーマについても考える記事を書きます。

ちなみに番組は全部YouTubeにあります。(ただ結構長いので、適宜参照箇所にリンクを張りながら話をします)

(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)

0●よく知らない方のための基礎情報のおさらい

本題に入る前に、この問題は全然知らない人は全然知らないと思うので、まず最初に「反対派の言い分と賛成派の言い分」の典型的な例について簡単にまとめておきます。

多分詳しい読者にとっては「いまさら」な話も沢山あると思うので、よくご存知の方は読み飛ばして「小見出し●1」まで飛んでいただければと思います。

まずは「反対派の代表的な意見」から…

●反対派の言い分

A・神宮外苑再開発は、かなり強引な政治的運動で色々な規制緩和が行われた事によって可能になった、不透明性の問題がある。
B・事業者側が10年ほどかけて準備する間市民はほとんど知らされておらず、公開されてからは非常に短期間の衆知期間で一気に進められている。
C「こういう”強引な手法”を認めていると、東京の再開発が衆知を集められず一部の事業者の意志だけでワンパターンな開発が続いてしまうのでは?
D・明治神宮が、神宮球場を運営しながら色んな施設の建て替えを行うことが必要なため、施設の場所を入れ替える工法を取る結果として今ある木を千本単位で伐採したり移植したりする必要が出てくる部分がある。
E・外苑の近くに高層ビルを建てるのは風致上良くない。
F・ゴルフ練習場やアマチュア野球場など、「プロじゃないスポーツ施設」がなくなるのは「スポーツ振興」という観点から問題があるのでは?
G・確かにイチョウ並木などは残るが、近くまで建物が建つことによる樹木への悪影響や、景観の悪化などが心配だ

次に「賛成派」の代表的な意見がこちら↓です。

●賛成派側の言い分

A・反対派が言っているほどの「自然破壊」にはならず、むしろ緑地面積は再開発前後で「増える」程度の案にはなっている。
B・再開発されるのは明治神宮の周りにあるあの荘厳な「内苑の森」ではない。
C・内苑の森は明治神宮の”私有地”。外苑のスポーツ施設なども多くは明治神宮の私有地。宗教団体なので公金が入れづらい中で、特に内苑の荘厳な森の管理費の捻出が常に問題になってきた。
D・今回のプランでは、敷地の南西端に高層ビルを建てさせてやる「空中権取引」と「借地権代」によって、神宮球場その他の改修費用と、内苑の森の安定した維持費を捻出する目論見がある。(だから単に再開発プランを簡素化するだけでは別の収益源をゼロから見つける必要が出てくる)
E・外苑の再開発に反対ならば、その「明治神宮側の事情」も迎えに行くような議論が必要なのではないか?

こんな感じです。

個人的な私の立場を述べると、反対派の言い分の中では、

A&B・「やり方が非常に強引で不透明だった」
C・「こういう”強引な手法”を認めていると、東京の再開発が衆知を集められず一部の事業者の意志だけでワンパターンな開発が続いてしまうのでは?

↑こういう部分については、「賛成派」の人にも、一度立ち止まってちゃんと考えてほしいポイントだと思っています。

「規制緩和までの強引さ」については、番組でめっちゃ詳しく触れられてるのでご興味があればどうぞ。

22分8秒ごろからその話になっている(以下画像をクリックすると該当部分が再生されます・・・別の話題を挾みつつ40分ぐらいまでこの話が続きます)。

公有地と私有地が入り混じり、色んな規制がかかっていた状態から、色々と政治的に運動が行われて、この計画が実行できる状態に変更が行われた。

そのプロセスが強引で、密室で行われて市民的議論がなかったんじゃないか、という意見は一理ある。

もちろんこれは逆側の立場から見れば、

難しい利害対立が渦巻く問題を解きほぐして着地点を求めて地道に動いてきた関係者の人たち頑張ったよね、という話

…だと思う人もいると思います。

それに、別に「違法行為」って感じでもないんですよね。多少強引ではあったかもしれないが、法的に公式なプロセスで合意が積まれてきているのは確かだと思います。

ただ、私が反対派の言い分に共感するところがあるのは、こういうふうに「強引に」進めることが常態化してくると、その再開発に「衆知を集めて工夫する」ことができづらくなるという点だけは大問題としてあるなと感じています。

何度も書いてますが、「東京の再開発」がちょっとワンパターンになってきてるな、という点についての懸念は僕も凄い持ってるんですよ。

六本木ヒルズとか東京ミッドタウン(最初の六本木のもの)ぐらいの時は良かったんですが、なんかちょっと手癖で似たようなものを建てすぎているんじゃないかという感じがしなくもない。

で、神宮外苑における問題のように根本的な意見対立が放置されたまま、「意見を持ち寄る」があまりうまく出来ずに、話をまとめるには強引にやるしかない…という状況が続いてしまうと、さらに「ワンパターン化」が進んでしまうんじゃないか?という問題意識は凄く私も共有しています。

東京中のあちこちに、「また似たようなのが建ったな」ってシラケてる人も結構いるはずだと思っていて、それはもし神宮外苑再開発には賛成だという人も、一緒にぜひ考えてほしいテーマではあると思うんですよね。

この事についてはこの記事後半でさらに詳しく掘り下げます。

一方で、私が個人的に現行案にそれほど強く反対する気になれない大事なポイントは、番組でも詳しく扱われた「”内苑の森”の方を守るための明治神宮側の資金事情」みたいな話も当然あるんですが、それより多くの人にとって意外なのは、”賛成派の論点A”だと思います。

A・反対派が言っているほどの「自然破壊」にはならず、むしろ緑地面積は再開発前後で「5%増える」程度の案にはなっている。

ここの部分聞いて、正直言って「え?そうなの?」って思った人は多いと思うんですよね(笑)。

「再開発前後」で、むしろ「緑地面積」は5%も”増え”ます。

神宮外苑地区まちづくりサイト

事業者と反対派の人たちの議論では、「緑地面積は5%増えるかもしれないが、若木になるので緑地体積は5%減ってしまう」みたいな物凄い誤差レベルの議論を延々とやってたりするんですが、おそらく多くのこの問題の詳細を知らずにいた人は「え?その程度の事なの?」って思うと思います。

じゃあ10年20年たったら「緑は純増」するってことじゃん、って話ですからね。

反対派のキャンペーンだけを見ていると、「緑地面積」ごとゴッソリ減って、なんか無機質な高層ビルとかバカスカ建つゴリ押しプランみたいな印象になってる人が多いはず。

なんせ、

「”都会の緑は大切”というのが世界の先進国の潮流なのに、それを無骨な高層ビルで埋め尽くすなんてなんて野蛮な発想なんだ!」

…みたいなセリフってめっちゃよく聞くじゃないですか。(こういうのは正直言って「プロパガンダ」レベルの無理がある主張だと思います)

もちろん、明治神宮側の事情として「神宮球場を使い続ける」ために色んな施設の場所を入れ替えながら建て替えていくので、確かに「今ある木」を切る場所はそれなりにあるんですよ。

詳しい事は私の最初の記事で丁寧に説明していますが、ざっくり言うと番組で出た以下のフリップのようになっている。

「緑地面積や木の本数」自体は増えるが、移植や伐採が必要な木はそこそこあるという計画

でもね、「それが問題だ」という発想は自分にはよくわからなくて、若木の方が二酸化炭素吸収量が多いという話もありますし、そもそも神宮外苑の歴史的にもこれまで適宜植え替えとかもされてきて「今」があるという話もあるらしい。

この記事でも書きましたが、例えば世界的な自然保護の発想でも、

・いわゆる「ヴィーガン」的な潔癖主義的な発想
vs
・「狩猟という文化」を通じて人間と自然は支え合ってきたし、適切なレベルの狩猟はむしろ人間を含めた生態系の安定化に寄与する

…みたいな2つの『流派』があるじゃないですか。

で、乱開発は良くないにしろ、例えば森の中でバランスが崩れて鹿が増えすぎて植物を食いすぎて枯れてしまう…みたいな時にむしろ「狩猟」によってバランスが取られるみたいな発想だって十分ありえる。

特に日本は、古来から式年遷宮とかがあって、公称1300年の間、20年ごとに「木材」を使って国で最も重要とされる宗教施設を「建て替え」続けてきた文化の伝統があるわけですよね。

だからさっきの話で言えば、「ヴィーガン」型の接し方でなく「狩猟文化の伝統の先の自然との対話」みたいな発想こそが本来「日本らしい」やり方だと言ってもいい。

林業家たちの間では、ただ単に「自然に対して何もしない」よりも「適切に手を入れ続ける」ことによって森が活きるのだ、というような発想もある。

無意味にバカスカ伐採する事は問題だと思いますが、たまたまの歴史的経緯で「そうなっている」木を一本も切ってはいけない!という発想自体がちょっとかなり人工的すぎるんじゃないかと私は感じています。

むしろ、「GHQによって無理やり作られたアマチュア野球場を壊して、イチョウ並木から美術館までまっすぐ続く道を再整備する」「メジャーリーグなどで普及している最新の野球場のコンセプトに合致する新しい神宮球場(いわゆる”ボールパーク化”)」みたいな意味で、「公園の本来のビジョン」に沿った再整備になっている側面も色々とあると思います。

そのあたり、以下のサイトに「事業者側の計画説明」があるので、ぜひ一度ご覧になってみられると良いかと思います。

…という感じの「とりあえずの全体像」をご理解いただいた上で、以下は番組における「典型的なコミュニケーション不全」について考察していきます。

1●「反対派は人の話を聞かない」の見本のようなイコモス石川氏(笑)

YouTubeコメント欄にもかなりありますが、僕の直接の知り合いやSNSフォロワーさんでこの番組を見られた人はこぞって

あの石川さんて女性、キョーレツだったねww

…みたいな事を言っていて苦笑してしまったんですが、司会の松原さんも番組スタッフさんも、ちょっとどう手綱を取っていいか苦労している感じではありました。

ただし!

石川さんは反対派側から提唱されている主要な「対案」のひとつである「イコモス案」を一人で書き上げられた方だそうなので、私は最初のバズった記事で書いた通りイコモス案自体には自分と考えが違うものの一貫したまとまった考えがあることを評価している立場ですから、その意味では信頼して見ていたところがあります。

番組の印象だけで「何あの人?」って思った人も結構いるみたいですが、一応石川さんの中にはまとまった考えがあって、ただああいう場で「簡潔に、かつ対話的に相手の意見を取り入れながら話す」という事はお得意でないタイプの人なんだな、と理解していただければと思います。

ただ、こういう感じで「自分サイドの意見」だけを述べられても採用しようがない切実な事情みたいなのもやっぱり出てくるわけじゃないですか。

私は、イコモス案の良い部分も認めてるし、ただそれを実現するために、「事業者側の事情」も読み解いて、彼ら的にはどこは譲れなくて、逆にどの部分なら譲っていいと考えているか考えるべきだ…みたいな話をしていたわけですよね。(動画12分39秒ごろから…↓以下をクリックすると再生されます)

そういうところで、

「いや、私の案は決して机上の空論とかじゃなくて、実現可能な案ですよ!」

って石川氏が言うから、数百億円とかプランの詳細によっては一千億円以上になるはずの事業費をどうするつもりなのかな?と思って聞いているとほとんどそういう話は出てこない。

こういう感じのまま、石川氏の意見に心酔しているタイプの人(いわゆる”反対派”)の中だけで純粋培養されたビジョンが育っていっても社会に反映できないですよね。

なんか、「東京のマスコミ文脈」みたいな世界だと(YouTubeも大概ですが、次のVTRまでの秒数が眼の前で常にカウントダウンされてるようなテレビよりはマシな事が多いと思う))、こういう時に、

「相手の話を聞かず」にシャットアウトして延々と話し続け、勝手に勝利宣言した方が有利

…みたいな状況ってありますよね。

そこで「この人が話し始めたんだから何かあるんだろう」と思って”傾聴”しはじめたりすると勝手に押し切られて「負け」になっちゃうみたいな(笑)

(まあ今回の場合はあまりに「人の話を聞かずにゴリ押しで話しすぎ」て、少なからぬ視聴者の人から見ても「あんまり理性的な議論じゃないな」という印象になってしまったようではありますけど。)

「現実的な実現方法を考えてある」とは言うけど、「外苑の再開発プランをイコモス案でやる資金をどうするか?」の部分は放置のまま(クラウドファンディングでもすれば?ぐらいの…でもそれでなんとかなる金額じゃないはず)で、とりあえず「内苑の森の維持」については公費でやれるはずだ…という話だけを滔々とする形になっている。

で、石川氏はその「内苑の維持費は公費で出せるはずで先例がある」という話を滔々としているんですが、そりゃ理想像としてはわかるけど、その合意ってメチャクチャ大変そうだし、それがもし出来たとしても外苑の方はそのまま放置されるのでいいの?ていう問題は手つかずのままになってしまっている。

こういうところで、「落とし所を求めて歩み寄っている」ような論調を全拒否にされると、もう事業者側からは取り上げようがなくなるわけじゃないですか。

明治神宮側の売上試算は、番組で取材したところによると私が事前に記事で試算したものよりはそれなりに上ブレしていたので、そこを突いていけば

「何もそんなに高いビルにする必要はないだろう。もう少し低くしてくれたら認めます。それでもあなたがたの事業プランが成り立つようにギリギリの案まで交渉していきましょう」

…という着地点だって全く不可能とは言えないかもしれない。

番組でCM流れてる間の雑談で、「そんなに高いビルじゃなければ建ててもいいと私も思う」って石川氏も言ってたんで、

・事業者側の資金プラン的に非常に重要な"ビルの建設自体”は認める
・そこから生まれる資金を利用してイコモス案の理想の一部も実現していく
・ただし、あまり高層すぎるビルにならないようギリギリの交渉をする

…こういう方向性に持っていくことも考えられる。

ただし、こういうふうに持って行くには、「事業者側の事情も”悪魔化”せずに受け止めてもらえる」という信頼感をどう作っていくかが大事ですよね。

番組で触れられたように、今回の再開発を可能にした規制緩和には結構慌ただしく強引に決められた部分はある。

でも逆に言えば「違法行為」とも言えないレベルの話なわけで、何か法律上の明確な条文をもとに「情報公開しろ」と迫ることもできないし、ある程度は「事業者側にも否定できない正義がある」ことを認めて迎えに行くような態度が前提として必要になってくるはずだと思います。

2●務台議員の『怒り』には意味がある

で、そういう「資金面の工面の仕方」を色々と検討する話を、石川氏が番組で

「いまだにこんな”稚拙な議論”に推移していることに関して私は非常に遺憾を表します」

って切って捨ててるんですが、これについて後で自民党議員の務台氏が怒ってたんですよね。(名刺交換したあとちょっとだけメールのやり取りをした)

”稚拙な議論”とか言いやがった!」

…って怒ってて(まあメールの文面なのでどこまで本気で怒っているのか、冗談めかしているのか判断しづらい感じだったんですが)。

で、僕は、「いわゆる反対派」の人がこういう言葉遣いをするのは慣れっこすぎて麻痺しちゃってて(笑)、最初は「怒りのポイント」がわからなくて務台氏をなだめる返信をしたんですが…

でも「ここの部分」って確かに、怒りを感じる人は怒っていいというか、むしろ「怒るべき」ポイントなのかも?という感じはしないでもないですね。

資金面の手当をするための色んな案を全部「稚拙な議論」として切って捨てた上で石川さんが出したアイデアは、

「内苑の森」の維持費用について、宗教法人であっても公費を出せる”前例”もある

…というだけの話であって、

”外苑”の方の再開発費用(まさに石川氏が主張する”イコモス案”も含めて)については依然として何のプランもなさそう

…ですし、そもそもその石川氏の主張する

「内苑の森の維持費用を公費で出す仕組みづくり」

…ってものからして、実際に実現しようとしたらメチャクチャ揉めるに違いなく、また下手したら10年とか20年とか棚晒しになりかねないプランなわけじゃないですか。

実際「このプランを実現するまで」の困難さも真剣に自分ごととして考えはじめるなら、揉めないように最後まで秘密裏に進めて強引に実現した「今回の再開発事業者側の事情」も「わかるなあ」って気持ちになりそうな感じがします(笑)

3●「明治神宮の事情を迎えに行く」姿勢がないと冷静な議論などできない。

ここで、「神宮球場のフトコロ事情」っていうのが、どれくらいなのか?という話を考えてみましょう。

番組でも取材されていましたが…(39分55秒ぐらいから。以下画像から飛べます)

明治神宮は主に外苑の営利事業(主に神宮球場と結婚式場)の収益から、あの荘厳な「内苑の森」と外苑の公園部分や神宮球場の維持費をまかなっていて、それはざっくり毎年『総売上の1割程度』とされます。

例えば同業の「結婚式場」や「球場運営」の会社に比べて、「その事業に使うコスト」とはほぼ関係ないところで「売上の1割」を『森』の維持費に使い続けるというのは結構たいへんなはずなんですね。(ちなみによく誤解されていますが、宗教法人もこういう営利事業部分では税金を払っています)

例えば「結婚式場」ビジネスの大手テイクアンドギヴ・ニーズ社の営業利益率を見ると10%に届かないことが多いので、まあ明治神宮の結婚式場は条件に恵まれている分TGI社より利益率は高いだろうとしてもその「今年稼いだお金」がだいたいそのまま「森の維持費」に消えているぐらいのイメージ。

とはいえ、この『森』や敷地は大昔に国有地から払い下げられた経緯があるから変な借金とかはほぼないはずで、キャッシュフロー的にいますぐ行き詰まるという感じではないと思います。長年ちょっとずつ累積してきた”貯金”もある可能性もゼロではない。

ただ、例えば神宮球場にしても「とりあえずの耐震工事」はやりましたが、色んな人が指摘しているように基本設計の古さは否めず、今の財務状況のままだと大きなお金をかけて時代に合わせて適切にリニューアルしていって…ということはかなりたいへんそうではある。

それでもし将来、その老朽化が限界を迎えてスワローズが別の球場に出ていってしまったりすると途端に非常に苦しくなってしまう。

結果として、今回のプランで南西部に高層ビルを建てさせて、「空中権取引」によって再開発費用を捻出し、三井不動産への借地権代によって「安定した収入基盤」を作り出す…というプランで、色々と将来の懸念への対策を盤石にしておきたい、と考えるのは無理もない。

「だいたいそういう感じの状況」↑なのをまず理解してほしいんですね。

で、「明治神宮が洗いざらい財務を公開して議論するべき」っていうのは正論なんですが、もし公開されたからといって、「合意」が取れるかっていうと別問題なんですよ。

「こうやってこうやってギリギリに切り詰めたらなんとかなるじゃないか」という論法のネタにされる可能性も十分ある。(というか絶対そうなる)

実際、「将来への投資の原資」みたいなものがゼロで良ければ現状のままだって当分はなんとかなる。

そりゃ直近はなんとかなる。なんとかなるけど…それじゃやっぱり困るじゃない?っていう微妙なラインの問題を適切に扱っていけるかどうか?

明治神宮はもっと説明しろって言ってる人たちは、こういう微妙な問題↑について、ちゃんとフェアに議論できる環境を自分たちは用意できるかどうか?について真剣に考えるべきなんだと思います。

なぜならそこを「踏み荒らされたくない」と思っている明治神宮側の事情は、そのままあの「荘厳な内苑の森を守りたい」という責任感そのものだったりするからです。

ある種の「紅衛兵」型の熱情に晒されて、「森の維持費なんかよりもっと大事なカネの使い道があるだろう」とか言ってスッテンテンにされて、結局そのうち森や公園の維持費が出せなくなる方向に追い込まれる可能性だって十分にある。

イコモスの石川氏は番組の印象とは違って「イコモス案」の中では結構柔軟に条件を考慮する能力がある人だとお見受けしたので、その「石川氏ご本人」と「事業者側」と明治神宮だけがクローズドな場で正直に問題を話し合えれば、適切な落とし所が見つかる可能性はあると思います。

先程言った、「ビルを建てるのは資金的に最も譲れない部分」として「容認」してやるが、その分そのカネを使って緑化もバンバンやり、さらに「ちゃんと経営が成り立つギリギリのところまでビルを低くする交渉をする」みたいな感じですね。

ただ、そういう「事情を理解できる層だけでグリップする」世界の外側から、とにかく「あらゆる社会と人生への鬱屈」みたいなのを吸い込んで大きくなる反対運動みたいなものに踏み荒らされてしまうと、大事な『森』の維持すら難しくなりかねない。

だから結局、石川氏の意見みたいなのも「門前払い」的な対応をせざるを得なくなってしまう。

「デリケートな問題」をちゃんと「デリケートに扱う」ことをやっていかないと、事業者側としてはある程度「押し切っていく」しかなくなってしまう状況にあるんだ、という理解が必要なのだと私は考えています。

4●「理想の民主主義的議論」とはどうすれば実現するのか?

番組内でこういう話が盛り上がる中で、出演されていたニュース解説者の堤伸輔氏が、CMに入っている間のスタジオで、

いくら「徹底的に悪いように言う」人たちがいても、それでも事情をすべてオープンにして議論し、その上で合意を取り付けて実現していくのが民主主義なんだ

…みたいな事を言われていて、

「めっちゃ正論!」

…とは思いました。思いましたが、

だってそれが全然できない環境にあるから現状こうなってるのに、そんな正論言ってるだけでいいわけないじゃん

…とも強く思いました。

特に私が非常にアンフェアだと感じるのが、例えばこういう番組の冒頭で、故・坂本龍一氏とか、村上春樹氏とか、海外のイコモスの人がよってたかって「いかに邪悪な計画か」みたいな話をするじゃないですか。

でもね、「そのイメージ」って本当にこの事業者側のプランに対して適切な扱いなのか?ってことなんですよ。

さっきも書いたように「ものすごくデリケートな問題」がここにはあって、そして明治神宮や事業者側にも、決して譲れない「正義」や「責任感」があった上でこうなっている問題なわけですよ。

どうやったら「あの荘厳な内苑の森の維持費を安定的に出していけるか」と考えてそれなりにバランスの取れたプランを10年かけて作ってきた人たちに対して、

「目先の経済的利益のために、先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にするべきではありません」

…とか言われたら「はあ?」ってなりますよ。

じゃあお前が年間10億円の安定的な捻出方法考えろやって話になるでしょ?

「そんなの、公費で出すようにすればいいじゃないか」って言うのは簡単だけど、それ本当に実現する気あるんですか?メチャクチャ揉めると思いますけど粘り強くちゃんと”合意”まで持っていく気あるんですか?って話で。

そこで、「明治神宮側の持っている切実さ」と同じ目線で考えていく姿勢があるのかどうか。

ここまで書いてきたように、事業者側にも、「内苑の森をどう守るか」という切実な責任感はあるし、実際に作成されたプランも、ビルは建つにしても森を潰して建てるわけじゃなく既に現状でも建物が建ってるところに建てますし、そもそも全体として「緑地面積は増える」ぐらいの設計になっている。

何も金儲けのためにブルドーザーでバリバリ色んな緑を壊して建てるような計画ではない。

そこを、いきなり「自分たちが完全な正義」「事業者は悪」という姿勢で断罪から入るようなトーンで、しかも著名人や海外の団体のネームバリューを利用して「圧力」をかけるような方法が、本当に「対等な対話」として正しいやり方なのか?真剣に考えるべき時が来ていると思います。

ここにある「問題の本質」は何かというと、日本という「非欧米」の「欧米から見た辺境」における社会において、「欧米という完璧な光源」を理想化した状態で「断罪」から入ると、その「ローカル社会の本当の事情」をキチンとすくい上げられなくなってしまうという問題なんですね。

もしニューヨークのセントラルパークのような「欧米の内側」の再開発が行われるとして、「既に建っている建物の部分の建て替え」を行い、かつ「緑地面積は増える」ようなレベルの案が提案された時に、番組で出てきたイコモス本部の人みたいに

こんなことは信じられません、即刻停止してください

…みたいな高圧的なメッセージが発されると思いますか?

もっと解像度高く事業者側のプランも精査した上で、妥結点を探るような議論がなされるはずです。

こういうのは欧米文明中心の「差別意識」なんですよ。極東のローカルな事情なんかは適当に「善悪二元論」で断罪しちゃってもいいだろうというような慢心がここにはある。

そこで「事業者側の事情」も迎えに行ってテーブルに載せるようなフェアな議論の土台がないから、事業者側も押し切らなくちゃいけなくなる。

これはまさに、過去百数十年の人類の歴史の中で、「欧米から見た辺境」において何らかの「強権的な政体」が生まれてしまい、復讐しにきてしまう・・・という「根本問題」そのものが露呈しているんですよね。

5●「欧米から見た辺境」で強権が生み出されるメカニズム自体に向き合う事が必要な時代

今月はじめに、以下記事で紹介した一橋大学の橋本先生と対談してきたんですね。

橋本先生は、今年6月に「改正入管法」が通った時に、少しでも制度のハザマで不幸になる人を減らそうとして、政府与党側とも協議して実際に多くの人を救える可能性がある「修正案」を作っていたんですけど…

その修正案を「少しの妥協も許さない左派」が『裏切り者』だということで糾弾しまくって潰してしまった結果、当初の「最もタカ派の法案」がそのまま通ってしまったらしい。

まさに、

「理想と現実をすり合わせよう」と地道な苦労をする人が、「理想像に引きこもる人」に裏切り者扱いされて潰されてしまい、結局「最も保守派寄り」のムーブメントが現実を差配し続けてしまうというここ10年の日本社会あるある

…なんですが、こういう典型例↑を本当に超えていかないと、日本社会に「リベラル的な良心」は決して実現していかない。

今回の神宮外苑の話でも、「事業者や明治神宮を悪魔化」して、「完全なる善の自分たち」と「悪辣な金儲け主義」の間の聖戦…みたいになっているだけではその意見を取り入れる事はできない、というのと一緒ですね。

で、その橋本先生と対談してた時に出たのは、

「たとえ北欧だろうと移民枠の扱いについての法的に地道な条件闘争は常に行われているし、”移民に自国文化に慣れてもらう統合策”みたいなものをちゃんとやらなかった国では極右政党の勢いが止められなくなって大変な事になっている」

っていう話だったんですよね。

移民に対して「腫れ物に触るように優しい扱い」だったスウェーデンやフィンランド、デンマークなどでは極右政党の勢いが止められなくなってきているけど、「ちゃんとこの国に馴染んで納税してください。言葉もちゃんと覚えてください」という方向で統合策を徹底してやったノルウェーでは極右政党の勢いを抑え込めているらしい。

また、スウェーデンの移民枠も、「理想主義がそのままスルリと通っている」わけではなく、毎年バチバチの条件闘争をした上で、あと10人、あと100人をどうするかというレベルで決着していってるのが現実だとか。

つまり、欧米だってどこでも「難しい現実」と「理想」をすり合わせようと日々奮闘している人がいるってことなんですよ。「理想が理想のまま単純に通っている国」などどこにもない。

でも、日本だと、

「現実問題とすり合わせを行う必要がありますよね」

…という話に対して、

「完全に理想化された幻想の中の欧米の像」を持ち込んで徹底的に最後まで反対だけをするムーブメント

…が止められなくなるモラルハザードが放置されがちなんですよね。

「そんな稚拙な議論にとどまっている事は遺憾です」&「公費を入れる前例があるんだからやればいいじゃないですか」

って放言してしまうだけで、そのプランでは事業費のほんの一部しか出せないことや、だいたい公費を入れる合意を作ることですら10年20年かかるような大変難しい政治的課題であることは無視したままになってしまう。

こういう「完全な理想像としての欧米という唯一の光源」を前提として議論している時点で、非欧米のローカル社会の「本当の実情」を適切に扱うことはできないんですよ。

21世紀は、人類社会のGDPにおける「欧米」の割合が急激に減少していく時代で、いまや世界の半分から「欧米的理想」自体が全拒否にされてしまいかねない状況にまでなってるわけですよね。

だからこそ、20世紀後半にあったような「欧米の存在感」が人類社会全体を圧倒していた時代のように、「欧米が持ってる幻想含みの理想」を徹底的に押し込んで、「お前たちは遅れてるし間違ってる」という論法を用いること自体がもう限界が来ているし、そもそも逆効果になりつつあるんですよね。

「欧米からの借り物の理想」を押し込むだけで「現実問題の細部」に向き合う気はないムーブメントがあまりに大きくなってしまうと、「保守派の強権」的なもので埋め合わさないと現実の細部をその社会が扱えなくなってしまう。

中国やロシアやその他ありとあらゆる「欧米の理想に反旗を翻しつつある存在」が人類社会の半分を占めつつある今の時代には、それでも「欧米的な理想を捨てたくない」ならば、むしろ徹底して「非欧米側のローカル社会の事情」を迎えに行って、同じ目線で考える必要が生まれているんですね。

明治神宮側が抱えている事情に対して、反対派が

「同じレベルの切実さを持って一緒に考える姿勢」

…を持つつもりがないなら、この事業は「ちゃんと考えて80点ぐらいは取れている現行案」で押し切ってしまうことが”正義”だと私は考えています。

「公費を入れればいいじゃない、それをやらないなんて稚拙だ」と言うだけなくてちゃんと必死にそれが実現するように「働きかける」ところまでやるかどうか、そういう「覚悟」が問われているんですよ。

そこで「現実の事情を司っている人たち」を「悪魔化」してしまうようなムーブメントじゃない、「非欧米側のローカル社会の事情」と「欧米由来の概念的な理想」とを”完全に対等に扱って”すり合わせていく新しいムーブメントこそが、今「ほんとうの民主主義」をやるなら絶対必要なんですね。

なぜなら、それがなければ、もうそういう欧米的理想自体が、人類社会の半分から全拒否にされてしまいかねない状況になっているからです。

6●本当に「多様な意見」が盛り込まれる社会にどうすればできるのか?

「内苑の森」の維持費年間約10億円を公費負担するっていうのは、あの規模の森が都心にある便益を考えたら十分妥当な案だとは思います(合意形成は下手したら今回の再開発の合意以上にメチャクチャ大変だと思いますけど)

ただ、じゃあとりあえず神宮内苑だけで考えるとそれでいいかもしれないけど、外苑自体の設備更新をどうするのかとか、他の問題は放置されたままになっちゃうわけですよね。

番組の最後の方で話しましたけど、こういう「事業者側の儲け話を噛ませる事で公的なインフラを作らせる」プロセスは、今後日本のあちこちで出てくるはずなんですよね。(55分03秒以後〜以下画像をクリックすると再生されます)

高度経済成長期にあちこちで建てた色んなものがメンテや建て替えが必要になって、それを人口減少期の日本が全部公費や寄付だけで賄うには無理がある。

だから今回のような事業プランはあちこちに出てくる。

だからそういう時に、「事業者側の事業欲」は、「悪辣な金儲け話」というよりも、『私たち日本社会が抱えている切実な事情の顕現』なんですよ。

そこで「事業者側にも譲れない正義がある」という前提で「メタ正義」的に取り込みつつ、色んな「多様な理想」を盛り込んでいくことがこれから絶対必要になってくる。

…とか言うと、凄い「資本主義の悪魔に膝を屈しろというのか!」みたいな話に聞こえるかもしれないけど(笑)、でも例えば、今回の神宮外苑再開発のスキームと同じ手法で、東京駅の保存プロジェクトは実現してるんですよ。

東京駅の丸の内側の表玄関みたいなのがそのまま保全されたことは良かったですよね?ライトアップもされて大事な観光スポットみたいになっている。

でもあの「駅舎保存プロジェクト」は、今回の神宮外苑の話と全く同じ「空中権取引」によって、500億とかそれぐらいの金銭をひねり出すことで実現しているんですよ。

だから、そういう「事業者側の事情」を反対派側が迎えにいけば、色んな可能性が開けるってことなんですね。

逆に「事業者側の事情」を理解せずにただ全押しに反対しているだけでは、社会的にはそれを押し切らざるを得なくなってしまう。

それが問題になるのは、今回の神宮外苑再開発は「まあまあ良識的なプラン」になってるけど、今後はそういうのばっかりじゃないってことなんですよ。

もっと悪辣な「再開発ありき」の案件だって今後必ず出てくる。

そういう時に、「事業者側の事情」をちゃんと理解せずに散発的に「いつもの調子」で反対しているだけでは、それを止めることができなくなってしまう。

端的に言うと「カモ」られますよ。

頭から「悪魔扱い」してないで、「どういう構造なのか」を迎えに行ってこそ、「お前そのビルそこまで高くなくても成り立つやろ」「もっと緑化にカネ使わんかい。出せるはずやろ」みたいな「噛み合った交渉」が可能になる。

「事業者側の事情」も「メタ正義」的に取り込むことによってのみ、「多様な意見」を細かく反映していける情勢が初めて生まれるんですね。

この記事冒頭で書いたように、「東京の再開発」がワンパターンになりがちだと私も不満なんですが、それでも結構いくつか「これは良いな」って思ってるものは結構あるんですね。

例えば『新宿歌舞伎町タワー』の、「サイバーパンク2077」的に奇想天外な感じは凄いいいなと思うし、一部で凄い評判の悪い渋谷の「ミヤシタパーク」も、屋上のスケボーパークで色んな肌の色の子どもたちがお互いを認め合ってスケートで遊んでるの見たら「これはこれで新しい渋谷の文化なのでは」みたいな気持ちになりました。

今回の再開発の新しい神宮球場も、結局どうなるか誰も触れてないですけど(笑)、MLBファンに評判の高いサンディエゴのペトコパークのコンセプトに習って、大きく取られた芝生広場からも野球場の内部を観戦できるような斬新なボールパーク構想になっているらしいです。

そういうふうに「色んな新しい血」を入れることでそこに新しい「文化」が生まれていくことっていうのは明らかにあるはずが、こういう再開発の「典型的な反対派」の人はやたら「ワンパターンな懐古主義」的になりすぎてしまいがちな問題はあるなと私は感じています。

そして、その「典型的なデベロッパーの文化」vs「典型的な”再開発反対運動の文化」の対立が激しすぎて、その他の「多様なビジョンやアイデア」が取り入れられなくギクシャク関係になってしまうのが一番良くない。

イコモス案も、敷地真ん中あたりにビオトープ的に生態系ごと残すような徹底した緑化構想みたいな話が入っていて、そういう部分は最終的に盛り込めたらいいのになあ、と私は思っていました。

「典型的なデベロッパーの文化」vs「典型的な”再開発反対運動”の文化」というアナクロな構図じゃなくて、そこに、

・「ミヤシタパークの屋上のスケボーリンクを作った文化」
・「歌舞伎町タワーの奇想天外なコンセプトを作った文化」
・メジャーリーグの「ボールパーク」構想のような新しい発想を取り入れる文化
・最新の生態系に関する学問的理解を取り入れた徹底的な緑化構想

…こういう多様な「文化のモトダネ」を、いかにスムーズに取り入れていけるか?がこれから大事になっていくでしょう。

(もちろん、東京駅保全プロジェクトが成功したように、「典型的な保全運動」みたいなものも、それらの多様な方向性のうちの”一つの案”として取り入れるべき時はあると思います。)

「現行案」は、個人的には「まあ悪くない、80点のアイデア」だと思うんですよね。『まあ妥当ですね』という言葉がめっちゃ当てはまる(笑)

でもそこから「もっと尖ったアイデア」をどんどん盛り込んで行くには、「事業者側の一番譲れない事情」自体はある程度尊重されるという信頼感ができないと、「同じテーブルに座って忌憚なく意見を出し合う」みたいな事は不可能なんですよ。

個人的には、

「ビルを建てるのは容認する。ただしそのカネを使って、敷地内で徹底的に「緑が増える」ような形にする。その緑の維持方法も、最先端の生態学とか環境学の知見を動員し、生態系ごと完全に保全されたようなものにする。人がそこを通ったときに「めっちゃ緑やん!!」という印象になるぐらいにするゾーンを作る」

…という方向性であってくれたらなあ、と思っています。

「イコモス案の良い部分」を、「事業者側の事情」とすり合わせて全部のせにできたらいいのに、ってことですね。

でもこういうのは、「事業者側の事情も無碍に否定しない」という信頼関係を作っていかないと、こういう「双方向にアイデアが積み重なる」方向にはいけないんですよね。

なんせ別に「違法行為」をしてるわけじゃないわけなので。

「10年かけてここまで来たプロジェクト」に対する敬意を持って、その上で「メタ正義的に議論」できる環境をいかに作っていけるかが大事です。

「目先の経済的利益のために、先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にするべきではありません」

…みたいなナルシスティックなトーンで慨嘆してるだけじゃダメ。「相手の側にもある正義」を迎えに行くようにしないと。

番組の最後にメッセージを、って振られた時に私が話したような「脳内関西人を召喚する」ようなモードがないと、「本当のクリエイティブな双方向の対話」は不可能なんだってことなんですね。(1:01:09あたりから。以下画像をクリックすると飛びます)

●終わりに

この問題の「すれ違い方」は、結構今の日本が抱える問題の典型例的なところがあるなと思っています。

「日本社会側が抱えている事情」とちゃんと向き合わずに、なんか「かっこいい反対運動」「黙らされないぞ!的な運動」が非妥協的に盛り上がってしまっても、決して社会が採用していけない。

とはいえ、さっき書いた一橋大学の橋本先生との対談みたいな話

(既に「対談の前半記事↓」はアップされています!ぜひどうぞ!)

https://finders.me/articles.php?id=782


…や、

この記事↑で書いたような流れで、「20世紀型のリベラル運動」とは違う形で、「両側の事情をいかに吸い上げて形にできるかが大事なんだ」という機運は高まってきていると思います。

ただまあ正直言って、今の「反対派の人のタイプ」の人には、そのままその道を進んでもらうしかない感じではあります。人間、得意不得意がありますからね。

で、実際にそういう「とにかく反対する」圧力によって、神宮外苑の事業も当初案より建てる建物がチラホラ減ったり、樹木の保全計画が追加されたりしてるんですよね。

そういう部分では、「いわゆる反対派」の人はそのまま頑張ってもらう意味もあるかもしれない。

ただし、そういうモードでは、結局「あるレベル以上に相互にアイデアを持ち寄って練り上げる」ようなことは決してできないので、「反対派の意見をちょこっと取り入れた、まあまあ妥当な案」で決着するという不完全燃焼が今後も続いてしまう。

そこに「新しいリベラルのあり方」を浸透していけるか?がチャレンジとしてあって、それは「今の反対派の人たち」に「そうしろ」というより、そういう問題意識を持っている有志がちゃんと声をアゲていくことが必要ということなのかなと思います。

上記の橋本先生は、入管法改正案関連での立ち回りによって、「徹底的に非妥協路線の人々」の友達を結構失ってしまったとおっしゃっていたんですが(笑)

でもその分、例えば僕のようなタイプの人と関係ができて、一緒にウェブメディアに記事を出すような運動ができているのは「良い移り変わり」だと感じるみたいなことをおっしゃっていて、それは本当に嬉しいことだなと思いました。

そうやって仲間を募っていって、「新しいリベラルのあり方」をメインストリームにしていければいいですね。

橋本先生って、元国連職員で、スリランカみたいな紛争地における現場経験も豊富、かつオックスフォード大学出ててPh.D…という「最強の実務派教員」みたいな経歴の方ですけど、そういう「本当に現場を知ってる人」は、「欧米がバラ色とも思ってない」し、「理想を押し付けずに現実的に一歩ずつ動かしていく方法」を知っているところがあるなと思います。

特に、「第三世界」の経験が豊富な人は、「欧米基準」から見て「非欧米社会」に「悪」に見えるものがあった時にも、単に断罪するのではなくその「理由」に遡って理想をいかに浸透させていけるかを考える深みがあって、21世紀の今後最も必要な資質は「まさにそれ」だと私は感じています。

日本社会が抱える特有の問題に向き合うことなく、「ほんと時代遅れのクズどもの国家だわ!」とか騒ぐだけだと、本当に社会は変えていけないわけなので。

「逆側の人たちの事情」「保守派側の人たちの事情」「事業者側の事情」「欧米視点で見た時に”許されざる悪”に見えてしまうナニカが持つ事情」ごとフェアに全部テーブルの上にあげて、その上で解決していく「メタ正義的視点」を定着させていきましょう。

そうすれば、今は「とにかく日本は欧米から見てあらゆる部分が狂ってる」みたいな形に見えている人たちの「気持ち」も吸い上げられるようになるし、「万世一系培われてきた我らが文化の継続性を守るべき」という人たちの「気持ち」も吸い上げられる情勢になる。

そうすることによってのみ、人類社会の「半分」から徹底的に拒否されつつある「欧米由来の理想」を、ちゃんと人類社会80億人に丁寧に普及させていく道筋も見えてくるでしょう。

その旗を振るのが我々日本人のこれからの使命です。

そういうビジョンについて、政治的に大きなな視点から、私の中小企業クライアントで10年で150万円給与を引き上げられた話のようなミクロな視点まで往復しながら説明した、以下の本などをお読みいただければと思います。

日本人のための議論と対話の教科書

長い記事をここまで読んでいただきありがとうございました。

ここ以後は、東京の、特に「メディア」を渦巻く「ある空気」について考えたいと思っています。

なんか、僕のクライアント企業は色んな経緯があって中京地区が多いんですよね。だから僕の「ビジネスコミュニケーション」のタイプはかなり「中京地区の文化」にチューニングされているところがある。

そういうフィーリングのまま、「東京のメディア」に出る体験をして思ったんですけど、

みんな人の話聞かねえな!!!(笑)

っていう感じが!!!

中京地区だと、むしろガツガツ自己主張すると嫌がられるところもあるというか、ガツガツ噛み込まなくても、自分に言いたいことがあったら自然に自分が発言する場面は回ってくるみたいな感じがあるなと思うんですよ。

だからとりあえず「傾聴」して相手の意を尽くしてもらえば、その上で自分の意見を載せられるタイミングが来るはず・・・というフィーリングが私には染み付いていたんですけど…(もちろん自然にそれをアピールして発言の順番を確保する特有のテクニック的なものはあるんだと思いますが)

それが、なんか、TBSの楽屋で石川氏と務台氏と名刺交換した時に、みんな「ぶわ〜」って自分の言いたいことばっかり言っていってあんまり人の話聞いてない感じなのは面食らったんですよね。

「うわ、こりゃヤバい。いつもみたいに譲ってたら俺が話す場面ゼロになるやんか」と思って、それで本番はある程度必死に「どんどん噛みこんでいこう」と思っていたところがあります。

それが成功したかはわかりませんが、普段以上に「東京のメディア空間」というものを成り立たせている「バチバチの生存競争」みたいなものの空気をめっちゃ感じたんですよね。

例えば「イケてる」っていう言葉があまり自分は好きじゃなくて、その『本当の意味』をあまり理解せずに来たところがあったんですが、ああいう「場」で、ちゃんと「自分を押し通せているかどうか」みたいな基準が「イケてる・イケてない」的なジャッジに直結するようなところがあるなとか。

あと、「弱者男性論壇」みたいなネットの気分も自分はあまり実感として持ててなかったんですが、その「イケてる・イケてない」みたいなジャッジによって「扱い」がめっちゃ変わる都市が「東京」なんじゃないか、みたいな事も感じて、そのへんで長年謎だった「SNSのある特定の気分」の意味を凄い理解したようなところがあったんですよね。

ただ、そういう「イケてる・イケてない」的な基準が凄い重要な東京という街の構造が、「単純なイデオロギーだけでは押し切ることが決してできないニュアンスの豊かさ」を生み出している面も確実にあるなとも思うんですよね。

そのあたりの、「東京という街」の厳しさと優しさ、あるいは「東京発のメディア内における言論のあり方」の特殊性の本質とは何か?みたいな話を以下では書きます。


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また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

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