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安倍時代の「経済産業省的言いっぱなしの無責任さ」の功罪両面と今後について。

トップ画像はウィキペディアより

今月はじめごろ、経産省の内部チームが発表した「未来人材ビジョン」というパワーポイント資料がSNSで大変話題になっており、

「日本が今目覚めなくてはならない理由がこれでもかと書いてある必読資料だ!」

…と、海外在住ビジネスマンなどから大変持て囃されている反面、

「何の具体策もなくフワッとした数字と雑な分析を並べたポエム資料。官僚の劣化をこれでもかと見せつけられて暗澹たる気持ちになった」

…みたいな批判も同程度寄せられていました。

この表紙↓がSNSで流れていくのを見かけた人もいるんじゃないかと思います。

未来人材ビジョン(経産省)

同じ資料にどうしてここまでの評価の差が生まれるのか不思議になってしまいますが、その分断された反応自体が示すものによって、「経済産業省的言いっぱなしの無責任さ」が持つ功罪両面について考えさせられるなと思います。

この「大賛成!と大反対!が同居する感じ」というのは亡くなった安倍元総理のことを想起させるわけですが、安倍政権自体が「経産省内閣」と揶揄されていた事からもわかるとおり、この

「経産省的言いっぱなしの無責任さの功罪」≒「安倍政権の功罪」

…みたいなところがあるんじゃないかと。

安倍氏が関わると瞬間湯沸かし器みたいに怒りが湧いてきて暴言を投げつけてくる人がネットにいるんですが、安倍氏はちゃんと選挙で選ばれた上で政権についているわけで、日本国民が彼を選び続けた「理由」(つまり功罪の”功”の部分)を理解しないと「功罪の”罪”」の方も本当には理解できないだろうと思います。

つまり、これからの「ポスト安倍時代」を日本が生きていくにあたって、単純に大賛成でも大反対でもなく、「そこにあったこと」を多面的に理解して、これからの日本がどうすればいいのか、を考える事が必要だと思うのでそういう事についてまとめます。

簡単な自己紹介をすると、私は20年前ぐらいに学卒でマッキンゼーという外資コンサルに入ったんですが、そこにおける「グローバル資本主義先端的な経営手法」と「日本社会のリアリティ」とのギャップがあまりに大きすぎて、それが放置されてるといずれ大爆発しそうだなと思って(実際アメリカでのトランプ主義や欧州でのプーチンの暴走みたいな形で顕在化してますよね)、その後「日本社会のリアルを上から下まで全部見る」試みをやった上で今は中小企業コンサルティングをやっている人間です。

結果として、クライアントの中小企業では、ここ10年で平均収入を150万円ほど引き上げることができた例もあり、昨今よく問題とされる「なぜ日本人の給与を上げられないのか」的課題に実地の積み上げでそれなりの知見を持てるようになってきていると思います。

先述した「日本社会のリアルを上から下まで全部見る」というのは、例えば肉体労働をしてみたり、ブラック営業会社やホストクラブで働いてみたり、たまたま街で声をかけられたカルト宗教団体に潜入してみたり…という、「良い大学入って良い就職した人生」からは見えない視点を”実地で”まず体験してみたということですね。

詳しい話は私の公式ウェブサイトのプロフィール欄か、最近「賢人論」というちょっと照れる名前のサイトにインタビューされた全3回記事がまとまってるのでそちらをどうぞ↓。

https://www.minnanokaigo.com/news/special/keizokuramoto1/

あと、その時にたまたま今話題の「統一協会」にも潜入したことがあり、その話を最近ツイッターで書いたら今むっちゃバズってるので、以下の連続ツイートがご興味あればどうぞ。

(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)

1●経産省の資料のどこが良くてどこが駄目なのか?

まず、今回の経産省の資料について、良い面としては「ある意味今の日本に必要なことを言ってはいる」という点だと思います。

一方で「悪い面」はどういうことかというと、太っている人に「あなたは痩せなくてはいけない!」と大量にデータを並べて主張しているみたいな感じで、

・今、その方法が取れていない理由はなにか?

…という部分の深堀りが一切ないところなんですね。ただただ

あなたは意識が低いから、運動してないし油っぽいもの食べちゃうから痩せられないんです!そういう人は年取ってから死ぬ率がこんなに高いんです!

…みたいな”当たり前の話”を延々としていて、ただもともとそういう傾向を憎々しく思っていた人たちだけが

「そうだそうだ!ダイエットしろよ日本!なんて素晴らしい提言なんだ!」

…と吹き上がるだけで、結局それは日本社会のマジョリティには響かないまま終わってしまう…という感じになる。

これは”経産省に限ったあるある”というよりも、外資コンサルその他の「グローバルな流行の延長によってローカル社会を強引に変えてやろう」という手法が、よほど気をつけないと陥ってしまいがちな失敗のあり方というように思います。

2●「グローバリズムの威を借るキツネ」的プレゼンの駄目パターン3点

こういう「グローバリズムの威を借るキツネ」的なプレゼンの特徴的なパターンは、以下の3点にまとめられます。

A・色々と疑問のある数字の出し方をして、「日本はもう駄目だ、今すぐお前ら全部やり方を俺たちの言う通りに変えろ」という「脅し」にかかる導入部分

B・「多様な価値観」「ゼロからの独自性」とか言いつつ、「今のグローバルに見た偏差値的上位の正解」とされているGAFA的方式の丸呑みを要求する「実は一番”正解主義”で創造力ゼロ」の提案部分

C・とってつけたように「日本はまだやれる」「日本のこういう部分は素晴らしい」と言ってみせる結語があるが、その「日本的美点」を支えているメカニズムは何で、それを維持するためにどういうことが必要なのかは一切考慮されていない浅はかさ

…外資コンサル(の良くない例)とか経産省的カルチャー(の良くない例)が出してくる「資料」を見た上で上記の3点のような不満を抱いたことがある人は多いと思います。

特に今回資料の「数字の出し方」は色々とひどくて、例えば「タイの部長との給与差」というスライドは、タイの場合は「外資系企業の現地ボス」の平均で、日本では日本企業全体の平均の数字になっているなど、色々な疑問が指摘されています。(他にも色々疑問点がネットでは追求されていますが、それは本題ではないので省略します)

ただ一点確認しておくと、これは「ダメなタイプの外資コンサル的カルチャー」の「あるある」であって、こうじゃない「ちゃんと機能を果たしているコンサル」も沢山います。

その「良い例」においては、だいたい以下のようになるんですよ。

A’・「クライアントとの信頼関係や自分たちの提案内容自体への自信があるため、導入部分で大げさに変化の必要性をいちいち”脅し”によって説得する必要はなく、サラリと解決すべき課題の確認だけで終わる事ができる」

B’・「実際に現在その教科書的理想像が実現できていない理由や、そこにある”自分たちの強みを支えている深い事情”などへの理解があり、その上で深堀りされた移行プランがキチンと検討されている。」

C’・「具体的な提案」の部分の時点で、既に相手の本質的な強みに対する理解に立脚しているため、とってつけたような「日本はまだやれる!」的に空虚な煽りをする必要もなく、ただちゃんと考えた具体的な提案を一緒にやっていきましょうというリアルな実感だけが残る。

今後の日本は、この「ダメな例」から「良い例」への転換をいかに増やしていけるか・・・が大事なんですよね。

ただそのためには、「過去30年ほどこういう経産省イズムが必要とされていた理由」を理解することが必要なんですよ。

それは「安倍政権が必要とされた理由」を理解することにも通じるはず。

3●縦割りの無策状態が各個撃破を招く「ダメな日本あるある」を反省して、アメリカ型のリーダーシップを求めてきた平成30年間の日本

例えば安倍政権の強さを、衆議院の小選挙区制が支えていたことは疑いないと思いますが、なんでも「反アベ」が頭の中心にある人は、小選挙区制自体が自民党が自分たちの強みを実現するために導入した陰謀みたいに考えがちなんですよね。

しかしそれは「ちゃんと二大政党が競い合って政権交代が起きうる制度にしよう」ということで、当時の右も左も関与して作った平成初期にできた制度なわけです。(そして実際にこの制度によって民主党による政権交代も実現した)

で、さらになぜ「小選挙区制」が必要とされていたかを深堀りすると、要するに日本社会は放っておくと、「縦割りの小集団」だけが社会のあちこちで自分たちだけで頑張ってしまって、横の大きな協力関係を築くことが苦手だからなんですね。

そのへんが旧日本軍の作戦のまずさなどまで遡れるほど日本社会の宿痾だったという認識がまずあったわけじゃないですか。

つまり、「単に自分の身の回り5メートルの結束」が社会のあちこちにあって、その「小集団の内側の結束」は強いけどその外側の「縦割り同士の横の連携」が壊滅的になりがちだということですね。

結果としてただただ南の島の放置された部隊が飢餓に耐えつつ必死に頑張るだけで全体として衰亡していってしまう・・・みたいなパターンを避けるために、「平成時代のアメリカ型リーダーシップへの希求」というのはパターンとして存在していたと言える。

だから、単純に「リーダーシップの強引さが嫌だから元に戻しましょう」的な発想では変えられないんですね。「社会全体の適切な連携が足りないから、無理やりでもリーダーシップを取る存在を作りましょう」という発想で走ってきたのが平成時代なので。

私はこういうのを「メタ正義的発想」と呼んでいるのですが、私の本から図を引用すると…

メタ正義トライアングル

要は「必要性があって起きている現象」に対して、その現象の「ダメな部分」を指摘していても変えられないんですよね。

そうじゃなくて、「その必要性を別の形で、自分たちの価値観でもOKな形で代替」する方法を考えていかないと。

つまり、この記事の上記で指摘したような、ダメな例としての「グローバリズムの威を借るキツネ」を日本社会が克服する事は、それをただ批判しているだけでは不可能で、「それが必要とされている理由」まで迎えに行って解決する必要があるわけです。

これが、「ベタな正義」同士がガチンコでぶつかっている場所における「メタ正義」的な解決というわけですね。

4●「言いっぱなしで終わらせない、現実とのラストワンマイルを丁寧に埋める行為をエンパワーしていく」

じゃあどうすればいいのか?って話になると、要は「経産省的に言いっぱなしの無責任言説」みたいなのを、言いっぱなしで終わらせず、その先の「現実そのものとのラストワンマイル」的な部分をちゃんと丁寧に埋めていく言説を皆で押し上げないといけないってことなんですね。

例えば最近読んだ本では、この本がとても良かったです。

「拝啓 人事部長殿」

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トヨタを3年でやめた若手人事の高木氏が、サイボウズで色々な改革を体験することで、「トヨタ型の組織の良さ」「ベンチャー型の組織の良さ」の両方を深堀りした上で、どこをどう変えていくべきかについて、具体的に例を色々な企業にインタビューしてまとめている。

単純に「新しい考えのベンチャーはこうやってるのに日本の大企業ってダメだよね」という話になっていないところが良い本でした。

実際、トヨタで3年やって、色々とトヨタの「良い部分」も「悪い部分」も体験した上で、サイボウズに移動してアレコレ考えているので、今の時代に普通に知的に育つと単に時代遅れの悪習にしか見えない制度について、「それが存在する意義」について深く理解できている視点がある。

日本の大企業群の存在は、それ自体が、以下のように「単純な経済行為だけでは割り切れない機能」を社会に付託されている面があるわけですね。

A・「インテリ階層と現場的階層を同じ目線につなぎとめる”社会の良識的文化”を維持する(この”同じ目線幻想”が崩壊すると、アメリカのように社会が真っ二つに割れて政治的に不安定化し、妊娠中絶の非合法化みたいなトンデモが横行するようになってしまう)」

B・「新卒一括採用によって若年層の失業率を抑制する効果(これがない国は若年層の失業率がかなり高い例も多い)」

C・その時々の流行りに惑わされずに「特定のテーマ」に人生かけてコミットする人材群を作り上げることで、スマホの中の小さな部品や半導体の製造装置や特殊な化学物質など、世界シェアが100%近い特殊な産業群の強みを生み出している。

D・最近はうまく行かなくなってきているが、大企業が保持している「余分な研究」から次世代の種技術が育って次の事業を生み出すサイクルが”昔は”あった。

で、平成時代風の「経産省的言いっぱなしのビジョン」は、「全体として向かう方向を示す」という意味においては役割を果たしているんですよ。

しかし、「そこにそれがある理由」を全然深堀りしてないので、全体として「GAFAみたいにできない日本ってダメだよね」みたいなメッセージにしかなってないわけですね。

だからたとえば、今回の経産省資料でいうと、このページ↓みたいな内容を、もっともっと具体的に深堀りする人が必要なんだということです。

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このページ以前の無数に並べられている「脅しスライド」とかは数字の出し方がたいてい恣意的だし、そもそも既に「変える方法があるなら変えよう」と思っている相手にあんな脅しは何の情報価値も追加されてないんですよね。

しかしこのスライド↑みたいに「具体的な方向性」が見えているものを、実際の現場的事情に即していかに実現できるか?が大事なんですよ。

自分がこのコンサルプロジェクトのリーダーなら、このスライド↑以外のはバンバン捨てて簡略化した上で、この部分をいかに具体的に深堀りできるかに全集中すると思います。

この記事の最初のたとえ話で言えば、「日本は痩せなきゃいけない」と言って終わるんじゃなくて「痩せる作業が無理なく続けられてリバウンドしない方法」について具体的に詰めていかないとダメだということですね。

一例としてさっきの「日本の大企業制度がこうなっている理由A〜D」のそれぞれをちゃんと深堀りしていけば、

単に「GAFAみたいになんでできないの?日本ってダメだよねえ」みたいな無内容な非難でなく、具体的に新時代に即した改革はどういうものか?について実際の衆知を集めていくことが可能になる。

さっきの項目A〜Dごとに見ていくと、

A’は単に「経済問題」だけで解決するのが難しいので、次にアップする「後編記事」において「ポリコレ」的な政治・文化課題として話しますので以下の記事をどうぞ。

B’は、新卒一括採用自体は残しつつ、その他の「複線化」を行い多様性に対応する制度を細かくブラッシュアップしていく道が見えてくる。

C’は、そもそも単一の「アメリカ風のあり方」だけを理想視するのではなく、「徹底的に日本風の強み」を持つ会社はそのままドンドンその特徴を追求していってもらうような、『本当の多様性』のビジョンが育っていけば、特殊な強みを持つ会社の特徴を潰してしまわずに、より身軽な対応が必要な会社についてはそれが実現できるように転換していけるでしょう。

D’については、最近は色んな技術ベンチャーなどが「日本企業伝統の手弁当で勝手にやる種プロジェクト」の役割を代替できるような転換がなされてきているので、今まで「大企業」が丸抱えしていたものを、日本社会全体のエコシステムで対応する流れは既に形が見えてきているといえるでしょう。

・・・というのはあくまで一例としての「方向性」だし、まだ入り口ぐらいまでしか実現していないので効果も限定的ですが、「そこの具体的掘り下げがもっと必要なのだ」という合意が取れていけば、「変えろ」「変えるな」の押し問答を延々とする必要がはじめてなくなるわけです。

つまり、この「方向性」をさらに深く皆でよってたかって具現化していかないと、「日本はGAFAみたいにできないからダメだよね」というはるか手前の一歩目のところの慨嘆だけを何度蒸し返していても何も進まないのだということなんですよ。

こうやって単なる「ベタな正義のぶつけあい」じゃなくて「メタ正義的な視点」から具体的な部分を深堀りする作業に、もっと色んな人の注目と衆知を動員していくことが必要なんですね。

5●必要な議論をすればするほど地味になって埋没する問題をどうするか?「風潮」を変えることこそが最重要課題という話。

ただね、こういう「具体的な話」をすればするほど地味になるので、一般的な認知を得られづらくなるんですよね。

結果として、SNSでワアワア言ったり、たまに大きくバズる資料みたいなのは、具体的対策のそのはるか手前で、「GAFAみたいにできない日本は終わりだ」vs「ここは日本だ黙ってろ」っていう「ベタな正義のぶつかりあい」で終わってしまうんですよ。

上記の「拝啓人事部長殿」も、日本企業の人事制度について専門的関心があるならとてもおもしろい本だと思いますが、内容がある意味で「具体的」すぎて、ブログとかSNSレベルでこれを「バズ」らせるのは非常に難しいなと感じます。

だからこそ、「どういう話題を真剣に扱うべきかという”風潮”」そのものの転換自体が最初に取り組むべき最重要のイシューなんですね。

だからこそ、具体的な一個一個の課題について「メタ正義」的に深堀りする仕事をもっとやっていくこと・・・・よりもまず、「メタ正義的な解決が必要なのだ」という「風潮」自体をコンセンサスに持ち上げていくことが必要なんですよ。

その「風潮」さえできれば、その先において、例えば日本企業の硬直的な人事制度がこのままでは持たないことは誰しもわかっているから、具体的な工夫の蓄積は日本中の「現場レベル」で勝手に考えられて勝手に進んでいくからです。

今は単に「GAFAみたいになんでできないの?」というレベルの一方的なベタな正義が放置されているので、そこから先の「具体的な話」が積み上げられずに無策のまま放置されてしまっている現状から変えていかないといけないんですね。

6●「鬼滅の刃」の成功を生んだ令和のビジョンにいかに誘導できるか

その「風潮」のイメージとして、通りがいいなと思うのは、「平成時代のホリエモンのテレビ局買収と、令和時代の鬼滅の刃の映画のヒットの共通点と違い」についての考えることなんですね。

https://www.minnanokaigo.com/news/special/keizokuramoto1/

このインタビュー↑でも時間を取って語ったんですが、

(上記インタビューより引用)

実は鬼滅の刃の大ヒットをつくったビジネス面での仕組みには、堀江さんのテレビ局買収の「本来の狙い」と共通するものがあるんですよ。

日本のコンテンツビジネスはテレビ局がアレコレ丸抱えにしてしまっていて、動きが鈍いのが問題だというのは昔から言われてきました。堀江さんはそこを資本の力で無理やり引き剥がして合理化しようとしたんですね。

しかし、やり方が強引すぎて実際に日本社会の現場レベルで「コンテンツをつくる人たち」にそっぽを向かれてしまって買収も失敗することになった。

アメリカ型に「一握りの知的エリートの力」だけで社会を動かそうとして巨大な抵抗にあってしまった「平成時代」の典型的な一コマだったと言えるでしょう。

一方で実は『鬼滅の刃』も、資本関係を合理化することでテレビ局の支配を脱し、コンテンツそれぞれに合った最適な売り方ができるようにした事が大ヒットに繋がっています。

つまり、平成時代の堀江さんのチャレンジと、根っこの発想としては全く同じことをやっているんですね。

しかしそのプロセス全体に、「アニメ制作の事がちゃんとわかっている」人が深く関わっているために、「社会の現場レベル」と対決関係になっておらず、むしろ協力してお互いの一番良い部分を出し合って大きな成功を掴むことができている。

さっきの例え話で言えば、「水と油」という本来混ざるはずのないものが混ざってマヨネーズをつくれているわけです。

上記インタビューでは他にも、

9割ぐらいまでは、頭の良い人が机上で考えたビジョンに間違いがないことが多いが、残り1割で「現場側の言語化しづらいフィーリング」の部分まで吸い上げて微調整をやりきることが大事なんです

…という趣旨の話をしているんですが、この「メタ正義的な課題」にいかに衆知を集められるかが、今後の日本の最大の課題なんですね。

だから今の日本に必要なのは、「脅し」じゃなくて、「ラストワンマイルの具体的なローカル特有の課題」への解決法を共有することなんですよ。

そしたら皆やる気で前を向けるのに、そこの事情の深堀りなしに「GAFAみたいにできないからダメだよね」レベルの言いっぱなしの論理が放置されているから、前に進むことができない。結果的に感情的対立がさらに進んで、「とにかく昔のまま」になってしまう領域も大量に生まれてしまう。

ただ、世の中で「大騒ぎ」しているゾーンでは永久に平行線の罵り合いだけが続いている感じがしますが、ちゃんと実地で働いている人のゾーンでは結構「双方向的」な対話と解決が動き始めているなあと私は感じています。

さっきの鬼滅の謎の大成功がまさにそれですし、その他にも、前回記事でも書いたように最近ある大企業との仕事が始まったんですが、そこは別に有名なカリスマ経営者とかがいるわけでもないのに

・世間的にその会社のメインと思われてる事業は売却済み
・コア技術が活かせる有望分野にどんどん移動
・結果平均年収は同業他社よりかなり高め

こんな感じ↑になっていて、初回ミーティングで「いかにも外資コンサルが作った」全社戦略資料を見せてもらいましたけど、凄いちゃんと噛み合ってる感があるし、社内も「やる気」になってるし、非常に良い空気だなあと思いました。

やはり、さっきの「言いっぱなし経産省資料(もちろんダメな外資コンサルプロジェクトの資料も)」と、「うまくいってる時の良い外資コンサル資料」の違いは、

・具体的な提案内容に自信があるので無駄な脅しを延々と書いたりしない。
・自社の強みがどこにあるか深く理解した上で、その展開先について具体的なフォーカスを作れている。(なるほど、これを頑張ればいいんだなと社員が思える目標が適切なサイズで切り取られている)
・結果として変にシン・ゴジラ風愛国主義的・愛社主義的な結語がなくても、「一緒にやっていこう」という雰囲気が切れていない

こんな感じ↑だなと思います(笑)。

「外資コンサル側」が、昔より日本企業との距離感が近づいて、無理やりじゃなく「課題感を共有」して動かせるようになってきている変化を感じて非常に好感しました。

最近の外資コンサルは、昔のように「上から目線でご託宣のようなビジョンを授ける」という形と違って、単に「優秀な人材を派遣して業務代行させる」的な「高級文房具」と揶揄されるような業態も増えているらしくて、それはネガティブに捉えられがちだけど、案外その良い面もあるのかも?と思うようになりました。

昔のように「ご託宣を述べる知的なグル」みたいな要素が徐々に成立しなくなってくることで、逆に過剰に脅してみせるような結論に飛びつく必要がなくなり、ちゃんと「伴走」して丁寧に細部を知的に捌いていく道が見えてきているんじゃないかと。

そういうのをもっと丁寧に後押ししていって、「言いっぱなしの無責任」に終わっているものと「現実とのラストワンマイル」を、社会全体で独自に埋める部分を皆でちゃんとやっていきましょう。

そんな感じで、「右や左の極論」が打ち消し合ってSNS限定の小さなバズで終わってしまう中で、「丁寧に両取りの議論を詰めていく」流れを静かに強くエンパワーしていくことができさえすれば、日本の未来は明るいと私は思っています。

7●「ホリエモン型不満と焦り」とどう向き合うべきか?

とはいえ、

いやいや、そんなまどろっこしい調整型なことを言っているからグローバル競争に乗り遅れるんだよ!

・・・と思う人もいると思うんですよね。

堀江氏がテレビ局買収をしかけていた時も、「まどろっこしい日本的調和の中でにいたらグローバルに負ける」という焦りみたいなものはあったでしょうし、ある意味でそれは正しい部分もあった。

ただ、遠回りなようでも、「メタ正義的解決」が必要な分野でちゃんとメタ正義的な解決が進めば、それ以外の「誰から見ても当たり前に必要なこと」で延々とモメ続ける事もなくなるはずだと私は実地の経験上感じています。

だからこそ「メタ正義的解決が必要な分野」において、ちゃんとそこに人々の注意をいかにひきつけて、社会のあらゆる場所にある「ラストワンマイル的具体的解決」を、現場的人材が自発的にボコボコ倒していける情勢に持っていけるかどうかが鍵です。

私のクライアントで10年で年収150万円上げられた事例も、「インテリが考えるようなマトモな改革」を、いかに「現場的人間関係を引きちぎらないで実現できるか」が鍵だった。

これ、社会の中のほんの一部だけ「高年収」の会社を作るなら、「引きちぎってやる」方が合理的な場合も多いんですが、その「波及効果」が社会の一部に強烈な無力感を植え付けて後々大反撃してきてしまうことを考えると、この「丁寧に波及させる」部分がどうしても必要なんですよ。

このへんに、今の日本の「エリート層」が日本経済の「現場レベル」を体感としてわかっていない部分があるんですね。

「結果的に同程度に市場主義的なガバナンスが効いている」としても、社会の自然な連携関係が途絶せずに、「良識」が崩壊しない形で実現することもあれば、もう社会の中央の学歴に守られたゾーン以外では本当に末端まで殺伐とした空気で希望がない感じになることもある。

それは「TOEICの点数が同じでもめっちゃ英語話せる人と全然な人がいる」ようなもので(笑)

「学歴に守られたゾーン」以外の世界においても、既にある「良識の源泉」である人間関係を崩壊させないようにしながら、現場レベルの主体性を崩壊させないようにしつつ、必要な「市場的変化」を起こしていく必要があるんですね。

詳しくは私の本か、ざっくりはこの記事↓

で書いておいたんで読んでほしいんですけど、醸造食品の「株分け」のように人間関係が引きちぎられないようにしながら市場化が行われていく必要があるんですよ。

とはいえ、都会のインテリ論客が全然知らないところで、上記記事に書いたように現場的に見ても数字的に見てもそういう変化は明らかに進行中なので、あとはそういう「実質的変化を目指す議論」が、「罵り合い自体が自己目的の空論」を置き換えてしまうところまで押し込んでいくだけだと言えます。

特に令和になってから、そういう事例は明らかに増えてはいると思います。平成時代風にとにかく「ぶっ壊す」と言ってみせる「経産省型無責任さ」に対する忌避感が広がってきて、その「次」を求める機運が高まっているのが大きい。

「後少しのラストワンマイルのトンネルを掘り抜く」ことをやりきれば、「安倍時代の経産省的無責任さ」に見えていたものが、

「なるほど言ってたことは正しかったんだね!(けど孤立無援に放っておいてしまってごめんね)」

…という決着に持っていけるはずだと思っています。

そういう動きがちゃんと大きくなってくれば、「ホリエモン派」の人たちも「まどろっこしさ」を感じることなく、「おい次はこれやろうぜ」「こういうのもやろうぜ」と言ったら打てば響くように社会の現場レベルまで連動して動いてくれるし、アメリカみたいに数千万人が「インテリの言うことの全部逆を主張してやる!」と暴れまわってきたりしない、そういう「現場的人材とウィンウィンに繋がれる日本に生きるインテリの幸せ」を感じることができるようになるでしょう。

それに、「誰もがやめたいと思っていた古い制度」なんかを当たり前のようにスルスルと辞めていける状況にもその時はじめて持っていける。

私の本からのいつも出してる絵↓ですが、「一緒くたにゴミ扱いされているもの」の中から必要なものをちゃんと選り分けたら、いらなくなったゴミを捨てる合意は揺るぎなく社会で共有できるようになるんですよ。

ただまあ、「現状そんなのまどろっこしくて待っておられん!」というタイプの人は、「課題について叫び続ける」をやっていてくれてもいいのかもとは思います。

「保育園落ちた日本死ね」がバズってから、SNSで騒いだ皆が忘れた頃になって保育園問題はかなり改善してるみたいですし、そんな感じで「課題発見」→「課題解決」のサイクルがそれぞれ別のプレイヤーによって粛々とバトンされてこなされていくという見方も間違っていないと思いますしね。

8●まとめ

結局、過去20年のグローバル経済の暴走にそのまま飛び込んだ国は、経済発展はしたけどその国の絆がバラバラになってしまって政治的混乱から逃れられなくなってるわけですよね。

一方でここまで昭和の遺産を食いついないで死んだふりしてきた日本では、これからそういう「先行事例」の良い面も悪い面もわかった上で、「現場的共同体」を引きちぎらない形で、納得を引き寄せつつ変えていくことが大事です。

それができれば、それこそ「ウサギとカメの競争」のようにノンビリマイペースで進んでいたカメの日本が成功していける道があるはず。

たぶん、日本社会に「変化」を求めるサイドにいる人は、過去20年もどかしくてもどかしくてたまらなかったでしょうし、「ぶっ壊して変えてやる!」という気持ちをたぎらせていたと思うんですが。

でも例えば、経済・社会全体のDX的なものとか、あるいは教育面ではドリル的な研鑽部分をIT的にうまく終わらせつつ、”探究型”の要素を増やしていくとか、そういうものは、「中央にいるインテリ視点」だけでゴリ押ししてしまうと、その本当の力は発揮できない可能性が高いんですよね。

そうやって「片側だけから押し込む」形で実現すると、「中央」から遠くなればなるほど、現場レベルで無力感が募ってだんだん安定的な運営が難しくなっていってしまうので。

そこで「社会の片方側だけから無理やり変える」を徹底して拒否してきた日本だからこそ、これからちゃんと「両側の意志」を載せて変えていける道が見えてくるはずだし、その時には「現場的人材の効力感や責任感」を完全に奪ってしまわない形で、ニンテンドーのソフトやハードを誰でも楽しく使いこなせる形に近いDXが末端まで浸透するように持っていけるはず。

平成時代の堀江貴文氏のテレビ局買収は拒否したが、鬼滅の刃の成功は押し上げることができている。

こういう「日本人のみんな」的要素を引きちぎらないまま、必要な「改革」がスルスルと動き出している令和のモードが普及してくれば、いずれ「日本社会に変化を求める側」の人たちも、納得できる構造が見えてくるはず。

アメリカみたいに「インテリの言うことを全部否定してやる!」と燃え盛る数千万人が暴れている状態にならずに、「インテリと現場的人材の相互信頼の輪」が切れてしまわないようにしながら変化をスムーズに取り入れていける状態に持っていけるかどうかが、これからの令和の日本の課題ということですね。

長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。

こういう「経済分野の話」とは別に、今度は「ポリコレ」的な政治・文化的課題についても同じような「グローバルとローカルのすり合わせ」が必要なんですが、
その件については「後編」で、ネット論客の「白饅頭」氏と、スタジオジブリが出してる雑誌の対談で話してきた内容について、掘り下げて考えることにします。

以下のリンクからどうぞ。

https://note.com/keizokuramoto/n/n5eb4f0a4eeb0

都内某所のスタジオ・ジブリのオフィスにて

無料部分はここまでなんですが、ここ以降は、「日本における大企業経済」の今後…みたいな話をします。

日本における「大企業経済」って、日本人の多数のサポートを得て存在を維持しているところがあると思うんですね。

具体的には、ある意味で、非正規雇用と正規雇用の「身分差」みたいなものが一番大きくて、「非正規雇用」に縛り付けられた多くの人たちの献身によって、「大企業共同体幻想」みたいなものが維持されている。

一方で、その「サポートを受けている部分の”恩”」に対して、日本の大企業は他の国の私企業よりも「公」的な奉仕を義務付けられているというか、社会全体の安定化のための基礎を作っていたりする。

例えば「新卒一括採用の仕組み」を維持していることは、若年層の失業率を他国に比べてありえないほど低くする効果を持っていて、それが社会の安定に寄与している面は大きいわけですが、ある意味でそれは結構「社会への貢献」として期待されている部分でもあるわけですよね。

それは当然、単純な経済合理性からすると余計な荷物になってる部分もある。

そういう感じで、「大企業だから余裕のある判断をする」みたいな役割が期待されていて、それによって支えられている部分も確実に日本社会の中にあるんですよね。

さっき書いた最近依頼された大企業の仕事は、その該当部門長氏が2017年から僕の本を読んでくれていて、「社員にも配りまくったしここ数年の社内の変革の指針でもあり続けました」と言ってくれて感動したんですけど。

なんかこういう「ファンが10人の頃のアイドルを見に来てた客と再会」みたいな牧歌的な理想主義風の人間関係で仕事がつながる感じって、結構「社会の余力」がないと繋がらない関係だと思うんですよ。

ある程度の「理想」を持って誰かを推薦して「推し」ていこう、みたいな気持ちが消えてしまって、単に自分個人の利益が有る無しだけの世界になっていけばいくほどこういう縁は繋がりづらくなるわけで、「大企業文化」に預けられていた文化的余裕が繋いでくれた感じがして凄く感謝したんですよね。

今日明日ですぐ効果が出る「機能」としての商取引以外の部分で、社会全体で良識が崩壊しないように何かを「信じて」動かしていこうという視点は、一度壊れてしまうと戻すのが大変むずかしいものだと思うんですが、日本社会は「大企業経済」にいる人達にその経済的安定を支えてやるかわりにその「良識」を維持する役割を期待していたところがあるなと最近感じるわけです。

ただ、「そのままではいられない」状況になってくる中で、非正規の人との「身分差」みたいなのも放置できなくなってきた今、今後の道は2つあって、

A・ある意味竹中平蔵型とか「維新」型に、「万人平等に非正規的存在」にしてしまうことで、大企業的良識を皆で支えることを辞めてしまう。”フェアな競争社会化”
B・「大企業が担っていた機能」自体を徐々に社会全体で肩代わりしていくことで、「日本的社会の安定」に含まれて生きられる人の層を輪切り状に増やしていく

これ、A案は世の中で思われているよりは結構「ある意味合理的」な案で、ただ韓国にしろアメリカにしろA型でやると経済は発展するけど自殺率も跳ね上がるし政治的にも不安定化するし・・・みたいな結構いばらの道ではあると思うんですね。

選挙結果的には、なんだかんだB案を目指す民意は示されている(維新も伸びているので、B案が無理なら急激にAに傾く可能性もあるという感じ?)と思うのですが、そういう非常に難しい「変化」に必要な考え方はどういうものか、について深堀りして考える記事を以下には書きます。

さっき書いた「TOEICの点数が同じでも英語が話せるかどうかは全然違う」という話と一緒で、結果的に「市場的ガバナンス」を効かせて行くにしても、そこで「良識」が吹き飛ばないような算段が必要なのだ・・・という話をさらに深堀りする内容となっています。

2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個近くある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。また、結構人気がある「幻の原稿」一冊分もマガジン購読者はお読みいただけます。これを機会に購読を考えていただければと思います。

普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。

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「色んな個人と文通しながら人生について考える」サービスもやってます。あんまり数が増えても困るサービスなんで宣伝してなかったんですが、最近やっぱり今の時代を共有して生きている老若男女色んな人との「あたらしい出会い」が凄い楽しいなと思うようになったので、もうちょっと増やせればと思っています。私の文章にピンと来たあなた、友達になりましょう(笑)こちらからどうぞ。

また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

さらに、上記著書に加えて「幻の新刊」も公開されました。こっちは結構「ハウツー」的にリアルな話が多い構成になっています。まずは概要的説明のページだけでも読んでいってください。(マガジン購読者はこれも一冊まるごとお読みいただけます。)

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ウェブ連載や著作になる前の段階で、私(倉本圭造)は日々の生活や仕事の中で色んなことを考えて生きているわけですが、一握りの”文通”の中で形に…

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