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明治神宮外苑再開発に私が”賛成”する理由

(お知らせ)

この記事は、書いて半年以上たってからも延々とアクセスされ続けているんですが、あまりに広く読まれた事もあって最近TBSの討論番組に呼ばれてお話してきました。

その時の内容について、番組のYouTubeリンクも合わせて解説している記事を追記しましたので、ご興味があれば以下リンクからお読みいただければと思います。

(以下、もともとの記事本文が続きます)



故・坂本龍一氏も熱心に活動していたという「明治神宮外苑再開発反対運動」が佳境を迎えています。2024年の着工に向けて既に準備工事が始まりつつあるからです。既に先月22日に、準備工事としての神宮第二球場の解体がはじまりました。

私は何年か前にこの話題が紛糾し始めていた頃には、「何このサイテーな再開発事業!小手先の儲け主義も大概にしろよ!ふざけんなマジで脳みそ腐ってるのか!」ってぐらい怒りを感じていたんですが、ある程度現行のプランを理解してみると、

まあまあちゃんと考えられた良識的プランといえるのではないか

…という印象に変わりました。

多分、ネットでなんとなく反対している人の多くは「なぜ現行のプランがこうなっているのか」を理解していない人がかなり多いと思うので、まずはそれを理解してから賛否を考えてほしいと思って、その内容についてまず書きます。

一方で、反対派が代替案として示している「イコモス案」というのがあるんですが、これも私はちゃんと読んだ上で、

現行案よりもこちらが理想だと考える人達の気持ちは理解できるし、難しい現実と粘り強く向き合う意志が本当にあるなら実現不可能ではないかも?

…とは考えています。

ただし、このイコモス案を実現する上での困難がどこにあるのかを、イコモス案推しの人(現行案への反対派)の人は全然わかっていない人が多くて、結果としてあまりにも議論が噛みあっていない状況になっています。

あなたが神宮外苑再開発に反対で、本当に「イコモス案」を実現したいと思うのならば、

A・まず「現行案」が策定されて支持されている理由を理解する
B・「イコモス案」の実行上の課題がどこにあるのかを理解する
C・「イコモス案」の実行上の課題を解決できる方法を考える

…の三点が必要なはずですね?

故・坂本龍一氏も、「単に無理やりなんでも反対だという事ではなく、色々な事情があるのはわかっているが、それでも一つずつ解決して何か別の方法が考えられるのではないか?という話がしたいのです」…というような趣旨の話をされていたはずです。

まさにそういう精神で、今この問題の「どこ」がすれ違っているのか、について整理する記事を書きます。

この話題を深堀りしながら、昨今の日本の政治的分断化を乗り越えて、「お互いにとって良い着地点」を見出していくための議論の方法について提案する記事になっています。

(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)

追記なんですが、今物凄くこの記事がバズって色んなご意見が飛んできていて、その中にはかなり真剣にこの問題に取り組んでこられたグループの方からの細部の事実関係のご批判も少なからずありました。丁寧なご指摘ありがとうございます。

「反対派は内苑と間違えたりしない!」というお怒りのコメントも結構ありましたが、それについては今この記事がバズってる中で「俺も内苑の森だと思っていた」というコメントが大量に寄せられている事をみれば、「いやいやそういう人いっぱいいるんですよ」という話ではあります。

そういう「なんとなく反対」の人向けの記事だったのですが、一方で、時間をかけてこの問題を掘り下げてこられた方からすると細部の事実関係に異議のある記事だったことをお詫びします。

ご指摘をいただいた点については既にこの記事に反映しました。

また、追記するだけでなくまとまった追加の考察が必要になった部分と、私の側のメッセージとして変わらず伝えたいメッセージについては”後編記事”を別に書きましたのでそちらをお読みいただければと思います。

1●再開発されるのはあの『内苑の森』ではない

まず、ちょっとバカバカしいほど基本的な事柄が誤解されている印象があるので確認したいのですが、

再開発されるのはあの『内苑の森』ではありません。

…え?そうなの?ってなってから、私のこの計画に反対する怒りのボルテージは正直100分の1ぐらいになりました。

反対派の作ってるネット記事やウェブサイトには、時々あの『内苑の森』が映った空中写真とかが使われている時があって、意図的に誤認させようとしている人が結構いるのではないかと疑っています。

あと、例えば「先人たちが守り育ててきた”神宮の森”を守れ」というようなキャッチフレーズも、明らかにあの『内苑の森』を連想させるようミスリードしているとしか思えないところがある。

ご存知『内苑の森』は、明治・大正期日本が持つ深謀遠慮の塊のような記念碑的自然で、原宿駅や代々木駅などから明治神宮本殿まで歩いた事がある人は、都会の真ん中にこんな鬱蒼とした神秘の森があることに畏敬の念を抱いた事があるはずです。

明治神宮が作ってる動画↓でもその背後にある人々の思いが伝わってきます。

特に動画の3分ごろからを見てほしいのですが、当時一流の林学者が集まって全国の神社林を調査し、政治家がパッとした思いつきで「伊勢みたいな針葉樹林がいい」という意見を撤回させ、東京の気候を分析した上で50年後、100年後を見越して成長し入れ替わっていくような植生を選びぬいて作られています。

で、私は最初、

「あの内苑の森の木を切って、変なショッピングモールみたいなのを作る計画」

…なんだと思って、脳みそ狂ってるのか!ってぐらい激怒してたんですけど、そうじゃないんですね。

バカバカしいぐらい基礎的なことですけど、SNSでこの問題について紛糾しているのを見ている人のうちかなりの部分は「この時点で既に誤解」している人が結構いると思います。(その証拠にこの記事がバズってから”私もそこを誤解して反対していた”という感想は既に大量にいただいています)

私はむしろ、今回の計画はあの広大な内苑の森の維持費が明治神宮にのしかかっている事情を解決する策でもある…と知ってからは、「まあ妥当な案なのでは?」という気持ちになりました。

2●神宮外苑再開発が現行プランになっている理由

では次に、神宮外苑再開発が現行プランになっている理由について解説します。

ここではざっくり述べますが、詳しい話を知りたければ以下記事などを読むといいです。

実は、明治神宮内苑と、外苑のうちの多くの部分(66.2%)は、宗教法人である明治神宮の「私有地」なんですね。

外苑にある施設群の多く(神宮球場、軟式野球場、テニス場など)も全て明治神宮の管轄です。(秩父宮ラグビー場などは違うのだとご指摘いただきました)

ウィキペディアに載っている2016年の週刊ダイヤモンドの報道によると、明治神宮の賽銭や玉串料などの「神社としての収益」は全体の12%程度でしかなく、結婚式場などで15億円程度、外苑のスポーツ施設で60億円程度収益をあげて維持費を捻出しているらしい。めちゃ単純に計算すると60億+15億=75億が総売上の88%ということなので、総売上85.2億円(2016年)という事になります。利益率とかはわかりません。

で、ここでの大問題は、

・神宮球場や秩父宮ラグビー場は耐震問題などがあって建て替えが必須(望ましい)
・明治神宮は宗教法人なので、公金が一切入れられない。

…ということなんですよ。(→一部の人は「建て替えをしないプラン」を推しているというご指摘がありましたので、それに対しての別立ての考察は後編をお読みください)

この「宗教施設には公金が入れられない」という問題は、想像以上にかなり厳密な運用がなされているらしく、災害復旧などでも同じ論理が適用されることで宗教施設が取り残される例などが出ているらしいです。(→これも例外がありうるというご指摘がありましたが、基本的にはそういう運用になっているわけで、それを超える解決策を出すのなら明治神宮側の懸念を迎えに行くようなメッセージの出し方が必要だったのではと思います。それも後編で考察します。)

もともと、広大な内苑・外苑全体の公園としての維持費をイチ宗教団体が担うこと自体が無理がある構造だと関係者が述べていて、毎年の売上(利益ではない)が85億円程度の明治神宮には、総工費3000億円以上もの再開発費用は到底負担できない。(→この工費は再開発をせず簡素化すればもっと安くなるというご指摘はもっともですが、それについても後編をお読みください)

で、結果として出てきたのが、南側に建っている伊藤忠商事本社ビル建て替えも巻き込んで、さらに三井不動産の再開発事業と絡めることで資金を捻出する現行案ということになります。

細かいスキームは公開されていないのでわかりませんが、おそらく

・三井不動産が明治神宮へ借地権代を払ってビルを建ててそこでホテル運営をする

…というのが基本で、さらにこのダイヤモンド・オンラインの記事では、

・”空中権取引”という制度を使って三井不・伊藤忠から明治神宮へ資金が流れる仕組みがある(有料記事なので詳細はここで述べませんが建て替え資金のかなりの部分がここから生み出される仕組みになっている模様)

…とされています。

「空中権取引」とは、単純にいうとその取引によって外苑部分が使用していない「容積率を移転」することで、三井不動産や伊藤忠商事が本来よりも容積率の大きいビルを建てられるようになる取引です。

ダイヤモンド・オンラインの記事では「銭ゲバの明治神宮」みたいな印象の書きぶりですけど(笑)、建て替えが必要なのは明らかなのに公金も入れられないという大問題がある中、なんとか資金繰りの目処をたてようと関係者が知恵を絞って頑張ってきた結果が現行案だというように私には見えます。

(このあたり、明治神宮の財政について公開されていないのが問題だとか、そもそもこのプランは東京都側が発案で明治神宮は後から乗ったのだというご指摘がありましたが、明治神宮の財政については先程の売上と後述する森林管理費試算だけでも厳しいことは推察されますし、例え最初の発案が東京都側であったとしても、これほど大きなプランに乗っかる意味はそういう事情があってこそだという話は間違っていないと思います。そのあたり、後述のイコモス案原文から抜粋した文章にもある通りです。ただこれに限らず全体として情報公開が非常に乏しい状態にあるというのは否定できないと私も思いますが、これも”公開したら絶対曲解されて有る事無い事悪く言われるに違いない”と警戒するのも一種当然かもと思えてしまうような言論環境が放置されている部分から解決していくべき課題だと考えます。それについても後編で詳しく書いていますのでお読みください。

3●「事情は全部テーブルの上にあげて、賛成派も反対派も同じ目線で考えるべき」

さて、ここまでで、

A・まず「現行案」が策定されて支持されている理由を理解する

…がとりあえずできたかと思います。

賛成するにしても反対するにしても、ちゃんと「事情」を理解した上でやるべきだと思うんですよね。

個人的にはここまで把握した段階で、

「まあまあ色々と考えて作られた案なのでは?」

…という印象になりました。

読者のあなたはどういう印象を持ったでしょうか?

私は最初あの「内苑の森」が切られて変なショッピングモールになるのかと思っていた時にはマジでふざけんなよと思っていましたが、かなり印象が変わりました。

あの「圧倒的な内苑の森」に比べれば、外苑の方の樹木は言ってみれば「豪華な街路樹」程度の存在に個人的には思えますし、あのアイコニックな「イチョウ並木」は残ります。(ただし、建物が木に結構近い位置にまで張り出してくるので、それが樹木に悪影響を与えるのでは?という反対派の懸念が提出されて議論されてはいるようです)

それに、「建て替えが必要な設備の数」といったプロジェクトの大きさを考えると、正直言って「ここの部分の木を切るだけでいいの?」という印象を個人的には持つぐらいには配慮されていると思いました。

ただ、そりゃもちろん木を切る数が少ない方がいいし、ビルの近くになることで樹木に悪影響があるかも?などといった指摘がなされるのもわかる。

というわけで次は、反対派が掲げている「イコモス案」というのを見てみましょう。

4●『イコモス案』は案外とても良いと思う理由。

日本イコモス(いわゆる”世界遺産”に関連する業務を行っている団体らしい)が、神宮外苑再開発の代替案を発表しているんですね。

こちらにPDFファイルがあります。

読んでみての私の感想は、

「SNSで見る反対派の意見」に比べると何倍も良い提案だ

…というものです。

特に良いのは、「明治神宮が現行案を採用しないといけなかった理由」をちゃんと理解した上で提案する姿勢があることです。

イコモス案の中ではざっくりと今の神宮内苑・外苑の森林管理費用は毎年10億5000万円程度かかっているだろうと試算しており、さっきの明治神宮の年間総”売上”85億円という話からいうと「イチ宗教団体が管理するのはそもそも無理がある構造」という関係者の話は嘘ではないことがわかります。

「銭ゲバの明治神宮」というイメージは間違っていて、たとえ結婚式場とか神宮球場運営などの利益率が10%を超えていたとしてもその利益がまるごと毎年吹っ飛ぶ額を森林管理費用に注ぎ込み続けることで、あの「内苑の森の荘厳さ」は維持されている事になる。

イコモス案の後半部分から非常に印象的な部分を引用しますが、

森や緑地を維持管理していくことは地道で困難な仕事であり、多額の費用を要することを、私たちは深く認識する必要があります。明治神宮におかれましては、こうした費用の相当の部分を、神宮球場の収益から充当し、緑地だけではなく重要文化財である絵画館の維持管理費に充てておられると伺っております。
このため、老朽化し耐震補強の必要な神宮球場を再建することは必須の課題であり、おそらく、 今回、事業者の一人として明治神宮が加わっておられることは苦渋の選択ではなかったかと拝察 いたします。神宮内外苑は、公共性の高い緑地であり、私たちは多くの恩恵を被っております。その持続的 維持に向けた財源を、社会が共に考えることが今回の問題の基本にあると思われます。

イコモス案29ページ

この姿勢ですよ!今の日本に足りないのは!

今回の案でも、関係者が難しい現実とぶつかってなんとか10年以上かけてやりくりして練り上げてきた案に対して、

ただ金儲けしか興味がないゲスどもが考えた案に違いない

…という偏見を持って最初から否定している反対派がいかに多いかという話です。

つまり、最低限のマナーであるはずの

A・まず「現行案」が策定されて支持されている理由を理解する

…をやる気が全然なくて、まずいきなり「実際に問題に関わっている人を徹底的にワルモノにする論理」をSNSで吹聴し、

完全に善なる市民の我らと悪辣非道なる権力者ども

…みたいなファンタジー構造に酔える内輪のメンバーだけで騒いで終わってしまう。

この問題に限らず、日本における20世紀的なリベラルの「知の巨人」みたいな人が、自民党の政府がやることなすことを、

どうせこいつらは自分たちの利益の事しか考えていないクズどもだから

…という感じで最初から全て曲解した発言をしまくって、それに集まる”お仲間たち”の中だけでSNSでワイワイ騒いでいるグループがありますよね?

そういう行動がなぜ良くないかというと、

結果として、「相手側の事情も理解して提案しよう」とするイコモス案製作者のような良識的反対派の意見も埋もれてしまうから

…です。

これに限らず、まず「現行案がどういう理由で作られたのか」をちゃんと詳細に偏見なしに理解する姿勢がないと、「ただ文句言いたいだけかよ」という感じでどんどん現実的な影響力を失っていってしまいます。

結果として、「現実的な課題に立ち向かっているのは日本では保守派よりの人間だけ」みたいな一般的印象にどうしてもなってしまいますし、結果として例えばLGBT関連だとか同性婚だとか夫婦別姓とか女性活躍だとか入管法関連だとか…は「右寄りの決断」が常に行わる状況になってしまう。

そういう部分で「リベラル派の方策」を反映させたいのならば、まず社会の色々な場面における現行案が「どういう理由でできたのか」を真摯に理解した上で、「どうあるべきなのか」をちゃんと考える動きを徹底的にエンパワーしていく必要があります。

そういう具体的な問題解決には一切手を汚して参加することをしないような「知の巨人」症候群(別に参加しないだけならいいんですが具体的な内容を理解する努力もしないのにトンチンカンな自説を自信満々に述べまくるのが困る)を乗り越える必要がある。

なんだか賢そうなことを色々言っているけれども実際のところ『俺たちは無垢で善人で賢いけどあいつらはクズで邪悪でアホ』しか言ってない『知の巨人症候群』に決別していくことによってのみ、日本にリベラル派側の理想を浸透させていくことが可能になる

…わけですね。

本当の理想を信じて頑張っていきましょう。

5●「イコモス案」の具体的な内容について理解する

では、イコモス案と現行案の違いを具体的に見ていきましょう。

現行案は、神宮球場と秩父宮ラグビー場の場所を「入れ替える」案になっているんですね。

まず現行案を見てみます。

明治神宮外苑には「神宮球場」の北に「神宮第二球場」というものがあります。主にアマチュア野球の試合に使われていたらしい。

神宮外苑まちづくり計画の概要

そこで上図のように、

・まず明治神宮”第二球場”を壊す→跡地にラグビー場を移設
・前のラグビー場を取り壊した跡地に新しい神宮球場を建てる
・古い神宮球場を取り壊して緑地広場にする

…と順番に工事をしていくことで、工事中の期間も神宮球場やラグビー場が稼働し続けられるようになっている。

結果として最終的には「神宮第二球場」が一個無くなるわけですが、その分を緑地広場的なものに転換する計画になっている。

ついでに「新しい神宮球場」はドームになり(すいません勘違いでした。ドームにはなりません)、併設に高層ビルのホテル棟ができます。

ちゃんと見るとまあまあ妥当なプランなように私には思えますが、ただ問題なのはあちこち切り貼りして場所を入れ替えるので、「今ある樹木」を切る必要が出てくる場所が結構あるんですね。

あと、イコモス案原文の主張では、「本来の公園設計にあった全体的な調和」の側面から良くない面があるという指摘もあるようです。

「通景線=ヴィスタ」という観点から問題があるという話で、私はちょっとガサツな人間なので、正直言って”風水の話?”ぐらいの印象がありましたが、ただ公園設計のプロがそういうのなら結構大事な側面かもしれません。興味がある方はぜひイコモス案原文を読んでみてください。(ただそういう”センス”レベルの話で自分の意見を正直に言うならば、大正時代当時の背伸びした欧米的設計を”変えること自体に大きな意味がある”のでは?という気持ちも私には少しあります)

ではそのイコモス案の方の計画はどうなっているかというと、

・神宮第二球場を壊す→その跡地に新しい神宮球場を建てる
・神宮球場の継続性のために芝生広場に仮設球場を建てて対応する
・秩父宮ラグビー場は今の場所で建て替える

…という感じで、あっちこっち場所を入れ替えない分既存の樹木を切る数を大幅に減らすことができる案となっています。

結果として公園が作られた時に意図された「視線の広がり」が維持される事(上述したようにこれを通景線=ヴィスタと呼ぶらしい)や、今の考え方では重要な生物多様性を育むようなゾーンを設ける追加案などがメリットとして主張されています。

この案の問題は、

・第二球場跡地だけでは新神宮球場を建てられず、敷地が重なる位置に”ずらす”事が必要なため、工事中は「芝生広場に仮設球場をもう一個作る」必要が出てくる
・ラグビー場は同じ場所に建て替えるので、工事中は使えなくなる

といったところです。(実はそれだけではないんですがそれについては後述します)

まず、明治神宮の財政上神宮球場を使い続けることは営業収入の柱なので、建替え中はそれが使えないという状況はありえないわけですね。

というわけで、わざわざ芝生広場に「仮球場」を建てて、「今の配置を守る」案になっています。

ラグビー場は同じ場所に建て替える事で工期を短縮することはできるものの、その間はその競技はそこではできないことになります。

6●イコモス案の最大の障害を反対派は理解していない

さて。イコモス案のざっくりした説明をした上で、ここからは以下の三段階の…

A・まず「現行案」が策定されて支持されている理由を理解する
B・「イコモス案」の実行上の課題がどこにあるのかを理解する
C・「イコモス案」の実行上の課題を解決できる方法を考える

B・「イコモス案」の実行上の課題がどこにあるのかを理解する
について考えていきましょう。

反対派は、単にこのイコモス案の問題は、「ラグビー場の継続性が無いこと」だけだと思っているフシがあるんですが、実際は問題はそこではないんですね。(おそらくその点だけなら大した問題ではないはず)

例えばイコモス案について詳しく書かれた日経クロステックの記事を読むと、

日経クロステックという技術系メディア(しかも記者さんはズバリ建築系メディアの人らしい)なのでプランの詳細は凄くわかりやすく書かれているんですが、このプランの実行上の問題がどこにあるのかが全く理解されていないというか「完全に意識の外」の論調になってしまっている事が印象的でした。

技術的な部分での「非常に高い完成度」の記事だからこそ、「財政面における問題」が盲点的に一切理解されていない印象との落差が目立つというか。

ここまでこの記事を読まれた人ならわかると思うんですが、現行プランの重要な点は、

・財政的にギリギリなのに宗教団体なので公金が入れられない明治神宮が、三井不動産と伊藤忠商事を巻き込んだ再開発に絡めることで事業費を捻出するスキームを組んだ

…という部分なわけです。

具体的には、ホテル棟を三井不動産に建てさせる分の借地権代と、さっき書いた「空中権取引」によって巨額の費用を捻出するプランになっている。

つまり、現行案をイコモス案に簡素化する事は、単に今のプランに使うはずの資金の使い方を変えればいいという話ではないんですね。

資金繰りの方法をゼロから考えなくてはいけなくなる。

反対派の大半はこのあたりの問題を理解していないので、「単に銭ゲバの明治神宮が土地を切り売りして儲け話に飛びついているんだろう」と思っているんですが、その時点で全然話が噛み合ってない。

ここまでに書いた「森林管理費用の試算」と「明治神宮の売上規模」を考えれば、銭ゲバどころか結構使命感を持って「内苑の森」を維持しようと明治神宮が頑張ってきた苦肉の策である事がわかるはず。

それはさっきの日経クロステックの記事を読んでもわかるように、結構頭良さそうな関係者ですら理解していない事がこの論争が水掛け論に終わってしまう理由です。

7●「反対するなら代替案を出せ」とは言わないが、「現実の問題を一緒に考える意志」は必要

私は、ネットでよくある「反対するなら代替案を出せ」という論調は良くないと思っていて、そこまで求めてしまうと「反対をするコスト」が非常に高くなってしまうので問題だと考えてはいます。

誰でも反対したいなら反対できる自由は大事。

ただし、いざ「反対」しはじめてみたら、『現行案がこうなっている理由』だってちょっと調べたらわかるわけですから、そこからも延々と「俺たちが善・奴らは悪」論法を振り回しているのも悪辣だと思います。

そこからはちゃんと「そこにある現実問題を一緒に考える意志」は最低限必要でしょう。ここまで書いてきたような事は反対派だって多少理解力がある人ならちょっと調べたらわかるはずのことです。

実際、『イコモス案』の原文を読むと、資金繰りが大変になるだろうという話とともに、いくつかの案が出されています。(ここまで踏み込んでいるからこそイコモス案はエライ)

そこで例にあげられているのは「吹田スタジアム」方式で、Jリーグのガンバ大阪のホームスタジアムを建てる時に、大枠を「寄付」で賄ったという非常に大きな成功事例があるんですね。

私はサッカースタジアムの事をよく知らないですが、サポーターが自分たちでカネを出し、自分たちの意見を言いまくって建てた吹田スタジアムはサッカー場として凄く良くできている!!という声はよく聞きます。寄付した人たちのネームプレートも飾ってあるらしい。

ただし、吹田スタジアムの総工費は約140億円で、たまたま募集年度にガンバ大阪が優勝したので奇跡の追い風が吹いて寄付が集まったとはいえ、それでも個人からは6億程度でしかなく、法人が99億円で、さらに公金の助成金が35億円投入されています。

さらに未確認情報ですが、噂によるとこの法人寄付99億円のかなりの部分をガンバの親会社であるパナソニックが出したという話もあって、なかなか「寄付で建てた成功事例もある」と言っても超えるべき壁はたくさんありそうです。自分のところのチームの球場を建てるときに親会社がある程度出すのは当然なところがありますからね。

さらに明治神宮の場合は「公費を入れられない」という例の縛りもあってさらに課題は大きい。

明治神宮外苑再開発の現行案の総工費は三千数百億円を予定されているそうですが、イコモス案はホテル棟はなくなるとはいえ、わざわざ芝生広場に仮の神宮球場を一個建てて後から壊す費用なども考えると、同等程度のコストはかかるのではないでしょうか。

(ご指摘がありましたが、三千数百億円はホテル棟も含めた総工費であり、明治神宮が負担する額としては過大であったかもしれません。実際どの程度の額になりそうかは、例えば建て替えをしないプランについて考えた後編において仮の数字として、例えば600億円とかで収まるかも?)

この例えば6百億円をどうするか?について(そもそもこの数字をもっと確実な想定にすることも含めて)、そろそろ反対派は真剣に考えるべきなのではないかと思います。そして、三千数百億円の想定の時よりは、「寄付その他」のプランで集められる可能性が大分増したかもしれません。

そもそもあの広大な外苑をイチ宗教団体が管理している事が問題で、国有化して公的資金を入れられるようにするべきだ…というような話はありえるかもしれません。内苑に比べて外苑は「宗教施設」色は薄いので、ありえない話でもないかも。(しかし考えてみれば、そうするとじゃあ明治神宮はどうやって内苑の森の維持を出していくんだ?という余計に難しい問題に踏み込んでしまうかもしれませんね。いっそ内苑の維持費も含めて公費を入れられるか考えるべきなのかも?)

他にも、いろんな金融のプロのアイデアを募っていけば、何か理想と現実をすり合わせられるプランが見つかるかもしれません。

海外の巨大公園(特に英米のもの)が、公的資金以外で管理されている例がないか…を考えると、何らかの組合組織みたいなものを設定してファンド運用して…とか、何らかの事例があるように思います。

「寄付でやる」といってもちょっとしたクラウンドファンディングでなんとかなる金額ではないので、何らかの金融のプロの知見を持ち寄って考える必要はどうしてもあるでしょう。

多分現状「イコモス案でいいじゃないか。なんでやらないんだ」と思っている反対派の人は、単に

「今のプランに使うはずのカネをイコモス案に振り向けるだけでいいはずだ」

…と考えているんだと思うんですね。日経クロステックの記者のような人ですら、ちょっとそう考えているのではないか?という書きぶりだったので、ネットの反対派の人の多くはおそらく全くわかってないはずです。

ここでちゃんと、

A・まず「現行案」が策定されて支持されている理由を理解する
B・「イコモス案」の実行上の課題がどこにあるのかを理解する
C・「イコモス案」の実行上の課題を解決できる方法を考える

のステップを踏むことができるかどうか?

最初は自分たちの力だけでは無理でも、少なくともABCのステップを踏もうとしている意志さえ示すことができれば、いろんな専門家の協力を得られてどこかに突破口が見つかるかもしれません。

8●今の日本の政治的分断を超えるために

私は経営コンサルタント業のかたわら、日本全国のいろんな個人と文通しながら人生を考える…という仕事もしていて(ご興味があればこちらから)、そのクライアントには普通に働いている男女ビジネスパーソンからベンチャー経営者、特殊な自営業の人とかときには主婦の人などに加え、ある旧帝大の学部長の人がいるんですよ。

で、その人が最近言っていたんですが、最近「国際卓越研究大学」という文科省のプロジェクト(例の”10兆円ファンド”の話ですね)に大学が立候補する事があったんだけど、

大学の執行部(副学長、副理事、部局長レベル)にも事後的に申請案の資料が配布されただけで、文科省に申請されていきました。

…と言っていて、あまりにも「蚊帳の外感」がある事を危惧されていました。

「学部長」の立場ですらそう感じるのだから、あまり「本流」でない立場の研究者からすれば反感を持つのも当然だろうということで。

彼自身の立場からすれば、

現状コレが必要で、この方向でいかないと現状の大学クオリティすら維持できなくなる事は理解しているが、それを運用している人たちはとりあえずのプランを実行していく事に必死で、それ以外の立場の人たちの理解を促す「言葉」や「佇まい」を一切持っていない。むしろ官僚主義的にゴリ押しで実行していくような雰囲気を年々強めてしまっている。
結果として大学がどんどん分断されていってしまう状況の中でどうしていいかわからない。

こういう問題で今の日本社会のあらゆるところにあると思うのですが、重要なのは

「現行プラン」には何らかの事情や経緯があってそうなっている

…という事を理解した上で、そこに新しい案を持ち寄るような共有軸的な空気が雲散霧消してしまっている事だと思います。

「反対派」の意見をある程度「現実」とすり合わせる部分が完全に機能不全になってしまっている。

現実的な課題に日々ぶつかってやりくりしている人からすれば、

いまさらそんな事言われてもね。というか俺たちだってできることならそうしたいと思っているのに、俺たちが単なる私利私欲でそれを壊そうとしているような事を言われてもね

…というレベルの反対案が多すぎるので、逆にかなり高圧的にグリップを効かせて無理やり押し通すようなことをせざるを得なくなってしまう。

ここまで「反対派もっと頑張れよ」という趣旨の話をしてきましたが、逆にいうと今回問題における三井不動産はもうちょっと丁寧に説明しろよ…という側面も明らかにあります。

というか、

明治神宮も含めて、推進者側がこの記事に書いたような事情をちゃんと正直にまるごと話しさえすれば、納得する人も多いのでは?

…と私は感じます。

しかし、こういう問題においては日本における長年のすれ違いの弊害があって、

どうせ何を言ってもマスコミが曲解してワルモノにされるんだろう

…というような諦めみたいなものがあり、公明正大に話すということをそもそも諦めてしまっている風潮もあるように感じます。

そういう風になればなるほど、結果として「反対派の意見」は全く取り入れられず、非常に限られた層の意見しか反映されないようになってしまいますし、その結果としてアイデア自体が硬直化してゴリ押し的なものにさらになっていってしまっている弊害は明らかにある。

これは「全部敵側が悪い」って話じゃなくて、どちら側からも歩み寄ってなんとかしないといけない問題です。

私は、昨今の東京の再開発に対して、「これでいいのかな?」という思い自体は持ってるんですよ。

東京ミッドタウン(一個目の六本木のやつ)とか、六本木ヒルズとか表参道ヒルズぐらいの時には結構いいなと思っていたんですが、なんだかだんだん思考停止的に「一つ覚え」でワンパターンに同じようなのを次々建てているところがあるんじゃないか?という感じはしている。

同じように感じている人も多いのではないかと思います。

そういうところで、吹田スタジアムのように「草の根のいろんな人の思い」が結実して、細部までサッカーファンのために工夫された「俺たちのスタジアム」ができた…という事例には希望を感じる。

今回の外苑の例がどうなるかはともかく、今後のこういう計画において、あるいは日本の政治全体について、「吹田スタジアムのようなプラン」が増えてほしいという事は、あらゆる人が願うことではないかと思います。

そのために何が必要かといえば、もちろん「実際に施策を動かしている当局者」側がもっと聞く耳を持つことも大事ですが、一方でそれに「反対する側」も逆側から歩み寄り、「両側からトンネルを掘っていく」ことでしかこの問題は解決できません。

ここまで書いてきたように「反対する側」がもっとやらないといけないことは、

A・まず「現行案」が策定されて支持されている理由を理解する
B・「イコモス案」の実行上の課題がどこにあるのかを理解する
C・「イコモス案」の実行上の課題を解決できる方法を考える

…というようなプロセスを真剣に踏むべきだということです。

今はここが「知の巨人症候群」みたいな無責任さが放置されている結果、逆に「当局者」は現実をグリップするためにどんどん高圧的になっていくし、全体としてやたら”反リベラル的””国粋主義”的な風潮を止めることができなくなってしまっている。

読者のあなたが今、この「対立」のどちらがわにいる人かはわかりません。「反対者(いわゆる左?)」側か、「当局者側(いわゆる右?)」か。

しかし私が提案したいのは、「この記事をここまで読める人かどうか」という線引きをもっと大事にするべきだと思います。

反対者側の運動参加者が、

この問題がなぜ難しくて、どこを超えればイコモス案が実現できるのか?

を深く理解し、

必要な金額はプランAなら●●億円、プランBなら✗✗億円で、それをどうやって捻出すればいいか一緒に考えてください

…という一番コアな部分の課題に明確にコミットして呼びかけを行うのなら、今は「保守派側」にいて、反対派に対して「しゃらくせえな」と思っている人でも何かしらのアイデアを持ち寄りたくなるはずです。

昨今の金融スキーム技術は結構魔術的なものがあるので、本当のプロを味方につけることができれば、理想と現実をすり合わせられる奇跡的なプランを見いだせるかも。

そうやって問題に真正面から向き合わず、

俺たちは高潔で善人で正義の市民だけど、日本の政府は悪辣で私利私欲しかないクズどもに違いないというファンタジー

…を振り回している限り、そういう運動が人々の大きな支持を得る事もないし、その先で再度の「リベラル派」による政権交代を実現することは決してありえないでしょう。

とはいえ、最近はこういう「知の巨人症候群」のバカバカしさが白日の下に晒されつつありますし、その自然な結果として逆にその無責任さに対抗して現実をグリップするための防波堤として今まで必要だった「あまりにも国粋主義的でヤバい」人たちの居場所も徐々に削られてきているように思います。

昨今、選挙のたびに「右も左も」内輪もめが激しくなっていますが、それは「日本社会が新しい共有軸を見出していくために必要なプロセス」としてそうなっていくだろう…という話を私は一年ちょっと前に出した以下の本の後半部分で詳しく書いています。

日本人のための議論と対話の教科書

日本人のための議論と対話の教科書

刊行後一年たって、「倉本さんが言ったとおりになってきてますね!」とか「予言者ですねwww」などという声を最近毎日ってぐらい聞くので(笑)、ぜひあなたも読んでいただいて、この記事で書いたような「対立を乗り越えるアプローチ」=「メタ正義感覚」を身に着けていただければと思います。

単に「俺達は正義であいつらは悪だ」を賢そうに隠蔽して言ってるだけの空理空論を一緒に乗り越えて、「みんなのほんとうのさいわい」のために本当の理想を目指して頑張っていきましょう。

(追記)

この記事がめっちゃバズって今色んな意見が投げ込まれているんですが、特に反対意見を持っている方のコメントに対応するために「後編」記事を書きました。よろしければそちらもどうぞ。

(さらなる追記)

冒頭にも書きましたが、この問題でTBSの討論番組に出演してきたので、番組にYouTube動画へのリンクも貼りつつより深掘りした記事について、以下もお読みいただければと思います。

長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。

ここ以後は、直近の「選挙」の話をしたいと思います。

4月は統一地方選挙といくつかの国会議員補欠選挙がありましたね。

上記の私の本を編集してくれた梶原さんが以下のように言ってましたが…

まさに、いろんなところで「仲間割れ」が顕在化してきた選挙だったと思います。

私が主張する「メタ正義感覚」という考え方は、

「敵が言っていること」ではなく「敵の存在意義」に着目し、それを自分たちが解消することで対立自体を無効化し、「敵に打ち勝つ」ことが真にできるようになる

…という発想が重要です。

そういう意味では、昨今可視化されてきた「左の超極端」と「右の超極端」にはそれぞれ「存在意義」が必ずあるのだ…という発想が大事なんですよ。

その「両極端」の人たち自身は現実問題の細部を適切に扱う能力が欠けているので、そういう人たちに主導権を握られたら余計に大問題になるんですが、ただほんの局地的にでも大きな支持を得られている以上、そこには「彼らの存在意義」はある(…というようにまずは考えてみるべき)。

我々は、「ど真ん中の中庸的現実路線」の先で、「両極端の人たちの言っている事」は完全に黙殺しつつ「両極端の人たちの言説の存在意義」には、真正面から向き合って乗り越えていかないといけない。

それが「メタ正義感覚」の考え方です。

以下の部分では、直近の選挙における具体的な事例とか人名をあげながら「左と右の両極端」をそれぞれ考察しつつ、

「彼らが言っていること」は完全に黙殺しつつ「彼らの存在意義」を取り込んで解決するメタ正義感覚

…とはこの場合どういうことなのか?について考察します。

具体的には「テロ礼賛するような左翼過激派」の「存在意義」とは何で、どうすれば乗り越えられるのか?という話がひとつ。

「例えば河野太郎氏のような自民党政治家を危険視して必死に抵抗する最右翼運動」には一定の意味があるが、それを「乗り越える」というのはどういう発想で行っていくべきなのか?という話がもうひとつです。

その他色んな小さな選挙的な話題についても触れています。



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また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

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