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『キシダのトリセツ』・・・スローガンだけで中身がない岸田政権の「新しい資本主義」に「中身」を詰める方法を考える。

(トップ画像はウィキペディアより)

岸田政権が提唱する「新しい資本主義」について、説明が抽象的で具体的に何をどうするという話なのか伝わってこないという批判をよく聞きます。

実際内閣官房が出している資料を読むと、「何も伝わってこない」どころか「具体的な案は今の所ほとんどない」というのが現実かもしれません。

というか、「資本主義の良くない部分を訂正して、かつ共産主義にもならずに何らかのうまく行く仕組みがあったらいいね」というのは誰だって思うことなので、そう簡単に「中身」も詰められたら人類社会はこんな苦労してないよ、という話ではある。

今回の記事は、その現状中身がない「新しい資本主義」に「中身を詰める」にはどうしたらいいのか?について考える記事です。

株価が下がってるので岸田の経済政策は全部ダメ、みたいな印象になってしまいがちな昨今ですが、株価が下がっているのは全世界的に「脱コロナ」の利上げ予感だったりウクライナで戦争の危機があったり、欧米がコロナ後を見据えて経済再開し始めているのに日本はまた一回りしてブレーキを踏むターンになっていたり・・・という色々な事情があってのことなので、「岸田が全部悪い」というのもちょっと酷な話かなと思います。

ただ、現状民主主義的に選んだ政権がコレだし、それは「新自由主義の暴走を止めるのだ」的な話に国民がある程度期待して支持を送ったからできた政権だということは言えるでしょう。

つまり、現状中身がない「新しい資本主義」に「中身を詰める」のは我々普通の国民も積極的に参加して考えていくべきことなのだ、っていう話でもあるはずですよね。

今回の記事は、「グローバルな視点」と「日本社会の土着的なローカル社会としての視点」の両方を往復して生きてきた自分から見て、両者の間のコミュニケーションの失敗を乗り越えれば、徐々にこの「新しい資本主義」に「中身」を詰めることができるはずだ・・・という話をします。

(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)

1●「グローバル」と「ローカル」の間のコミュニケーションが完全に崩壊しているのが昨今の日本が右往左往する原因

「はじめまして」の方に自己紹介をすると、私は学卒でマッキンゼーというアメリカのコンサルティング会社に入ったんですが、そこで色々と「コレは必要なことだけどコレだけじゃ社会がどんどん分断されていっちゃうな」と思ってメンタルを病んでしまった事があって、その後色々と「日本社会の古層」的な部分と「グローバルな枠組み」を無無理に結びつけるにはどうしたらいいか?を模索する仕事をしてきた人間です。

具体的には、まず「良い大学を出て良い会社に入って」以外の日本社会の色々な実像を実際に見ておきたい・・・ということで、色々なブラック企業とかカルト宗教団体とか時にホストクラブとかにまで潜入して「働いてみる」経験をしたあと、船井総研という「非常に日本的な」コンサルティング会社を経由して中小企業コンサルティングで独立しました。一方で、「文通」をしながら色々な立場の「今の日本で生きる個人」の人生を考えるという仕事もしていて(ご興味があればこちらから)、そのクライアントには、国内国外に住む色々な立場の老若男女の人たちがいます。

そうやって「多面的」に色々な点から日本社会の実像に触れつつ、それを時々本とかウェブ記事とかでまとめなおす「思想家」としての仕事もしてきている。

で、そういう自分から見て今の日本があちこちでギクシャクしている理由の大きなものは、

「中央で政策を決める層とかグローバルな視点を持って社会の変革を目指す層」と「ローカル社会側の普通の日本人のまとまり」との間のコミュニケーションが壊滅的に通じ合ってなくて、お互い無理やり相手に言うことを聞かせようとしてかなり不自然な話をゴリ押ししてしまいがちになる・・・という点に尽きる

・・・と感じています。

別に相手を否定したいと思っているわけではなくても、「相手が自分を否定しに来る」と感じているので相手を完全に否定しなくちゃ!という感じになってしまう。

日本社会を前に進ませるためには、そこの「崩壊したコミュニケーション」を再度双方向につなぎ直すことが必要だと私は考えています。

2●グローバルとローカルの「相互理解の不足」の実例としての「官僚型曼荼羅チャート」

そういう「文化の違い」が問題を起こしている例のひとつとして、さっきの内閣官房の「新しい資本主義」資料でも出てくる以下のような「総花的な図」に関する認識の食い違いがあるんですね。

こういうのが真言密教の曼荼羅に似てるというので、日本の官僚が作る悪名高い「曼荼羅チャート」って呼んでいる人を見かけますけど(笑)

この資料を見てもわかるのは、要するに「色々やります」という事で、「今のところ具体策といえる案(賃上げに応じた法人税減税とか10兆円ファンドだとか)は安倍・菅政権から進んできたことであって、別に今はじまった話ではない)。だから、見る人にとっては「ゴチャゴチャしてる割に何も言ってない無意味なページ」に見えるんですよ。

この日本の官僚が描く「いわゆる曼荼羅型チャート」というのは、外資コンサル型の「ワンメッセージワンチャート(一枚のスライドに込めるメッセージは一つだけにするべし)」的な文化の人からは凄い評判が悪く、私も若い頃はバカにしてました。

しかし、色々と「日本社会のローカル側」との協業体験を積み重ねてくると、最近私は「この曼荼羅型チャートの持つ意味」がだんだんわかるようになってきたんですね。

というのは、日本の「現場」的なところは「上」があまりに事細かに指示してくるのが嫌いで、一方で、「ちゃんと方向性を示してくれるなら主体的に工夫をしてくれる」メンタリティはある。

つまり、「ワンメッセージワンチャート」文化というのが、それ自体アメリカ型のトップダウン組織の命令系統を迅速明確化するために専用に作られた「文化」であるとも言える。

逆に「うまく機能した時の曼荼羅チャート」は、「上」はあくまでフワッとした全体像を示すことで、現場レベルでいろんな人が「じゃあ俺たちはココを埋めていこう」みたいな主体性を引き出すことができる。

3●日本ではあえて「上」はフワッとしたことしか言わない方がいいこともある

例えば「働き方改革」みたいなフワッとした言葉だけを政府が発することに関してシニカルな理性派の人はバカにしがちなんですが、でも当時M-1の決勝に出てたお笑いの「ぺこぱ」の漫才にすら出てくるぐらいの伝播力と共鳴することで、実際に結構「働き方改革」は日本中で進みましたよね。

今回も「新しい資本主義」とか単体で聞くとフワッとした中身のないキーフレーズに聞こえるんですが、実際に経団連が「やはり賃上げが大事だ」みたいなことを言い始めるぐらいの効果はある。(その事だけでも経団連が人件費圧縮に躍起になっていた一昔前とは全然違う世界ではあります)

要するに「上から下までロジカルな言語的コミュニケーションだけで伝わるトップダウン」の方式だと、そういうやり方自体が「現場側からの主体性」をかなり抑圧している現状が実はあるんですよ。

そして、日本社会でそういうやり方をすると、単にうまく行かないだけじゃなくて結構「現場側がヘソを曲げて余計に邪魔してくる」みたいな現象があるんですよね。

「勝手に決めやがって、もうお前なんかに協力してやらねえ!」みたいな感じになって、本来結構「現場側のことを考えて作られた政策」だったはずの案にすら過剰に裏を勘ぐって陰謀論的に反対してくる勢力が現れたりする。

そういうのって、「上」の立場からするとバカバカしいように思っちゃうんですが、まあ例えて言えば子供の主体性を尊重せずにガミガミと「勉強しなさい。この計画でやりなさい。勉強時間をすべて報告しなさい」みたいに押し付ける親みたいなものだと思うと、ギクシャクするのもわからんでもないかなと思いますよね。

「アメリカ型のトップダウン方式」というのは、それ自体が格差を強烈に生む原因だというか、MBAを取ったエリートとスーパーエンジニアだけが「脳」であり、末端に行くほど本当に「言われたことをやるだけ」の存在に押し込められて効力感を失わせる構造になっていることが、昨今のアメリカ社会の不安定さに繋がっていることは、サンデルはじめアメリカの穏健派知識人も多くが指摘していることなわけです。

4●グダグダなキシダの「取り扱い説明書」

この記事で書いたように↑、豪腕でワクチン接種を加速させたり「決めるべき懸案」を次々と決着させた必殺仕事人スガが強引すぎるって引きずり下ろしたんだから、後任の岸田が多少グダグダだろうと日本国民は責任持ってそれをある程度は甘受しなきゃいけないはずなんですね。

しかしその「岸田のグダグダさ」というのは、ここ20年日本国民が目指してきた「アメリカ型に明確なトップダウンで動く社会にしなくては」という思い込みを超える、「あと一歩の双方向性」に目覚めるための端緒でもある。(最大限好意的に解釈すればね)

「新しい資本主義」の中身がねーぞ!しかたねーな、俺たちが中身を埋めてやるよ

・・・となるための「あえて残してあるスキマ」があるのだ・・・というように理解するしかない。

この「余白を残す」という部分は、私個人が「外資コンサル的に日本の一流大企業か外資系グローバル企業としか仕事をしない」生活をやめて、「日本のローカル社会側」の会社と仕事をするもうすぐ20年近い時間を経て身につけた、「コミュニケーションのあり方」として気をつけるべきコツという感じなんですよね。

2月9日に出る新著でも詳しく書いていますが、

私のクライアント企業では10年で150万円ほど平均給与を上げられた例もあって、そこでは「すごく大きな改革」は起こせているんですが、それって象徴的に言えば、「ワンメッセージワンチャート型の明確なトップダウン型のコミュニケーション」よりも「曼荼羅チャート型のコミュニケーション」によって主体性を引き出すことによって実現している点は明らかにある。

アメリカ人相手の時はアメリカ人に伝わるように話すべきだし、中国人相手の時は中国人に伝わるように話すべきだし、日本人相手の時は日本人に伝わるように話すべきだ・・・という一連の流れの中で、「岸田のグダグダさ」は理解するべきなのだと私は考えています。

実際、コロナ対策でも尾身先生が「岸田氏は話を聞いてくれる」って言ってましたし、それは打ち出される対策の細部が安倍・菅時代の「オノで無理やり一刀両断」するようなものでなく、「病床確保上の事情から全員入院方針の見直し」「クラシックのコンサートはいいけど飲み会だけはやめてくれ」みたいな細部の調節の効いたものになっている事からも伝わってくる。

「現場側からの要望」がロジカルな形で上がってくれば即決で対応する・・・という感じではある。

ただ、「オノで一刀両断」には勿論優柔不断に曖昧な漂流状態になるよりかはそっちの方がよほど良い場面が沢山あるだけのメリットがあるわけですよね。

逆に「細部の調節もちゃんとする」方式で、「オノ型」と同じだけの迅速な動きができるようになるには、今までとは発想を変えて、とにかくムチャクチャ大量に「話し合い」を迅速にやる必要があるんですよ。

菅さんみたいに「やれ」「はい」型が嫌だって拒否したんなら、ちゃんと「コンセンサス重視」が単なる無策の漂流にならないようにサポートしていくのは、「菅の豪腕」に反対していたあらゆる国民、メディア、その他論客の責任であるはず。

しかし、「トップダウン」だと「中央が命令したこと」しか動きにならないですけど、「新しい資本主義」が「働き方改革」の時よりもさらに「人口に膾炙する」レベルで浸透し、あとはみんな個々人で考えてやってください・・・という回路が本当に動き出せば、今までの「罵り合いだけが続いて結局何も変わらない日本」を超える可能性に繋がってくる。

それは一部のエリートが「ぶっ壊す!」式に引っ張り回そうとする無理を日本という「沼」に飲み込んでしまった先にある、すべての細胞が勝手に考えて勝手に行動してスルスルと常に形を変えていく、巨大で不定形な謎の生き物のような進化となるでしょう。

特に最近、メディアが「自己目的化した反権力」みたいなのから、「今政府の政策のどこに抜け漏れがあるのか」をちゃんと取材して書く・・・みたいな方向にちょっとずつちょっとずつ変わってきているのを散見するので、この方式をもっと推し進めていくしかないと私は思います。

「あらゆる事がイデオロギー闘争に見えるビョーキ」の世代が後期高齢者になって完全に引退しはじめて、徐々に中堅世代に主導権が移ってくることで、「反権力であれば何でもいい人たち」の力も失われてきた反面、「強権的なトップダウン」も不要になりつつあると言えるのかもしれない。

「曼荼羅」で示された全体像のうち、官僚もメディアも論客も経営者も研究者も・・・「あ、自分はココだな」という「部分」の中身をそれぞれが勝手に埋め始めて、誰も全体をトップダウンには統御していないけど一応相互連動して動いてはいっている・・・というような構造に持っていくことが、

「岸田という優柔不断な政権の取り扱い説明書」

として理解するべきことなのだと私は考えています。

この記事は多くの人に読んでほしいので、いつもみたいに一気に書くことなく、5千字程度のここで一度区切ります。

「後編」の次の記事では、ではその「新しい資本主義の中身を詰める」案としてどういうものが考えられるのか・・・についてもっと具体的な話をします。

「竹中平蔵的なネオリベ原理主義」を超えていくには、デービッド・アトキンソン型の「マイルドな市場主義」をさらに100倍丁寧にやる事が必要なのだ・・・という話です。↓こちらからどうぞ。

この記事のここ以降は、有料会員向けの記事として、日本で「俺は個人主義の天才だから日本社会なんてバカの集まりに見えるぜ」型のタフぶり方が凄い不健全な感じがするという話をします。

最近みずほ銀行のシステムトラブルが相次いで、それへの対策として出てきたのが、「システムの人員をちゃんと確保する」と「トラブルが起きた原因を映像化して研修を義務付ける」みたいなのが発表されてたんですけど、ツイッターとかで「後者」の対策が物凄いバカにされてたんですよね。まるで「ダメな日本企業あるある」みたいな感じで。

いやいや、前者の「システムの人員をちゃんと確保する」がないのに「研修」だけあったらほんとダメもダメですけど、前者とセットで後者があることはむしろムッチャ大事なことですよ!

その「研修」があれば、平時に戻ってトラブルが落ち着いた時にまた予算を減らされそうになったら、「あの研修の映像でこう言ってるじゃないか」って反論できるようになるんですよ。

なんか、今の日本の個人主義者の中では、「アメリカに行けばそんなバカバカしいことは一切ないのに日本社会は本当に俺サマみたいな個人主義的天才を潰す社会だから」みたいな感じの話になってしまいがちなんですが、でも遠目に見ててもアメリカの会社でも良い会社は

「こういうトラブルの原因はこういう意思統一がなされてないからだ。こういう機会を作ってシェアする時間を持とう」

・・・みたいなことはムチャクチャ真剣にやってる印象があります。

要するに「個人主義の天才」が活躍しやすい場所を作るのは、それ自体結構頑張って「普通の人の社会」との間に色々と手練手管を使って環境整備をやっている事によって生まれているわけなんですよね。単に「バカどもは黙ってろ」って吠えていたら実現している話ではない。

「日本社会をバカにしない」形で、個人主義者の天才・秀才タイプが活躍できる余地を作っていくオリジナルな工夫を積んでいくことが必要なわけですが、その時に考えるべきコツは何か・・・について、最近ハマってる大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の話とかしながら、以下では考察します。

2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個近くある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。結構人気がある「幻の原稿」一冊分もマガジン購読者は読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。

普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。

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